第二章 フレンチトースト

第8話 ゆちあに甘々な二人

「起きろー!」


 舌足らずな甘い声が上から降ってくる。


 誰だよ、こっちは久しぶりにいい気分で寝てるんだ。


「おとーさん起きろー!」


 今度は腹がどんどんという衝撃とともに揺れ出す。


 んん、もう少し寝させてくれぇ……。


「おとーさん起きろっ! おとーさん起きろっ!」


 これ、もしかして腹の上でなにかがジャンプしてる? 体操世界選手権の床の会場は俺の腹の上だったか……じゃねぇよ! シライ3なんてやられた日にゃ内臓破裂だよ。痛い痛い痛い! ってなんでここに子供が?


「んんん、ゆちあか、おはよ」


 そっか。


 ゆちあ、って名前だったなぁ。


 昨日、愛実が連れて来たんだったなぁ。


「おはよ、おとーさん。おかーさんもう起きてるよ。早く顔洗ってって言ってた」


 ゆちあは俺の体から下りて、ベッドの空いているスペースにちょこんと座る。


「なんだよそれ。愛美のやつ、ほんとにおかーさんやってんだな」


 子供の言葉に乗せられちゃって、ほんとどうしようもないな。


 頭をかきながらぼそりとつぶやくと、ゆちあがきょとんと首を傾げる。


「おかーさんはほんとにゆちあのおかーさんだよ」


「そうだったな。ゆちあのおかーさんは早起きで偉いなぁ」


「ゆちあもおかーさんと同じくらいに起きたんだよ!」


「そうか。よしよし、ゆちあも偉いぞ」


 ゆちあの頭をわしゃわしゃとなでてやると、ゆちあは「えへへ」と頬を赤く染めた。ゆちあが愛実のことを『おかーさん』だと思っている理由はまだ聞けていないが、本人たちがそれでいいなら訂正する必要もないだろう。俺だって、愛実がゆちあに『おかーさん』って呼ばれているのを聞くの、嫌じゃないし。

 

 ちなみに、なぜゆちあが俺を朝起こすというイベントが発生したのかというと。


 昨夜。


「ねぇ、ゆちあを智仁の家に住まわせることはできないかな? だってうちにはお母さんいるし、この子のことなんて説明したらいいか」


「それは……」


 たしかにと思う。


 高校生の娘が誘拐した子供と一緒に帰ってきて、その子と一緒に住みたいと言ったって、親がはいわかりましたとすんなり認めるわけがない。


「智仁の家に住むのが一番なの」


 まあ、ゆちあは俺のことをおとーさんと呼ぶくらい懐いているし、俺は現在一人暮らしだし。


 総合的に考えて、俺の家が一番ゆちあの住む場所として適しているのは明白だった。


「しょうがねぇか。そうするしかないしな」


「私もできる限り来るようにするから」


「ああ、助かる」


 頷きつつ、リビングの時計を見る。


 もう夜の十時を回っていた。


「あれから三時間くらいたつし、そろそろ制服も乾いてるだろ。夜も遅いし愛美はもう帰れ」


「うん。ゆちあのことよろしくね」


「ええっ!」


 ゆちあが突然声を張り上げて、涙目になる。


「やだやだやだ。ゆちあ、今日はおとーさんとおかーさんと一緒に寝たい!」


 駄々をこね始めたゆちあにどう接していいかわからず、俺と愛美は目を見合わせる。


「今日は三人で寝るってゆちあ決めてたの!」


「じゃあ今日だけね。わかった?」


 おい即答かよ!


 愛美の言葉に驚く。


 お前、ゆちあに甘々すぎないか?


「ほんとに? やったー! 今日はいつまでもおとーさんとおかーさんと一緒!」


「なに勝手なこと言ってんだよ」


 全身で喜びを表現するゆちあをよそに、俺は愛美を問いただす。


「だってしょうがないじゃない。ゆちあのお願いなんだから」


「そうだけど、じゃあお前も今日ここに泊まるってことか?」


「ここからでも学校には行けるし、智仁なら安心だし」


「そういう問題じゃ」


「うちの親には友達のとこに泊まるって伝えるから」


 愛美はどうやら本気らしい。家に泊まるって、そんな急展開ある?


 困惑が腹の底の方に沈殿している。


 そんな俺を、ゆちあがまんまるおめめで見上げてきた。


「おとーさん。ダメ?」


「……ゆちあが言うなら仕方ないか」


 ゆちあに見つめられただけで、肯定してもいいかと思うから不思議だ。


 さっきまでの抵抗感がない。


 他人の子供でこうなのだから、本当の子供が生まれた時俺はどれだけ甘やかすんだろうなと、自分の親バカっぷりを想像せずにはいられなかった。愛実のことさっき甘過ぎなんて言ってごめんなさい。


 ……あ、俺そもそも家族作る気ないんだった。


 俺なんかが家族造ったってどうせ失敗するから。


 平凡な俺が子孫を残す意味なんてないから。


「やったぁ! 今日は三人でずっといっしょー。いっしょいっしょー」


 俺はぴょんぴょん跳ねるゆちあを見ながら、心の中で自分を嗤った。

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