2 「そっ、雇い主です。まっ、伯爵なんですけどね!」
「それがですね! 私はただの私立探偵なので、雇い主のおかげで夢が叶っただけなんですよ」
「雇い主?」
「そっ、雇い主です。まっ、伯爵なんですけどね!」
ハイディがこの陽気な私立探偵を何故雇ったのか知りたかったが、これ以上突っ込んで聞くのは不味い気がした。
「……はあ」
リタは曖昧に返事をし、微笑みを浮かべる。
「ええっと。では私はもう失礼させて頂きます。今日は有り難う御座いました」
「こちらこそ今日はどうも」
それとなく引き渡しを終わらせようとすると、満足そうにジェシカも応えてくれた。
「おい、メイド!」
突然のハイディの鋭い声に背筋が伸びる。
「伯爵、なんでしょうか?」
「お前はこの後どこに身を置くのだ」
退屈そうなこの人に自分の事を聞かれるとは思っていなかった。意表を突かれ、リタは数回瞬く。
「あっ、それ私も知りたいでーす!」
隣からジェシカの期待に満ちた声も聞こえて来る。喋っていいものか少し悩んだが、ネックレスの事を話すわけではなく、孫のメイドになりたい事を言うだけだ。不自然な流れでもない。
「故郷のムソヒには帰らず、デヴィッド様の孫の小説家、ウェズリーという方の元でメイドとして働き直せたらと思っています」
「ほう、あいつの所か。ならばまたジェシカとも私とも会うだろうな……」
「は、はい?」
要点の掴めない話ぶりに首を傾げる。
「あの小説家さんの事なら私も知ってますよ、格好良いらしいですし今人気ですよねえ。廃劇場の殺人、でしたっけ? 今度ご自分の小説が舞台化されるそうじゃないですか? さっき馬車で言ってたんですけど、伯爵演劇がお好きらしくて。きっと私を連れて劇場に行くでしょう。伯爵が言ってるのはそういう意味ですよ。今度ゲネプロやりますよね? あれ」
「ゲネプロ?」
「舞台用語で、本格的な最終リハーサルの事です。関係者が招待されます。とは言ってもすごーくゲネプロっぽいパーティーみたいな感じになる……かな?」
なるほど、と頷き視線を落とす。デヴィッドの仕事の関係で、リタは何回かパーティーに付き添った事がある。デヴィッドが殺された日のように一人で散歩に行く事もあるが、ルミリエではメイドを連れて動いたりパーティーに出席するのが、ある種のステータスだ。煌びやかなシャンデリアの下、楽団の演奏を聴きながら、着飾った紳士淑女を誉めちぎらないといけない場所。地方出身のリタにはどうも肩が凝って仕方なかった。
ハイディはそれ以上何も聞いてこなかったし、ジェシカとの話も一区切りついた。今度こそこの場を後にして良いだろう。
「伯爵、ジェシカ様、ではまたお会い致しましょう。失礼致します」
「また~!」
「ご苦労」
最後に二人に深々と頭を下げ、リタは旅行鞄を手に世話になった屋敷を後にした。ウェズリーの屋敷に向かう角を曲がる際、チラリと屋敷を見るとジェシカとハイディが何やら話しているのが見えた。今じっくり街中を見てみると、あちらこちらに貼られている【廃劇場の殺人】のポスターが、そよ風を受けて波立っていた。
デヴィッド・キングの死体は二週間前の夜、ルミリエ港の倉庫で発見された。まだ八月で、暑い頃だった。夕飯時になっても不穏な言葉を残した主人が帰らないので、自警団の手を借りて探し回ってた矢先、偶然倉庫に入った水夫の叫び声が聞こえたのだ。
遺体には刺し傷が沢山あり、倉庫は血の海だったという。自警団から遺体を包んだ布を剥がす事を止められたくらいだったから、きっと相当酷い状態だったのだろう。鞄が持ち去られていた事から、デヴィッドは強盗に遭ったという判断を下された。
デヴィッドは良い主人だった。
最近やっと独り言以外はマトモになったが、地方からルミリエに来たばかりのリタは訛りが強く、それだけを理由に地方でもやっていたメイドの仕事を断られ続けていた。その事で馬鹿にされていたところ、偶然通りかかったデヴィッドが見かねて自分をメイドに迎え入れてくれたのだ。あの時向けてくれた人の良い笑顔に、ルミリエに来てやっと肩の力を抜く事が出来たと思う。
「……」
デヴィッドの事を思い出すと孫の事も思い出してしまい気分が沈んでくる。リタは暗い気持ちを払いのけるように顔を上げた。そこにはどこかの煙突から黒煙が立ち上っているルミリエの街並みが広がっていた。
ルミリエは常に黒煙が上がっている。それは蒸気機関車の煙突からだったり、今みたいに工場か焼却炉からだ。おかげで管理が適当な安い青果を買った場合必ず煤を被っていた。服も汚れるがそれは皆同じだし、自分は黒髪だし、そんなに気にならなかった。
この中央広場を抜けて海岸通りに出ると、デヴィッドが造った黒い壁に黒い屋根をしたウェズリーの屋敷が見えてくる。ルミリエでは煤の汚れを隠す為どこの家の外壁も黒に近いが、ウェズリーの屋敷は人を拒んでいる印象を受ける程冷たい黒色をしているのを知っている。
この道はデヴィッドと良く散歩をしたルートなので、毎回「あそこに孫が住んどる、あいつは良く気が付く賢い奴だ」と宝物を見せるように嬉しそうに言われたものだった。だがその後必ず悲しそうな眼をしていたのが、妙に印象に残っている。
「……ふぅ」
リタは一度息をつき、覚悟を固めようと拳を握って海岸通りに足を進めた。今後の見通しがさっぱり立たないので、出店で安売りしていたハムエッグパンを念の為購入しておく。
海岸通りを少し歩くと、黒い屋敷が見えてきた。一歩二歩と近付き、案外敷地の広い二階建ての屋敷の前まで行く。呼び紐を引っ張ってからふと思った。
「そういえばウェズリーってメイドが居ない……? だはんでデヴィッド様は私を……?」
ウェズリーは今人気の小説家だ。それなりに社会的地位がある人間なのでメイドが居てもおかしくはないが、葬式にも一人で来たくらいだ。きっとまだメイドを雇っていないのだろう。立場のある人間が自分の死後、血縁者の元で使用人を雇い直させるケースは多い。そんな事を考えていると、数秒後前触れもなく扉が開いた。
「なんで今日はチャイムを鳴らすの! って…………君は」
扉の中から現れたボサついた金髪の青年、ウェズリーに驚いた。シンプルなだけに皺の目立つシャツにサスペンダーが印象的で、青色の瞳に不機嫌そうな光を湛えてこちらを見下している。心なしか日の下で見ると顔色が悪い。
俳優と言われても納得してしまうくらい顔の造形が良い青年だったが、猫背且つ全体的に洗練されていないので、その良さが霞み切っている。きちんと身だしなみを整えれば相当見栄えがするタイプだと感じるが――それはさておき、嫌いだ。
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