エスケープの終わりは突然に

 海沿いのワイディングロードを、ガタピシと軽ワゴンが走る。

 向かう先は、郊外の大型量販店だ。

 朝食を終えた狼流ロウルは何故か……狭いリアシートで蘭緋ランフェイ真心マコロに挟まれ圧縮されていた。

 何故なぜか蘭緋は、狼流の腕にしがみついてくる。

 二の腕が柔らかくて温かいが、なんだか不穏な空気が息苦しい。


「な、なあ、蘭緋」

「今は聞かないでほしいッス! ……先輩、おかしいと思いませんか?」

「いや、普通におかしいだろ。今日のお前、変だぞ?」

「ちっがーうっ! そういうことじゃないッスー!」


 軽ワゴンは、麗流レイルのゴキゲンな運転で海辺をカッ飛ぶ。

 そう、この街は……街を包む学園、ガブリエル&チャーチル記念高等学校は海に面した湾内にある。

 開いた窓から、海鳥の声と潮風とが吹き込んでいた。

 そして、チラリと狼流は視線を逆側にスライドさせる。

 窓にかじりついて、真心は外の景色に魅入みいっていた。


「な、なあ、真心」

「は、はいっ!」

「海、そんなに珍しいか?」

「ええ。直接見るのは初めてなので。あっ、鳥さんが沢山いますね。あれは」

「ウミネコかな」

「ウミネコ……知りませんでした。あのような猫が」

「違う違う! ニャアニャア鳴いてるように聴こえるから、海の猫でウミネコ。でも、猫じゃなくて鳥、鳥類だよ」


 おおー、と無邪気に真心は目を大きく見開く。

 双眸ほうこうに星の海がまたたいていた。

 だが、やっぱり彼女は生真面目きまじめな真顔で外の景色に夢中である。

 そんな真心の格好がまた、言動の幼さとのギャップで愛らしい。

 右腕に蘭緋をぶら下げたまま、狼流は前席へと身を乗り出した。


「なあ、姉貴あねき! なんだよ、あの服!」

「んー? お姉ちゃんのお下がりっしょー! しかも、狼流の大好きなセーラー服っしょー!」

「なんでだよっ! サイズ、全っ! 然っ! 合ってないじゃんか!」


 そう、少女を通り越して幼女にすら見える姉、麗流の学生時代の制服だ。それを今、トップモデルもかくやという長身ボンキュッボーン! な真心が着ている。

 そりゃ、元のインナー姿よりはマシとも言えたし、かえっていかがわしくもある。

 へそ出しどころか腹筋丸見え、胸も尻も大き過ぎてパツンパツンである。

 悪びれた様子も見せずに運転する麗流の横では、助手席でアイネが笑いを噛み殺していた。我らが会長は、抱いたベコを撫でつつからかいの言葉を並べる。


「少年、両手に花でよかったじゃないかね? もっと状況を楽しみたまえよ」

「先輩、俺のどこに楽しそうな要素があります? ってか、蘭緋はそろそろ離れろ」

「嫌ッス! 先輩だけを大人の階段登らせてたまるかッスよぉ!」


 ますます訳がわからない。

 だが、一同を乗せて走る麗流がようやく説明をしてくれた。


「今日はさー、アタシがお昼をみんなにご馳走ちそうしちゃる! やっぱ休日のランチは焼き肉っしょー! わはは!」


 ちなみに狼流は停学中で、アイネと蘭緋はサボりである。

 だが、昔から麗流は豪胆ごうたんにして豪放ごうほうきもっ玉の数も大きさも格が違う。昔から小さななりをしてても、漢女とかいてオトメと読ませてきた女傑なのだ。


「アタシ、毎日忙しくて金を使うひまもないからな! 消防士ファイヤーウーマンの辛いとこだぜ……だから、今日は! 狼流の! 数少ない友達に! 服を買ってやろう!」

「おいおい姉貴、正気か……」

「おうよ! だってさー、彼女じゃないにしろ、最愛の弟の友達が痴女ちじょってまずいだろー? いや、わかってる! アタシは多くは言わない! 事情があるだろうから!」


 無駄に気遣いが出来て、その上でうつわが大きい女、それが麗流である。

 小さい女の子が好きロリでコンな人は勿論もちろん、そうでない人にも大人気だ。

 狼流は小さい頃、自分より小さい姉が何度も告白されるのを見てきた。

 だが、彼女は特定の恋人を持たなかったし、そういう存在と使うべき時間を全部フルに狼流に注ぎ込んでくれた。

 おかげで、両親不在の家庭事情が全く寂しくなかった。


「ま、その……うん、姉貴」

「なんだー? おいおい、惚れ直したかってばよ! 禁断の恋、行っちゃうかーい?」

「なんでだよ! でも、ありがと。いつも、本当にありがとう」

「なんだなんだ、照れるにゃー? おっ、ほら! 見えてきたぜ野郎ども!」


 野郎は狼流しかいないが、車内のみんなが前方に注目する。

 窓に両手をつきつつも、振り向いた真心も目を見張っていた。

 海沿いに巨大な建造物が見えてくる。それは複合施設で、半分は巨大なスーパーマーケットだ。百貨店というには、いささかカジュアルでリーズナブルな雰囲気である。

 そして、映画館にプール、遊園地をも内包した一大エンターティメント施設でもある。

 狼流は時々姉と来るが、フードコートで食べるたこ焼きが好きだったりする。


「非常に大きな施設ですね。軍事基地とかでは?」

「おいおい、真心……なんだその発想。年頃の女の子としてどうなんだ、それ」

「……あ、今データの照会をしました。ジャシコG&C記念学園店とありますね」


 真心は、右手の腕時計型端末ですぐにネットにアクセスした。

 だが、手首に浮かび上がる立体映像のウィンドウを、そっと狼流は手でかき消す。


「そんなことよりさ、真心。お前、たこ焼き食べたことあるか?」

「……ないです。たこ焼き、とは」

「焼き肉は?」

「ない、です。焼き肉は知っています。肉を焼いて食べる作業ですね」

「作業つーか、さあ……ま、いっか。真心、姉貴のおごりだし楽しもうぜ」

「楽しい、ものなのですか? ふむ……興味が湧きました」

「おう! 平日を休む背徳的な快楽と愉悦、みんなで楽しもうぜっ!」


 狼流の声に、蘭緋とアイネが「おー」と気の抜けた付き合い程度の声をあげる。

 ベコもなんだか、楽しそうに「ワン!」と吠えた。

 だが、麗流はノリノリだった。


「おっしゃあ、あがってきたじゃーん! ドカーンといくぜ、ドカーンと! レッツ、散財さんざい! おごり倒してやんぜ、ドカーンとなあ!」


 その時だった。

 不意に衝撃音が車内を突き抜ける。

 軽いワンボックスが、路上で突然暴れ出した。

 外からの爆風と振動が襲ったのだ。

 即座に狼流は、隣の蘭緋をかばって抱き締めた。

 その頃にはもう、真心は身構え前をにらんでいる。

 逆隣の彼女は、守る必要がなかった。

 最強ヒーローの中の人はでも、気付けば守りたくなる気持ちを狼流の心に植え付けている。そして、真心からあどけない好奇心が消えたことが不安に思えた。


「今の爆発は? 狼流、それにみなさん! 敵の攻撃かと!」

「真心……敵? 敵ってなんだ、ヴィランか!?」

「人に害すものは、全て敵です!」


 いつになく、真心が緊張感を帯びていた。

 そして、瞬時に変わってしまったのは彼女だけではなかった。

 突然、荒々しいハンドリングで麗流が車体を安定させる。同時に、彼女は踏み抜く勢いでアクセルを踏み付けた。

 アイネだけが平然とオプホオプティフォンをいじる中、他のみんなから悲鳴が響く。


「キャウン! クゥーン」

「ふああ、なんスか!? なんなんスかっ、もぉ!」

「俺が知るかよ! いいからシートベルト締めろ! 真心も!」

「わたしは平気ですが」

「いいからベルト! 姉貴の運転を、本気の運転を知らないんだからさ!」


 そう、バックミラーの中で麗流の目つきが変わっていた。

 彼女はどんどん軽ワゴンを加速させつつ、細腕一本で車体を操る。そうして、緊急事態ゆえかもう片方の手でオプホを取り出し見もせずに番号をプッシュした。


「あー、もしもし? 海辺のジャシコで事件発生、現在急行中! 班長は? ――はぁ? 夜勤明けで仮眠室? 叩き起こすんだ! これはテロ、爆弾テロの可能性がある!」


 暴力的な運転は、ギリギリのギリで小さな車体を安全に目的地へと運ぶ。

 酷く乱暴なのに、安定したスピードで軽ワゴンは走り続けた。

 狼流にも瞬時に、ただごとではないと知れる。

 すぐに彼は、頭上のサンルーフを開けて上体を乗り出した。


「っ、く……風が……あっ! あれは!」


 向かう先、海岸沿いの建物が黒煙をあげていた。

 自宅から来るまで30分、この学園の人間にとっては馴染なじみ深い場所で悲劇が起こっている。なにかを主張して押し通すための暴力が、無辜むこの市民に向けられているのかもしれない。

 あるいは事故ということも考えられたが、悲しいかなその可能性は低い。

 ガブリエル&チャーチル記念学園の内側は、先進国の主要都市より何倍もインフラの整備が整っている。徹底した管理体制が学園を維持しているので、事故という線はあまり疑えなかった。


「クソッ、またヴィランのテロか? どうしてこんなことをするんだっ!」


 思わず、外気に身をさらした狼流は、バン! と車体の天井をこぶしで叩く。

 そんな彼の横で、長い黒髪を風に遊ばせ真心も顔を出した。

 彼女は空気の抵抗を全く感じさせず、涼しい顔で前だけを睨んでいる。


「ヴィランとは、倒すべき敵。この世界にあだなす存在です。だから、父様はわたしに命じました。法で裁かれる前に、悪を駆逐せよと」


 その父様とやらが、先日真心が通信していた相手だろうか?

 それが実の父親という意味なら、なんと薄ら寒いことだろう。

 この世のどこに、自分の愛娘まなむすめを戦いに駆り立て、偏った思想で縛る親がいるのだろうか。それは、それだけは狼流にもわかる。父親を知らない狼流にも感じられる。


「とにかく、事件はわたしが片付けます。服は、これは」


 突然、小さ過ぎてパツパツなセーラー服を真心が脱ごうとした。

 吹き付ける風圧の中で、狼流はそれを止めて叫ぶ。


「真心っ! 待ってくれ。メイデンハートに頼る前に……俺たち人間、超人じゃな俺たちをもっと頼ってくれ!」

「狼流……それは」

「ヴィランの主張に正当性があったとしても、手段はどれも許せない。それに、この問題はヒーローとヴィランだけのものじゃないんだ!」


 狼流の視線を吸い込み、その眼差まなざしに真心は視線を重ねてくる。

 一本に収斂しゅうれんされた視線の中を、互いの想いが行き来して膨らんだ。

 狼流にはこの時、真心にも確固たる感情、心があると感じ、確信するのだった。

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