24 「ある日、首都で人気のサーカス団がルミリエにやってきてさ」

「ある日、首都で人気のサーカス団がルミリエにやってきてさ。当たり前のように僕は行きたいって両親にねだって、爺さんに会いに行くついでに僕らは馬車に乗ってルミリエに向かったんだ。知ってるだろうけど、郊外から中心部まで行くには、細くて荒れた崖を通る必要がある」


 ウェズリーの言葉に返事をする事なく頷く。横目で見た主人の瞳は、背の高い本棚のおかげで何時も以上に暗い色をしていた。


「ライオンが火の輪をくぐるらしいよ、父さんは空中ブランコが楽しみだな、そんな話をしていた時だった。御者が急に叫び声を上げたんだ。向こうの岩陰に銃を持った人が居てこっちを狙ってる、ってね。ふんっ……」


 主人は日頃から鼻を鳴らして笑う人ではあるが、これを言った時の笑い方は今までのどんな笑い方よりも冷ややかな物だった。


「銃なんて王様が持ってるような物、そんなところに持っている人が居る訳無いのにね。ましてや一般人を狙うなんて、空から魚が降って来るくらい有り得ない事だよ。……でもその人には、本当に見えていたんだ」


 自然と眉を潜めていた。主人の言う通り、有り得ない話だ。


「楽しい時間は急に終わって、何が起こったって馬車の中が一気に緊張した。頬の強張った両親を見て、僕も言い知れぬ恐怖を覚えた物だったよ。そしてパニックに陥った御者は慌てて細い道を曲がったんだ。慌てた状態で崖っぷちを曲がったら、馬車はどうなると思う?」


 少ししても言葉が続かなかったので、自分に聞かれているのだと気付いた。リタは顎を引いて考え、ぽつりと口にした。


「……馬は道を回れたでしょうが、馬車は回れなかった……でしょうか?」

「そう。リタはやっぱり賢いね。馬が崖から落ちる馬車を引き上げられる訳もなく、僕らを乗せた馬車は奇声を上げ続ける御者諸共崖底に落ちていったんだ」


 その時の状況がありありと思い浮かび、思わず両目をきつく瞑る。郊外の山道は中心部行きと郊外行きとでルートが違い、道が狭い。それゆえに起こってしまった悲劇と言える。


「……両親が咄嗟に僕を守ってくれたから、崖下に落ちようと僕は奇跡的に全身の骨折ぐらいで済んだ。だけど両親は二人共……馬も御者も、当然死んでいた。木片と血の海の中、僕はどんどん冷たくなっていく母親に抱き締められながら、現実が受け入れられなくて何にも考えられなかった。意識はどんどん鮮明になっていくのに動けないし声も出ない。上手く息も吸えないしお腹も空くし、朝が二回来たのに誰も気付かなくて、……せっかく助けて貰ったのに死ぬんだろうなって思った頃、近所の人が探しに来てくれて僕は助かったんだ」


 淡々と己の過去を語っていたウェズリーは、己が生きている事を確認するように深く息を吸うと口を閉ざしてしまった。その時の主人の気持ちが伝わってくるだけに、やるせなくて、悔しくて泣きたかった。

 その時この青年はどれだけ絶望したのだろう。不可解で理不尽な事故への説明もなく、親の温もりが消える瞬間を感じるなんて自分だったら耐えられない。俯く間もなく、視界が滲んできた。


「っ……」


 だから主人は決して馬車に乗ろうとしなかったのだ。馬車の事故はいつ起きるか分からない。最近だって馬車の事故があったのを新聞で読んだ。鼻を啜った自分を主人が見た気がした一拍後、主人が再び語り出した。


「助かった僕はルミリエにある爺さんの家の近くの病院に送られた。どうもあの御者は阿片中毒者だったみたいでね、僕の家族は阿片切れを起こした廃人に殺されたってわけだったんだ。文字盤を使って事情を医者に伝えた日の夜、……爺さんも突然の愛娘の訃報に動転し、病室で僕と目が合った瞬間こう言ったんだ。なんでサーカスに行きたがったんだ!、ってね。大丈夫? でもなくさ。信じられる?」

「……それは」


 言葉に詰まった。温和だったデヴィッドからは想像もつかぬ酷い発言だが、それだけにあの故人がどんな気持ちだったか伝わって来てしまう。自分ももし理不尽な事故で突然両親を失ったら、気が動転して分かっていても弟を責めてしまうだろう。デヴィッドもそうだったのだ。


「僕がサーカスに行きたがった事と、両親の死に関係無い事は分かっているよ。爺さんもすぐに自分の言葉が不適切だった事に気付いて謝ってくれたけど……幕でも下りたみたいに頭の中に入ってこなかった。……それからだよ、爺さんと話さなくなったのは。爺さんは自分から愛娘を奪った僕を恨んでる、って思いながら生きてきた。言葉ではどう言ったって、内心までは分からない。爺さんはその後ずっと僕に優しかったし面倒も見てくれたけど、そういう態度も全部、僕に酷い事を言った罪悪感から来てるとしか思えなかった。そんな事で、って馬鹿にする人も居るだろうけど、……僕は爺さんを避けながら生きる道しか知らなかったんだ」


 ウェズリーの話を聞き、二人の間にあった確執が理解出来た。だからこの青年はこんな性格をしているのだ。しているからこそ繊細で、また傷つきたくなくて、デヴィッドを避けていたのだ。デヴィッドも自分の非が分かっていたからこそ、海岸通りを歩く度に悲しそうに笑っていたのだ。


「……そんな事故で得られた事は、ベッドの上で読んだ本が楽しくて、時間を忘れられる物だったって事だけ。そのマシュマロの幽霊もさ、爺さんが僕に買ってくれた物なんだよ。本に罪はないから爺さんに貰った物でも大事にしてるし偶に読み返してるけど……そんなところに落ちてたんだね」


 気を持ち直すかのように主人が今までよりかは明るい声でそう結び、こちらが何か言う前に再び口を動かした。


「そういうわけで、僕は爺さんから愛娘を奪った阿片を、爺さんが栽培しているわけがない、って考えているんだ」


 一連の話に思うところはあったが、まだ自分の気持ちが纏まっていなかった。なので首を縦に振って頷く。


「……寧ろ、告発しようと思ったのでしょうね。それを阻止しようと殺された……」

「そうだろうね、爺さんも阿片に殺されたようなもんだよ。……っと、この話はこれでおしまいね。じゃあ、はい」


 感情の読めぬ口調でぼやいた主人は、次の瞬間何食わぬ顔で自分に本を渡してきた。いきなりの事に、え? と面食らったものの、十冊近い本を受け取る。主人の手が離れると、中身の詰まった木箱を持った時のような重さを一気に感じた。


「これが今出ている僕の本。雑誌で短編を書いてる時のが多いから、全部ってわけじゃないけど……まっ、気が向いたら読んでよ」


 そう言い主人は用が済んだとばかりに身を翻し、綺麗になったなあ、と他人事のように呟きながら出入り口へ向かっていく。


「リタ、夕飯作ってくれる? 僕が忙しそうだったら夕飯を置いて君は帰ってて。じゃ、先下行ってるよ」

「――あの、ウェズリー様!」


 部屋から出ていってしまいそうな主人の背中を、思わず呼び止めていた。「ん?」と足を止め振り向いた青い瞳と目が合う。主人は終わりにしたがっていた事だが、これだけは言っておかなければいけないと思った。


「デヴィッド様は本当に、本当にウェズリー様の事を愛しておりました。今の話を聞いて分かったのですが、同時に申し訳ないとも思っていました。それは間近で見ていた私が証明します。どうかその気持ちを疑わないで下さい……っ」


 最後の方は消え入りそうな声だった。それでも、視線だけは最後まで合わせたつもりだった。死刑判決が下りるのを待っているような気分で居た数秒後、主人が意外そうに瞬く。何かを再確認するように一度目を伏せた後ふっと口角を上げた。それはこの青年にしては珍しく、鼻で笑ったりしないものだった。


「…………だと、良いんだけどね」


 ぽつ、と呟き主人は振り返る事なく階段を下っていく。その後ろ姿は、どうしてか今までで見た主人の背中で一番素直だと感じた。

 その後リタも一階に戻り、執筆が佳境に入ってるのか呼んでも反応しない主人とは今日一緒に夕飯を取らず、魚の甘酢かけを置いて離れに戻り、早速主人の短編集に目を通した。短編集は数冊あったが、【屋根裏の住人】が収録されている物を手に取る。【屋根裏の住人】を始めどれもオチがハッキリしていて面白かったが、偶に捻くれた一文があり、あの人らしいな、と思ってしまった。

 一冊読み終えた後、着替えて明日行われるゲネプロに備えてもう眠る事にした。目を瞑って夢に向かう直前。既に己の一部のように思えてきている胸元の鍵に思いを馳せていたら、どうしてか涙が頬を伝った気がした。




***


 私の中途半端な態度も問題だったのだ。慈悲をかけたのが悪かった。もう警察が機能を果たす時間も少ないだろう。

 決めた。私はもう遠慮などしない。

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