第4話

 翌朝。目が覚めた時ズキズキとする頭の痛みに顔を顰める。


「お水飲みますか? おはようございます」

「んん〜、おはよう」


 そうだった。

 旅行に来ていて松岡くんと同じ部屋だったと思い出す。

 ペットボトルの水を差し出してくれる松岡くんから水を貰うより先に寝乱れた浴衣を急いで直す。

 恥ずかしいくらいに乱れ、もしかしたら胸元が見えていたかもしれない。ああ、でも私なんかの胸に興味なんてないか、と思い至ってしょんぼりしてしまう。


「朝から百面相するくらいに元気なら大丈夫ですよね? 朝ご飯行きますよ?」

「うん。行く。その前にお水ください」

「はい」


 受け取って水を飲むと気分も幾分良くなったように感じる。


「昨日はごめんね。あれ、そう言えば私……、ベッドでちゃんと寝たんだね?」

「いえ、そこの椅子で寝てましたよ」


 そう言いながら松岡くんは冷蔵庫の前にある椅子を指差す。


「え、……やっぱり? そこで寝ちゃた?」

「そのままにしておいても良かったですけど、首を寝違えられても困るのでベッドに運ばせていただきました」

「ごめんっ!! ホント!? ……本当にすみません」


 頭を下げる私の上に松岡くんの笑い声が降ってくる。


「はは、いいですよ。それくらいのこと僕は特に気にしてませんから」


 見上げた松岡くんの顔はとてもとても優しい顔をしていて、私はそんな顔を見るだけで胸がきゅっと痛んで切なくなった。


 今日でとうとうお終いなんだ。彼女として歩くんの隣にいられるのは多分今日で終わり。

 最後の一日なんだ。




 チェックアウトを済ませ旅館の外に出る。それぞれ傘をさすと、バタバタと雨の打ち付ける音が頭上で響いていた。

 これからの予定は昨日行けなかった方面を散策してお土産を買うくらい。だがしかし、


「彩葉ちゃん、私ねここの神社に行きたいんだけど行ってもいい?」


 申し訳なさそうにスマホを見せてくる友梨さん。そこは私も事前に調べて知っていた場所。

 恋愛成就のご利益がある小さな神社で縁結守が可愛いと記載されていた。

 そのお守りはピンク色の和柄布で包まれた貝と、青色の和柄布で包まれた貝が付いた根付で、『根貝ねがい(願い)守り』と名前が書いてある。

 ピンクの貝と青色の貝が合わせになり、一つになることでご縁が結ばれるという事だそうだ。


「でも……」


 私はいいけど、松岡くんには酷な気がしてならない。友梨さんとは決して結ばれない縁を願いに行くのは胸が苦しい。そんな苦しい想いを松岡くんにして欲しくない私はどうするべきか悩んでしまう。

 かと言って別行動にするのも違う気がするし……。


「何悩んでんの彩葉と友梨?」

「歩くん……」

「あのね、神社に行きたいんだけど、彩葉ちゃんが」

「どこの神社? 友梨見せて?」

「はい、ここ」


 友梨さんがスマホの画面を松岡くんに見せると、友梨が行きたいなら行けばいいじゃん、と簡単に言ってくれる。

 松岡くんの基準はいつだって友梨さんなのだということに改めて私は嫉妬してしまいそうになる。それから私の耳に顔を近付けると、素っ気なくこそっと囁いた。


――元彼との縁を願えばいいじゃん。


「は?」


 なんで、と疑問が浮かぶ私を余所に松岡くんは友梨さんと湊さんを促して先に歩き出す。

 松岡くんの口から『元彼』なんて言って欲しくないなんて想いもぶつけられず、胸の中でモヤモヤとくすぶっていた。


――それにもう私の心の中にいるのは彼じゃないのに。


 雨足が少しずつ弱まる中、石段をせっせと登って小高い場所にあるその神社に辿り着いた。

 手水舎の前に立ち順番に手水をして心身を清める。それから神前にて二拝二拍手一拝の拝礼を行う。私は少しだけ神様に松岡くんにも良いご縁をくださいと願ってしまった。これが松岡くんにバレたらまたお節介だと言われそうだけど。

 友梨さんがここに来た目的を果たすべくお守りを求めに社務所へ駆けて行くのを、どこか複雑な気持ちで眺めながらその背を追いかける。


「彩葉ちゃん見て見て! 布の取り方で一つずつ違って見えるね!」

「ほんとですね、可愛い」

「そうなんですよ、布も花柄や鞠とか色々あるのでお好きなものをゆっくり選んでくださいね〜。それに貝ガラは対になってるから他の貝ガラとは絶対に合わないようになってるんですよ」

「へ〜、そうなんですね」


 社務所内にいる巫女さんに相槌を返す私の横で友梨さんは真剣にお守りを選んでいる。


「私これにする! 彩葉ちゃんは? 湊くんと歩はどうする?」

「私はこれにしようかな」


 湊さんは隣の友梨さんに、私のも一つ選んで、と言っている。

 湊さんも買うなら歩くんも、……と思って声を掛けようとした瞬間、


「友梨、僕のも一つ選んでよ?」


 松岡くんは友梨さんに選んで貰いたいんだ。そうだよね当たり前だよ。嘘の彼女より好きな人に選んで欲しいなんて、当たり前だ。


「なんで私? 彩葉ちゃんに選んでもらいなさいよ。じゃあ彩葉ちゃん歩のお守りも選んじゃってね!」

「いや、でも」

「いいから、いいから」


 そういう友梨さんに押し切られるように私は松岡くんの分も選び、結局一つずつ『根貝』を求めることになった。

 どうぞ、と松岡くんに渡す瞬間の顔はどうしても見れなかった。



 神社を後に傘をさして石段を下る。


「友梨滑るから手繋いで」


 湊さんが友梨さんに手を差し出す姿に少しだけ羨ましいなと感じた。きっと松岡くんはそんな事してくれない。

 振り向いてはくれない背中に、期待するだけ無駄だと諦めた矢先、足をつるりと滑らせてしまう。


「きゃ――」

「え!? 彩葉!」

「いっっ……」


 幸い二段ほど滑り落ち、尻もちをついたお陰でそれ以上落ちる事はなかったのだが、驚きに心臓がばくばく鳴っている。


「大丈夫、彩葉?」

「彩葉ちゃん!!」

「大丈夫ですよ。あぁ、びっくりした。ははは、ドジだな〜私」


 心配かけまいと笑いながら立ち上がる。一人で立ち上がろうとする私に差し伸べられる手、……その手は松岡くん。

 松岡くんが心配そうな顔をして「掴まってください」と伸ばす手に、私は遠慮がちに右手をのせた。

 けれど滑らせた左足首に痛みがはしる。痛みになんとか声だけは出さないよう押し殺すが、歪んだ眉を松岡くんは見逃さなかったようで「痛いの?」と顔を覗き込むように近付いてくる。

 あまりの近さに胸が大きく鳴るから、松岡くんに聞こえてしまいそうで慌てて顔を背けてしまった。


「僕なんかじゃ嫌かもしれないですけど、乗ってください」


 心配そうな声が不機嫌なものへと変わったのが分かるのだが、それでも松岡くんは心配そうに、ほら早く、と背中を向けてくれる。

 嫌じゃない。むしろ嬉しい。けど友梨さんじゃなくてごめん。私なんかでごめんね。――そう心の中で謝りながら松岡くんの背に甘えた。


「重いよ、ごめんね」

「別に……」



 今日だけでいい。

 あなたの彼女でいさせてください。

 あなたの背中を独り占め、……させて。




 石段を全て下った所で松岡くんが湊さんと友梨さんに向く。


「ちょっと旅館に戻って応急処置してもらうよ」

「え、いいよ、これくらい大丈夫だから」

「歩、お願いね!」

「だから、大丈夫ですって、おろして、ね?」

「彩葉は黙ってて」


 鋭い声に反論もお願いも出来ない。


「二人は先に行ってて。あとで連絡するよ」

「うん、分かった」


 温泉街へ向かう友梨さんと湊さんと別れた。私はおぶられたまま旅館への道をゆっくり歩く松岡くんに声を掛けたくとも掛けれない。

 また『黙ってて』なんて言われてしまったら……、どうしよう。

 鈍臭くて、呆れられたかな?

 でも優しくされるとね、勘違いしちゃうんだよ?

 もしかして、なんじゃないかって。


 それを、そんな訳ない、そんな訳ない、と慌てて打ち消す。

 だけど旅館に着くまでもう少しの間、この特別の中にいさせて欲しい―――。



 旅館に戻ると私たちは奇異の目で見られた。

 そりゃそうだ。いい年こいた大人がイケメンにおんぶされてる構図はどこからどう見てもおかしい。


「彩葉はここに座って待ってて」


 ロビーのフカフカのソファに優しくおろされる。もう少しぞんざいに扱っても壊れないよ? と言うくらい丁寧にされるから調子が狂いそうだ。

 フロントに向かう松岡くんの背中が逞しくて、後輩なんて思えなくなる。

 あの背中を独り占めしたいだなんて思う日がくるなんて……、どうしよう。だけどこの甘い関係は友梨さんたちがアメリカに行くまで。と言っても多分今日で終わり。


「彩葉? もしかして痛む?」


 湿布をもらってきてくれた松岡くんが私の表情を読む。


「うん……」


――痛い。

 その一言は、大丈夫だよ、に換えて微笑むと、ほんとに? と訝しみながらも左足首に湿布を貼ってくれた。その優しさが胸に沁み入る。

 どうしようもなく痛むのは足じゃない。胸なんだ。

 ともすれば泣いてしまいそうになるのを、湿布の上を手の平で押さえて誤魔化した。


「やっぱり、ちょっと痛いや……」

「じゃあ少しここで休みましょうか」


 こくんと、頷くと松岡くんは私の隣にぴたりと寄り添って腰をおろす。

 すぐ近くに感じる松岡くんの体温が心地よくて、私は私が言うべき言葉を発せなかった。


――私の事はいいから友梨さんたちと合流して楽しい思い出作っておいでよ。


 言わなきゃいけないのに、言えない。いや、言いたくない。

 行って来ていいよ、なんて言いたくない。

 お願いだから最後だけは我がままなことを言う彼女わたしの側にいて欲しい。



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