第20話 願いの灯

「あっ、あれ」


 とある神社の前までやってくると、俺は足を止めて境内を指さした。


 こんな時間なのに人だかりができている。


 その人だかりの中央から、オレンジ色に揺れる大きな炎が、夜空を温めようとするかのごとく燃え上がっていた。


「そういえば今日だったんだね。願いの灯」


「懐かしいな」


 願いの灯というのは、この神社で毎年行われている、七歳を迎える子供ためのイベントである。


 まず、神社が用意した薄っぺらい紙(一枚百円もするんですよ、ほんといい商売してますなぁ)に子供たちが一つだけ願いを書く。


 次に、メラメラと燃える炎の中に投げ入れ、煙に変えて空へと送り届ける。


 そうするとその願いを御先祖様が叶えてくれる、というどこの地方にもありそうな定番行事だ。


「昔さ、私たちもみんなで来たことあったよね?」


「そうだっけ?」


「私と、智仁と、莉子の三人で、覚えてないの?」


「そんなことあった気がしなくもないような」


 言われてぼんやりと思い出す。


 たしかに昔、俺と俺の両親、愛実と愛実の母親、莉子と莉子の両親でここに来たような……。


「あの時の智仁、妙に大人ぶってて面白かったなぁ」


「俺が?」


「え? それも忘れたの?」


 愛実によると、どうやらその時俺は、


「【星座戦隊せいざせんたいオリオンレッドみたいな正義のヒーローになる】って夢にする!」


 と目を輝かせていた知らない男の子を見て、


「子供っぽ過ぎだよ」


 とバカにしたのだそうだ。


「私あの時さ、そういうことバカにする智仁の方が子供っぽいって、心の中で思ったもん」


「あー。そういえばそんなこと言ってたような」


 全然覚えていないが、そんな気がする。


 当時の俺って結構ムカつくガキだったんだな。


 戦隊モノのヒーローになりたいなんて、いろんなものを知ってしまった大人が抱くことのない、すごく素敵な夢じゃないか。


「ほんとになにも覚えてないんだね。じゃあ、自分がなんて書いたのかも覚えてないの?」


「あ……えっと…………覚えてないな」


 俺は愛実から目を逸らす。


 口ではそう言ったが、覚えてないなんて嘘だ。


 あの時のドキドキや、火照った顔に当たった夏の夜風の感触、心がきゅっと苦しくなって涙をこらえたことだって思い出せる。


 あれ?


 でも俺はなんであの時、悲しくなったんだっけ。


 たしかあの時は、今日と同じように愛実から尋ねられたはずだ。


 ――ねぇ、智仁はなんて願ったの? こっそり私にだけ教えてよ。


 ――ダメ。絶対に秘密。


 俺は秘密だと誤魔化して、誰にも見られないように炎の中へ短冊を入れた。


 だって、当時の俺が書いた願いは【愛実といつまでも一緒にいたい】だったから。


 恥ずかしくてそんなの言えるわけないじゃないか!


 初対面の時には、なんのためらいもなく『お父さんの代わりに愛実ちゃんを守るよ』なんて言えたのに。


 一緒に過ごしてきた時間が多くなったせいで、自分の気持ちを伝えることがかえって恥ずかしくなってしまったのだ。


 そして、高校生である今の俺も、当時の俺と同じく願いの内容を愛実に言うのを恥ずかしがって誤魔化した。


 まったく成長してないな、と小さく笑う。


「え? なんで笑ってるの?」


「いや、別になんでもないよ」


「嘘だぁ。絶対なにか隠してる。ほんとは覚えてるんでしょ」


 目を細めた愛実がのぞきこむようにして見上げてくる。


 だから言えるわけないだろ。そんなこっぱずかしいこと。


「ほんとに覚えてないって」


「絶対嘘」


「嘘じゃないって。ってか愛実はどうなんだよ」


 これ以上追及されたくなかったので、話の主導権を握るべく話題を愛実の願いに移した。


「……いや、私は……」


 愛実の歯切れが急に悪くなる。


「なんだよ。愛実だって覚えてないんじゃないか」


「うるさいわねぇ。昔のことでしょ」


「俺は覚えてるぞ。愛実の願い」


 正確には、覚えているというより思い出したと言った方が正しい。


 それと同時に、あの時抱いた虚しさと悲しさもよみがえってきた――――あ、だから俺は愛実に見せたくなかったんだ。


 恥ずかしかったんだ。


 悲しくなったんだ。


「それ……ほんと、に?」


 愛実は目を見開いてから顔を逸らして、頬を真っ赤に染める。


「智仁、私の願い見てたんだ」


「見てたもなにも、愛実が自分で見せびらかしてきたんじゃないか」


 あの時の愛実はやたらとテンションが高かった。


 願いを書き終えると同時に短冊を掲げて、俺や莉子、保護者としてその場にいた親たちに見せびらかしていた。


「【大きくなったらお父さんみたいな医者になりたい】って書いたんだよ! なんて自慢げに言ってさ」


「嘘? 私、そんなことしてた?」


「してたしてた。めっちゃ見せびらかしてたじゃん。だから俺の記憶に残ってんだよ」


 残らないわけないだろ。刻み込まれないわけないだろ。とあの時感じた怒りをちょっとだけ思い出した。


 だって、愛実の願いは【医者になりたい】だったのだ。


 俺は【愛実といつまでも一緒にいたい】だったというのに。


 愛実は同じことを願ってくれなかった。


 この気持ちでいるのは俺だけだったのか、愛実にとっては医者になることの方が重要だったのか、俺だけこんなこと願ってバカみたいじゃんと、すごく悲しくなった。


 だからその後、愛実に願いの内容を聞かれた時に、絶対言わないと誤魔化してしまったんだ。


「そっか。言われてみればそうだったような……気がするかも」


 愛実もようやく思い出したのか、えへへと苦笑いを浮かべている。


「かもじゃなくてそうなんだって。でも、そう考えると願いの灯って案外正しいのかもな。愛実は医者に向けて一直線だから」


 俺もゆちあの登場により、こうして愛実とまた話せるようになったのだから。


 ――――ん?


 ってことは、ゆちあが俺たちの前に現れたのって、まさか俺の【愛実といつまでも一緒にいたい】って願いを叶えるため?


 いやいや、そんな非現実的なことあってたまるか。


 心の中に出てきた思考を取り払う。


 しかし、次に俺の脳内に浮かんできたのは、あの日、俺と愛実が莉子に「なんて書いたの?」と聞いた場面だった。


 ――私は、【じいちゃんとまたお話ししたい】って入れたよ。


 たしかにあの時、莉子はそう教えてくれた。


 だから莉子には死者と話せる能力が……。


「たしかに私の願いは叶いつつあるから、そうなのかもしれない」


 愛実の声が聞こえて、俺はふっと我に返る。


 愛実は俺の背中で眠っているゆちあの頬をそっとなでてから、俺の目を真っすぐ見据えた。


「だ、だろ?」


 俺は愛実から目を逸らし、神社の境内で燃え上がる炎を見た。


 隣で愛実も同じようにしているのがわかる。


 不安定に揺れていた心が、なぜだかすーっと落ち着いていく。


「炎ってさ、見てるだけで穏やかな気分になるよな」


「F分の一の揺らぎって言うらしいよ。それを持ってるものを見ると、人間は本能的にリラックスできるんだって。実験で証明もされてるらしい」


「それ証明しようとしたやつって、すげーストレスたまってたんだろうな」


 愛実の解説を聞いた後も、俺は炎から目を逸らさなかった。


 幻想的な時間に浸り続けた。

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