5 「私は雇って頂けるのでしょうか?」

「見れば分かるだろうけど、一つはここの上。もう一個は二階の寝室の机の上にあるよ。僕はここでこっちのをまとめてるから、カッレは勝手に寝室を漁ってて」


 自分も探しに行こうかと思ったが、雇われてもいない男性の寝室に踏み込むのは不味い、と踏みとどまる。はいはい、と頷いたカッレはまるでここが自分の家であるように居間から出て行った。

 二人だけになった居間は、通りを歩く親子の声が聞こえる程静かだ。再び沈黙が居間を支配した。ウェズリーも何か考え事をしているようで黙って手を動かしている。

 カッレの帰りは思ったより遅かった。壁掛け時計の音と紙の音しかこの部屋はしないのでは……そう錯覚し始めた頃、廊下からカツカツと靴音が聞こえてくる。原稿用紙を見付けたカッレが戻ってきたのだ。


「いや〜ウェズの寝室は汚いね。ちょっとガサゴソしちゃったよ」


 手に五十枚程の原稿用紙を持ちながらヘラヘラと笑い部屋に入って来るカッレに、ウェズリーは低めの声で唸るように返す。


「机の上にある、って言ったけど?」

「そこに辿り着く前に山岳探検隊になる必要があったんだよ」

「ふん、それは攻略おめでとうございますねえ。はいっ」


 半ば放り投げるように原稿の入った封筒と空の封筒を渡し、青年は早々にこちらに視線を向ける。


「リタ。なんか疲れたからもう一度コーヒー淹れてくれる? 君と僕の分」

「……私雇われていないんですけどね、あまり命令はして欲しくないものです」


 自主的に動いてるだけなので、とボソッと返すと黙ったウェズリーに肩を竦められた。それだけで溜飲も少しは下がったし、コーヒーを淹れるのは苦では無い。承知したと台所に向かう。


「リタちゃんはウェズの理不尽さにも負けない強い子だねえ。なかなか居ないよ、雇っちゃえば良いのに。可愛いし」


 いかにもニヤニヤ笑いながら言っていそうなカッレは、ふむと呟いた後身体の向きを変えたようだった。


「んじゃ俺は帰るよ。今日は奥さんに家で夕飯食べるって言っちゃったんでね、早く仕事を終わらせないと」


 どこか嬉しそうにカッレは言う。先程のようにコーヒーの準備をしながらリタもカッレを見送る。


「台所から申し訳ありません。有り難うございました、お気をつけてお帰り下さい」

「わざわざ有り難う。リタちゃんもお疲れ様〜」


 開け放したままの居間の扉を抜け――廊下からふと声を張られた。


「ウェズ、来週ゲネプロがある事忘れるなよ! お前の小説のやつな?」

「それくらい覚えてるよ。何回も言わないで」


 何回も言いたくなるんだよ、と笑うカッレは、そのまま屋敷の外に出ていく。一度淹れた時に材料や器具は出しておいた為、二人分のコーヒーは直ぐに淹れ終わった。


「カッレ様は気さくな方ですね」


 台所から居間に戻り、早々に椅子に座っているウェズリーに湯気の立つコーヒーカップを差し出し、その正面に己のカップを置いた。


「遠慮を知らないだけさ。……あちっ!」


 ウェズリーがボソッと零し少ししてから黒い液体にも口を付けていたが、思いの外熱かったようで「やってしまった」とばかりに顔を顰めていた。子供のようなその表情にふふっ、と笑いを零すと青い瞳に睨まれたが、それだけだった。取っ付き難い印象しかなかった青年だが、慣れれば分かりやすい人だ。

 リタもウェズリーの前に立ち、コーヒーを喉に流す。浮き足立っていた気持ちが落ち着く感覚に目を細め――気が付いた。ウェズリーが先程のように前のめりで鍵について聞いてこない事に。

 青年は意地を張ってるかのように机ばかりを見ていた。デヴィッドの死に多少は思うところがあるのだろう。目を伏せた後、リタは己の首にかけておいたネックレスを外し、コトリと音を立ててウェズリーの視線の位置に置いた。


「これがデヴィッド様から預かった鍵です。ネックレスの状態で箱に入っていました」


 鍵を見せられたウェズリーは、一度瞬いた後ネックレスを手に取る。


「ふうん、良くある鍵だね。少し汚れてるけど……これは煤、か」

「だと思います。昨夜箱から出した時はもう少し薄汚れていまして、私も触ったのですが、指が黒くなりましたから」


 手紙の時と同じく鍵に好奇の視線を注ぐウェズリーの呟きに頷く。着替えの時に胸元に収めて以来触れていなかったので、自分も久しぶりにこの鍵を見る。ひとしきり鍵を眺めた後、飴細工で出来た彫刻を扱うように慎重に机に置き直した。


「煤なんてこの街では普通ですから……どこの家の鍵かはサッパリですね。デヴィッド様も良く分からない物を守れ、なんて簡単に言ってくれますよ」


 眉を下げて笑ったが、机の上の鍵をじっと見ているウェズリーは同意しなかった。部屋を静寂が支配し、何故かリタは居た堪れなくなった。ウェズリーの無表情っぷりと沈黙に耐え切れなくなって鍵を手に取ろうとした瞬間、ぼそりと低い声が鼓膜まで届いた。


「少なくとも家の鍵じゃないと思うよ。形はそれっぽいけど」

「えっ?」


 思いもよらなかった言葉に手が止まった。答えを求めるように青年に視線を向けると、ウェズリーはタイプライターに向き合っていた時よりもずっと面白そうに眼を細めていた。


「良く見れば分かるけどその鍵、煤が付いているのは棒の部分だけでしょ。装飾部にも付いてるには付いてるけど、棒に比べたら全然だ」


 その言葉に改めて机の上の鍵を見つめる。確かに、鍵の汚れは差し込み棒に集中していた。そんな事、昨夜は全く気にしなかった。思ってた以上に汚れていたので、きっと服も汚れるんだろうな、気を付けて洗わねどな、と俗っぽい事を考えたくらいだ。


「ルミリエで普通に生活してたら鍵がこんな煤自体に差してた、みたいな汚れ方をするわけがない。だから少なくとも家じゃあないね。……まっ、君が装飾部だけ拭いたとか水に漬けてたら話は変わるけど、どう?」

「そんな事しませんっ!」


 最後に冗談っぽく語尾を上げられ、濡れ衣だとばかりに語調を強めて言い返す。自分の反応が面白かったのか、ウェズリーは「だよね」とクツクツと喉を鳴らし、コップに残っていたコーヒーを煽る。こんな風に笑うんだ、と少し意外に、けれど素直に思った。大体何時も口角が下がっている人なので余計に新鮮だ。


「だからってこれがどこの鍵かなんてのは分からないけど……爺さんも面白いネタを提供してくれたなあ」

「ネタ、ですか…………」


 伏し目がちで呟くとウェズリーの視線が若干泳いだ、気がする。多少印象は良くなったが、やっぱり嫌いだ。


「ウェズリー様。もう一度質問させて頂きたいのですが、私は雇って頂けるのでしょうか?」


 一瞬の間があった。先程とは違いこの件にウェズリーが随分興味を示しているので今回は頷いてくれるんじゃないかと期待しているが、本人の首が縦に振られるのをこの目で見るまでは正直落ち着けない。





***


 無い。

 デヴィッドが確かに持っていたあの鍵が何処にも無い。

 どれだけデヴィッドを痛めつけようと、ついぞ決して居場所を吐かなかったあれ。誰かがあの部屋に気が付いたら不味い。我が人生の幕は途端に降りてしまう。

 あの鍵を探さねば。しかし、どこにある? あの様子だと、隠すよりも誰かに託していたのだろう。とりあえず仲の悪い孫では無さそうだ。


 となると、誰だ? デヴィッドには若いメイドが一人居たが、まさか……。もしそのメイドがデヴィッドが遺した鍵の正体に気が付いたら、私はどうなってしまうのだろう? 私は確実に捕まり、生きて監獄の外には出られないに違いない。

 ルミリエの自警団だか警察は出来たばかりで右も左も分かっていないから、賄賂を渡せばどうにかなる。が、それも今の内と言える。後二週間もすれば、警察だって体制が整う。賄賂を渡そうが私は捕まる。


 ……嫌だ、捕まりたくない。私はどうしたら良いだろう?

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