第27話

 ケーキはどんな物を買ったのか秘密にされていた。イチゴのショートケーキか、あるいはチョコレートケーキか。

 その日、広斗は夜勤ではなく昼から夜までコンビニのバイトに駆り出されていた。「クリスマスだから昼間に人を多くしたいって店長に云われてさ」と広斗は言っていた。そのため、深夜のバイトはなくなり、クリスマスの夜を一緒に過ごせることになった。わたしの目が見えていたならクリスマスケーキを作れたのに非常に残念なことに、広斗は手作りケーキをご馳走になることは今後一切ない。

「じゃーんって言っても、貰いものなんだけどね。店長に、余るくらいなら従業員さんに譲ってあげたい。って言われて」

「良い人だね」

「調子の良い人」

「そういうことは言ったらダメだよ。人を傷つけることは良くない」

「かなえは相変わらず優しいね」と広斗はわたしの頭を撫でる。まるで猫か犬にでもなった気分だ。わたしの新しい相棒となる盲導犬のルヴィは頭を撫でてあげると頭をぐいぐいと動かし、もっと撫でてと要求してくる、可愛い雌犬だった。

「今のわたしは周りの人に頼って生きてるから、人を傷つけるなんてできない」

「かなえは僕が守る」

「もう充分守られてる」頭におかれた手を握りしめた。

「おいで」と広斗はわたしの腕を引き、自分の胸にわたしの頭を抱え込んだ。ほのかに香る広斗の匂いは、落ち着く。失った視覚を補うように他の感覚がよく効くようになってきていた。嗅覚もその対象で、広斗の匂いを強く認識するようになっていた。生まれたての赤ちゃんがそうであるように、母乳の匂いで親をかぎ分けることができるのだから、わたしにもできて当たり前だ。

「初めてのクリスマスだね」

「恋人と過ごすのは、初めて?」

「えー、そこを気にするの? 仮に誰かと過ごしたとしても、今年のクリスマスが一番幸せな気持ちで過ごせてる。人生で一番の聖夜」

「僕も同じことを言おうとしてた」

「絶対ウソだ。まずはヤキモチから入ってくるじゃん、広斗は」

「そうだっけか?」

「デートの時もそう、映画は、ボウリングは、カラオケは、ってそんなの付き合ってるなら普通に全部行くでしょ。わたしの場合は誰と何をしたかじゃなくて、誰と何を成し遂げるか、の方が重要なんだよ」

「今はまだ成し遂げられてないけどね」不安の入り混じった声を広斗は出した。弱音とも受け取られる発言にげんなりする。

「もうさクリスマスなんだからそういう暗い考えはナシ。叶うと信じればどんなことだって叶うから。小さい頃だってサンタさんにプレゼントをお願いして叶わなかった子供はいないでしょ」服の生地を通して広斗の体温が伝わってくる。温もりが、鼓動が、この生きている証がどんな夢でも叶えてしまうくらいの、勇気にかわる、今日がそんな特別な日であってもいいじゃない。

「じゃあそんなサンタさんからかなえにプレゼントがあります」

「プレゼント?」

「かなえに内緒で買ってきた」

「二人で話したでしょ、クリスマスプレゼントは必要ないよねって」わたし達の誕生日が十二月ということもあって、クリスマスのプレゼントは用意しないという結論に至ったはずだ。ただでさえ広斗はわたしの誕生日に最新のデジタルカメラを買ったくらいなのだから、そんな余裕もない。そのうえ抜け駆けだなんていやだ。「約束破るなんてひどいよ」

「たいしたものじゃないよ。それに僕の個人でも楽しめるものだから」広斗はそういって立ち上がった。ビニール袋のこすれ合う音が聞こえ、包装かなにかされたものを開封しているような様子だった。パカっというパッケージの開く音が聞こえる。

「何してるの」わたしは広斗に訊ねる。説明がないままに音だけを頼りに推察するには情報が少なすぎる。悪さをしている訳じゃないのなら、何を買ってきたのか教えてくれた方が助かる。

「いま準備してるから」広斗はわたしに背を向けているのか壁の反響音として返事が返ってきた。小さなモーター音が聞こえ、DⅤDプレーヤーのディスクトレイが開閉したような音がする。

「映画?」

「ご明察、さすがかなえだね」と同時にテレビから音楽が流れた。聞き覚えのある歌だった。この曲は、今年の夏に広斗と鑑賞したときの、映画の主題歌だ。

「この映画もうDⅤDになってたんだ」

「しかも音声解説付きなんだ。目の見えない人向けにいま映っているシーンで登場人物がなにをしているのか解説してくれる」

「そんな優しい機能がついてるんだ」確かに半年も経つと細部まで内容を把握していることはなくなり、印象に残ったシーンなどが際立って、どんな始まりだったのかすら、忘れてしまっていた。

 オープニングのクレジットが終了し、いよいよ映画は始まった。より鮮明にわたしが覚えていたのは、映画館で座った席の位置だ。あの日の空間にタイムワープしたような感覚で、わたしは映画を楽しんだ。


「広斗、これから小説書くの?」布団を抜け出そうとした彼に、わたしは声を掛けた。クリスマスの夜の儀式をわたしたちは終え、他愛のない話をしていた頃だった。まだクリスマスも終わっていない日付の変わる前。もぬけの殻になった布団はあの日の出来事を思い出させるようで、恐怖心が蘇る。

「すぐそばで書いてるから、大丈夫だよ」布団の傍に置いてあった服を着直して広斗はパソコンに向かった様子だ。こんな日にまで、と口をとがらせるような真似だけは出来ない。小説家を目指すならいついかなる時も小説を書かなきゃダメだと口酸っぱく言っていたのはわたしだから。

「じゃあ、もう一回あの映画見ててもいい? 邪魔にならないようにイヤホンするから」

「隣にはいれないけど、かなえがそれでも良いって言うなら」

 わたしも寝巻に着替えて寒くないようにする、聖夜はかなり冷え込み真冬並みの気温まで下がると天気予報では言っていた。

「毛布かけときな」と広斗はわたしの背中に毛布を掛けてくれた。「何かあったら呼んでね」と言い残してわたしの頭にヘッドフォンを装着してくれた。ありがとう、といったところで耳がふさがれていて広斗が反応したのか分からなかった。

 映画は始まっていた、少年少女がおりなす数奇な人生を辿る青春ともロマンスともいえるこの映画は、若年層を中心に大ヒットした。人気バンドの楽曲もふんだんに取り込まれ相乗効果が生まれていた。細部にいたる映像美は見る人の心を虜にする。自分の目で見て心が震える。自分の耳で聞いて魂が叫び出す。映像と音楽には人を熱くさせる感動が確かにあった。アニメ映画だからこそ表現ができるものがある。

広斗がいつかわたしに言ったことがある。「映像も絵も音楽も、感動を伝えるにしたって言葉が必要になって来る。この絵の色彩が綺麗だとか、この曲のリフレインが最高だとか、言葉には感動をも表現できる唯一の手段。言葉には飾りはいらない、言葉のままぶつけられれば人の心に染みこんでいく」と。

 気障(きざ)な言葉回しかもしれないけど、わたしは広斗のそういった感性が好きだった。凝った表現よりも素直に感じたままの言葉で想いを伝えられる、とても大切なことを実践している、そんな気がした。

 毛布で顔を覆い、染みこんだ広斗の匂いを深く吸い込んだ。包まれているような安心感でわたしはうとうとしてしまった。

 気が付くと映画は終盤に差し掛かっていた。どうやら深く眠り込んでいたらしくスキップボタンを押したような、一瞬の出来事だった。多分、広斗もまだ小説を書いているんだと思った。書き終わったのであれば寝ているわたしを起こして布団に連れて行ってくれるはずだから。

 エンディングのメロディーが流れ始める。何度聴いてもいい曲だ。寝起きの良さは広斗の匂いがしみ込んだ毛布のおかげかな、気分がよく、わたしは歌いたくなった。なるべく小さな声で歌を口ずさむ、ささやくくらいの声量で、かすれそうな息遣いで、歌った。歌い終わると同時に温かくて柔らかな感触が口をふさいだ。一瞬のことでわたしはビックリした、その正体が広斗であることに安心した。

「ちょっと、ビックリさせないでよ。大声上げるところだった」

「めちゃくちゃ可愛くて、キスしたくなった」その声に熱がこもっていたのをわたしは聞き逃さなかった。

「わたし、襲われる」まだまだ夜は長くなると、わたしは確信した。

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