4.ほんとは付き合ってません

「なあ月見里。ちょっと……」

「何、川辺?」


 こそこそしながら手招きする川辺に首を傾げながら席を立つ。

 もしかして結城さんのことで何か言いづらい不手際でもあっただろうかと思い至り、急ぎ足で着いて行った。


 自販機のある休憩室に入った川辺は缶コーヒーを二本買うと一本を私に渡す。


「ごめん、何かミスがあった? やっぱりチェック入れた方が良いかな?」

「あーー、違う違う。結城さんなら大丈夫。問題はそれじゃない」

「じゃあ何?」


 他に思い当たるものが分からず首を傾げると、川辺が周囲を気遣うように声を落とす。


「あのさ、月見里って付き合ってるやついるの?」

「はいっ!?」

「いないよな、そんな気配全然なかったし、いないよな?」

「それは、も、……もちろん」


 ギロリと覗き込む川辺の瞳を避けるように視線を横にズラす。


「土曜の夜、男と一緒に電車に乗ってる月見里を見たんだけどさ」


 まさか見られていたとは……。

 それに対して何と答えていいか分からず困惑してしまう。


「やだな、……誰かが隣にいただけじゃない?」


 言い方が必死に言い訳するみたいで背中に汗が出ているのを感じた。

 すると休憩室の扉からひょこっと顔を出した結城さんにびっくりして、わっ、と声が出る。


「あの、私も見たんです。先週、映画館から出て来る月見里チーフと、……松岡さんを」


 完全に見られてた!?――と慌てたのたが平静を装って、ああ〜、と返した。そのどっち付かずな私の返事に結城さんが私へと身を寄せる。


「すごく親しげに寄り添ってましたよね?」

「あ、たまたま? 同じ映画見てて、それが泣けるやつで、私さ涙もろくてめっちゃ泣いてたんだよね。それをさ、松岡くんに見付かって……」


 半分は本当のこと……。


「じゃあやっぱり付き合ってる訳じゃないんですよね?」


 もちろんだよ――と言う声は別の声に消される。


「付き合ってますよ、僕たち」


 その声にばっと扉の方を向くと、そこには松岡くんがいた。


「な、……な」


なんて事を言ってくれたんだよ、と唖然としながら睨みつけると笑顔で躱される。そんな笑顔を見た結城さんが目に涙を浮かべて、ほんとですか、と聞いてくる。


「ほんとに、ほんとですか?」

「いや、それは、その……」


 松岡くんは笑顔を崩さない。でもここで否定すると、またややこしくなるのだろうかと躊躇してしまう。すると、それをどう捉えたのか結城さんが肩を落として涙をほろりと零した。


「やっぱりそうなんだ」

「え、結城さん?」


 ポケットからハンカチを出した結城さんは目に残る涙を拭くと、お手洗いに行きますと飛び出した。追い掛けようとした私の肩に川辺が手を置く。


「マジで付き合ってんの?」


 私は軽く目眩がして額に手をのせる。


「今日仕事終わったら付き合え二人とも。詳しく話せよ。俺、外回り行ってくる」


 なんで、どうして、こうなる?

 言い訳も出来ないままに川辺も出て行った。


「あーー、もうっ」


 全部、全部、ぜーーーんぶっ、松岡くんのせいだと言うように、きっと睨みつけた。



 仕事が終わると、川辺に連行され居酒屋に行く。とりあえずビールは後だと言わんばかりに川辺はウーロン茶を三つと注文し「それでいつから?」と聞いてくる。


「だから誤解なの、違うんだって」

「そうなのか松岡?」

「いえ本当です。最近付き合い始めたばかりで照れてるんですよ。ね、?」

「おまっ、松岡っ、下っ、下の名前っ、呼び捨てっ――」

「付き合ってるんですから当然ですよ、名前で呼ぶなんて。恋人なんだから呼び捨てするくらいいいですよね、?」


 完全に遊んでる松岡くんに私は項垂れた。


「川辺主任、嫉妬しないでください。僕が月見里さんを取ったからって。いつまでも何もせず傍観してる川辺主任が悪いんですよ。だから僕なんかに取られるんです」

「な、なっ、それ、おい!」

「えっ、川辺もしかして私のこと……好きだったの?」

「月見里お前もそう言う事言うなよ」


 そう言って顔を赤くする川辺を初めて見て、それに私の方が驚く。


「えっっ!?!?」

「何でだよ。って、俺の話しにすり替えるな松岡! もう、ビールだ、ビール! で、やっぱり本当に付き合ってんのか?」

「女々しいですよ、川辺主任。嫌われちゃいますよ月見里さんに」


 松岡くんのその一言に打撃を受けたのか川辺はビールが届くまで黙っていた。

 ジョッキで一気にビールを飲み干した川辺は、プハーと吐き出すと、何でだよとまた言い出す。


「だってさ、月見里はずっと待ってるんだと思ってたんだ。そこに俺の入る隙なんてないと思ってたのに、……なんだよ松岡。スルっと入り込みやがって」


 それだけ言って川辺はまた黙る。

 そうか。川辺は私が彼をずっと待っていると思ってたんだ。それはそうか。別れた事に後悔はしなかったけど、いつか帰って来るのを待ってるんだって泣いた時、陽菜と川辺が隣にいてくれた。だからここまで仕事を頑張ってこれた。

 ただあの時は心がぐちゃぐちゃで彼を待つとか言ってたけど、連絡さえ寄こさない彼を待つというのがどれほど愚かかと言う事に気付いてからは彼の事も待つ事も諦めていた。

 昨年度末に陽菜と恋愛を頑張ろうと決意したばかり。だけど松岡くんと付き合っているのはただのフリ。

 それは結婚してアメリカに行く友梨さんに安心してもらうため。もしくは好きな人が勝手に離れて行く事への当てつけでしかない。


 私と松岡くんの間には嘘の関係しかない。

 川辺の気持ちは純粋に嬉しいけど、……受け取る事は出来ない。川辺をそんな目で見たことがなかったから急にそんなことを言われても私は戸惑ってしまう。


「誰を待ってるんです?」


 静かに問う声に私は何と返していいかためらっていると、代わりに川辺が「恋人」と答えてくれた。そのワードになんだか私はいたたまれない気持ちになり俯く。もう川辺も松岡くんの顔も見れそうにない。


 私の恋はここにはないのだろう。

 私の恋はどこにあるのだろうか。




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