第3話 初めて母が辿り着いた日

25年前

当時16歳の高校生だった私は、勉強も好きじゃないし中学からいじめられ続けていて、学校に行くのが嫌でたまらなかった。

親に話したところで、負けるな!と気合いを入れられるだけ。先生に話すなんて以ての外。

今日も無視と陰口が広がっている教室。あり得ない噂ばかりが流れていく。体育では準備体操すらペアになってくれる人がいない。すぐ近くでは3人で組んで体操している人たちがいるのに。

お弁当は部室で。文芸部には部員が4人しかいないし、みんなほとんど顔を出さないから、ここは私の城だ。手早くお弁当を平げ、ゆっくり妄想にふけって物書きをしながら昼休憩を過ごす。

私がここにいる意味は何なのか。なぜこんな目に遭わなければならないのか。私は、噂で耳にするような人間じゃない。みんなどうしてあんな話を信じるの。私はどうしてターゲットにされるの。学校全体が敵に見える。小声で話している人たちはみんな自分の悪口を言っているんじゃないかと錯覚する。私は、私は…

たまに、どうしようもなく泣きたくなって、午後の授業を保健室で過ごしたりした。

それでも、幼い頃に見た恐竜や生命の誕生、地球誕生などの宇宙の話、それらのいずれかに将来関わりたいというぼんやりした夢があった。そのために勉強は必要だった。夢だけが、私の通学を後押しした。


心を削りながら、あの日も学校へ行っていた。

梅雨前線が停滞し、もう2週間も雨が降り続いていた頃だった。

世界史の授業を聞き流しながら、窓際2列目の席でぼんやり外を眺めていた。

暗い空から雨粒が窓に打ち付け、先に付着していた雨粒を巻き込んで落ちていく。

蒸し暑くジメッとした教室なのに、ザーザー降る音が心地よく響き、気分は穏やかに晴れてきた。

ふと、ピントを切り替える。

窓には私の顔が映っていた。眠そうな顔だな。

思った途端、窓の私が消えた。

目を凝らすと、今執筆している世界観に似た、石造りの街と豊かな森が広がっていた。もっとよく見ようとメガネを拭いて再び掛け直すと、私は窓に映っていたはずの世界に立っていた。教室の面影はどこにもない。

もしかしたら私は、世界史という子守唄で寝てしまったのかもしれない。

これは面白い。起きたとき覚えていたら、この世界を丸ごと書き込もう。

そのためには細かく観察しなくては!


カズハの冒険、始まりだ!


意気込んでキョロキョロしながら歩いていると、向かいからおっさんが私目掛けて走ってくる。

え、なに、怖い!

反射で元来た道を走る--が、なんと身体が急停止してしまった。

なんでだよ!逃げてよ私!金縛りにでもあってるの!?

混乱している間に、おっさんは私の目の前までやってきてしまった。

息を切らしたおっさんは、焦げ茶色の角刈り頭で、海外のパレードで見る軍人さんのような服装をしている。

左胸に、黒色に光る石がブローチみたいにつけられていた。

「あなた!異世界の者ですね!?どうやってここへ来たんです!?誰の差し金で」

やたら早口でまくし立てられたかと思ったら、今度は急に黙って何かを考え始めた。なんだこの人…。

とりあえず、何か言い出しそうなので待ってみると、思い当たることがあったらしく再び私の顔を見た。

「突然失礼した。私はアデムと申します。教師です。」

「垣岡 和葉 (カキオカ カズハ)…と申します。高校生です。」

思わずこちらも名乗ってしまったが、アデムさんは疑問にまみれた顔をしている。

「こうこうせい…?とは、どのような職業ですか?」

なるほど、この世界に高校生というものは存在しないのか。メモしたい情報だが、今は怪しまれては困る。我慢しよう。

「私の世界では学生……えっと、小学校・中学校・高校・大学と、年齢や学力に応じて進級していく制度がありまして、私は現在高校の1年生です。」

ほー、区分けの方法が面白いですね…と興味深そうに何度も頷いたあと、では何かを学ばれている最中ということですね?と確認され、同意した。

するとアデムさんは、自らの胸の前で手を合わせ、2回拍手してそっと本のように開いた。

アデムさんの手の中に、六法全書を思わせる分厚い本が出現した。魔法モノの話に出てくるような、赤紫色のハードカバーで、金色の縁取りがしてある。見開きA3くらいの大きさの本だ。随分使い込んだと思われる見た目だが、見たことのない文字ばかりで私には読めそうもない。

何が書いてあって、アデムさんは何を調べているのだろうか。手から本を出せるのだから、やはりこの世界ではそういった魔法が普通なのか。とても面白いじゃないか。私もそんな能力があればなぁ…

そう思った瞬間、アデムさんの本の文字が急に読めるようになった。

「異世界者の召喚には召喚士1人につき上級以上の魔導師5人の結界が必要…?」

うっかり音読してしまい、アデムさんがハッと顔を上げて私を見つめる。目が点だ。

盗み見なんてダメですよね、そうですよねごめんなさい。

「……読めましたね…?」

「へ?…あぁ、はい、なんか急に読めちゃって…」

「こちらへ!」

そう言うや否や、私の右腕を掴んで競歩の選手かと思う速度で歩き出した。私は何が何やら理解が追いつかないまま、転ばないようアデムさんについて行くしかなかった。



石造りの家々が密集するエリアを抜け、綺麗に加工された灰色の石が敷き詰められた道に変わる。

アデムさんが右手を前方に突き出し、手のひらを前へ向けた状態で左から右へ腕を動かした。

突如目の前に、某有名ゲームに出現する巨大城のような灰色の石造りの建造物が現れた。門戸が自動で開く。

吸い込まれるように開いた扉へ入っていくと、銀行の窓口のようなレイアウト(でも石造り)の空間が広がっていた。

「ここは魔法省本部です。カズハさん、あなたが何故この世界に来たのか調べる必要があります。ご協力願います。」

ここまで連れてきておいてご協力も何も…そうするしかないじゃないか。

頷くとアデムさんは、窓口の白髪男性に声をかけた。何かを話し、窓口の男性はガタッと立ち上がって私を見た。そして後方で作業していたと思われる人々も驚いた顔で私を見ている。明らかに歓迎はされていない。詰んだかもしれない…。

しばらくして、私とアデムさんの中間くらいの場所に風が渦を巻いた。そしてフワッと女性が現れた。黒く腰くらいまであろう長い髪を頭の上の方で1つに束ねており、水泳に使用するような完全フィットの全身黒タイツに、黒い手袋、黒い靴、申し訳程度のスミレ色のミニスカに同じくスミレ色のスカーフとポンチョの間のようなものを上半身に纏っている。

「リビナ議長!」

窓口の男性が叫んだ。何かの議長をされている女性か、格好良いな…。目つきキツイけど。

リビナ議長と呼ばれた女性は、私をじっと見てから少し笑んだ。

「驚かせてすみません。リビナと申します。ここ魔法省で行われる審議会の議長を務めております。我々は現在、異世界者の召喚について審議しておりました。しかし決着が付いていない今、あなたが現れたために少々混乱が生じております。ご容赦ください。」

言うと女性は会釈して窓口へ向いた。

「ルーダ長官、召喚士を全員緊急招集します。アデム先生はベロニカ理事長へ知らせてください。残りは持ち場へ戻りましょう。以上!」

その声を合図に、今までわらわらと集まっていた人々が一瞬で消えてしまった。アデムさんもいない。

「不安でしょうが、どうぞご安心ください。あなたに危害を加えることは絶対にありません。保証します。少しの間お待ち頂かなくてはならないのですが、お茶はいかがですか?」

優しい声色でリビナ議長が言う。する事もなく帰ることも出来なさそうなので、お茶を頂くことにした。


リビナ議長に付いて行くと、建物の中とは思えない広い庭に出た。某天空の城のように、建造物の中にいて空が見える。

この庭に立ち、リビナ議長が時計回りに1回転して顔の前で手を1回合わせた。

するとカフェテリアのようなお洒落な丸テーブルとイス、お茶セットも出現した。

なんて素敵な魔法なの…。

華麗な動きと結果にうっとりしていると、席を勧められた。慌てて座ると、リビナ議長は紅茶を注いでくれた。白いカップに金の縁取り、ネモフィラ色で描かれた小さな花、そこに注がれるお茶からはイチゴの香りが漂う。

あ、忘れてた!と呟いたリビナは、右手をパトランのようにクルクルっと回した。テーブルの上にクッキーが現れた。

「お茶にお菓子は必須ですよね」

リビナ議長は微笑みながらそう言うと、お茶を一口飲んだ。優雅で品があって愛らしい仕草もする…こんな素敵な大人女子になりたいと多くの人が思うに違いない。そして議長ということは、きっと仕事もバリバリ出来る人なんだろう。神は二物を与えないって言ったやつ出てこい。

私もお茶を飲む。ストロベリーティーの香りが口いっぱいに広がり、喉を伝って身体を温める。指先がじんわりしてきて、今までずっと緊張していたことに気付いた。

ほっと息をつくと、リビナ議長は優しく微笑んでこちらを見た。

「何の因果か今はまだ分かりませんが、こうしてお茶を共に楽しめる方にお会いできて良かったです。」

そう言って、クッキーを齧って至福の時と言わんばかりの顔をした。あまりに美味しそうに食べるので、思わずじっと見つめてしまった。そのことに気付いて私も慌ててクッキーを頂く。ミルクチョコとストロベリーチョコがトッピングされたクッキーは、サクッと軽やかで柔らかい口溶け。あぁ、至福のひとときだ。思わず右手を頬に添えた。そしてこれを見る限り、リビナ議長は苺がお好きなようだ。ほら、また口に運ぶ度に最高の笑顔で、顔の周りに花が飛んでいるよう。先ほどまでの鋭い目付きは何処へやら。オンオフ切り替えが上手な人なのかな。

そんなことを考えていると、少し離れたところに人の気配がした。

見ると、アデムさんが現れた。


リビナ議長がカズハの反応をじっと観察していることには気付かなかった。


「お茶の途中に失礼致します。アデム、戻りました。リビナ議長へお伝えしたいことがございます。」

「ここで構いません。どうぞ。」

リビナ議長はそう促すと、またお茶を飲んだ。

アデムさんは少し躊躇ってカズハを一瞥したが、リビナ議長に動く気が無さそうなので諦めたように話し始めた。

「まずベロニカ理事長ですが、件の学生たちによる集団いじめについて、処分の審議中でございます。重要且つ早急な対応が必要なため、優先させて頂きたいとのことでした。次にルーダ長官より、召喚士の全員召集が完了した旨を預かって参りました。報告は以上です。」

集団いじめとは穏やかではないな。こちらの世界にもそんなものがあるのか。何となく、異世界にはいじめなんて無いものだと思っていたが、人が集まればやることは同じらしい。

話を全て聞き終えて、リビナが立ち上がった。

「ご苦労様でした。ベロニカ理事長には、審議後に来られるよう再度お伝え願います。私はカズハさんと共に召喚士議会へ出席致します。その途中でベロニカ理事長が来られた場合、議会へ途中参加頂きたい旨も同時に。」

「承知致しました。」

アデムさんは風を巻いてスッと消えた。

呆気に取られてその場に立っていると、リビナ議長が手を鳴らした。振り返ると、カフェテリアな空間は消えていた。

「お待たせしました。我々も参りましょう。」

少しキツイ目に戻ったリビナ議長が言った。

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