第25話 動機

 どうしてこうなった。


 未来予知やニュータイプじゃあるまいし、全てを理解してるわけでも理解したいわけでもないし、記憶喪失や酔い潰れたわけでもないから、記憶は正常だし、理屈も理解できる。ピタゴラスイッチもわかる。ビー玉がドミノのに当たったからドミノ倒しが始まった事は、映像を見ていればわかる事だろう。


 原因と結果。それはわかる。


 わからないのは、知りたいのはそれより更に奥深くの根本的な原因。


 すなわち、なぜ僕がここに居るのか。


 ここ最近ずっとその問いが頭を支配していたが、その中でも特に、未だかつてないほどに、今そう思ってる。


 どうしてこうなった。


「せ゛ん゛ぱ゛い゛〜゛………」

「ちょっユキ!!開けちゃダメだって!!!」

「お兄さん、バスタオルここ置いとくよ」

「…………………ハイ……」


 僕は今、お風呂に入っています。一人暮らしの狭い浴槽ではなく、マンションの大きな浴槽です。


 勘のいいガキの皆さんならお気付きでしょう。お気付きじゃない方でも、この話だけの茶番ですので悪しからず。


 どうしてこうなった。




 ご想像の通り、今日は全然仕事にならなかった。原因は悪夢で、従属変数は神宮寺だ。


 人見知り真っ盛りのちびっ子や、親と逸れた迷子ならまだしも、今にも泣き出しそうな面で、僕の制服の裾を掴んで、僕が動くたびに付いてくるその様は、警察に連れられる容疑者か任意同行か、あるいは犬の散歩だ。


 また、レジに立たせても磁石のように引っ張られ、商品の陳列や補充をしてる僕に擦り寄ってはヘルプをして、日雇いでも出来る簡単なレジ打ちの為に、今やってる業務をわざわざ中断させられての繰り返し。


 新人なら仕方ないと思うが、この小説のタイトルには入っているけど、神宮寺さんね、数ヶ月はバイトしてるの。このぐらい朝飯前のはずなの。


「神宮寺さん落ち着きました?」

「…………………………」


 無言で首を振る。声は聞こえるし、言語は理解できるみたいだ。


「混んできたらお前もレジやるんだぞ?」

「…………………………」


 今度は無反応。YESでもNOでもないみたい。


「あと30分の辛抱だから頑張れ」

「…………………………」


 首を縦に振った。渋々といった感じで。


 結果として僕がレジに立ち、研修生のごとくその横に神宮寺が立ち、抱っこ紐で育児をしながら仕事をするシングルマザーの気持ちを現役男子大学生が理解しながら、小雨の様にぽつぽつ来る客に対応する、暇で忙しい時間を過ごしたのであった。


 こと、ある人が来店する数分前までは。


「……なるほど。状況はわかった。お兄さんも大変だね」


 いつものダボダボジャージにマフラーという奇抜な格好ではなく、黒い長袖のインナーに大きめ白いパーカーをズボっと着た、露出は無いけど見ようによっては履いてないようにも見える「ちょとそこまで」コーデといった服装の少女が、男子大学生に共感していた。


「ほんとね………」


 乾いた笑い声をあげる。


 珍しくというか初めてだろう、針ヶ谷が店に来たのは。正確には僕のシフトが入っている時にだから、普通に聞いたことあるかもしれないけど。


 カゴに入ったコンビニアイスやコンビニスイーツのバーコードを読み取っていく。袋は持参してたので、保温できるエコバッグを受け取る。


「にしても珍しいな。針ヶ谷は通販かスーパー、商店街辺りで買い物すると思ってた」

「僕に対するお兄さんの偏見があらかた間違ってなくて怖いけど、僕だってコンビニくらい行くよ。そんな頻繁には来ないけどさ」

「ごめんなさい」

「謝らなくていいけど……」


 さほど日を跨いでない筈なのに、やけに久しく感じた会話に、花は咲きそうにないからつぼみを咲かせながら、他愛のない会話をする。


「今日来る?」

「いや、家にも客が居てね。ちゃんと帰ったか確認しないと」


 鍵届けに来る予定だけどさ。


「今も?」

「多分」

「その人が留守番してるの?」

「そう」

「……ルームシェアだったっけ?」

「一人暮らし」

「ん?」

「ん?」


 ん?


「お兄さん……もしかしてお人好し?」

「……………なんで?」

「そんな気がした」

「……………………………」


 答えにくい質問だよね。てかそれ本人に聞いても意味なくない?


「優紀は?」

「……………………………」


 そう尋ねられると神宮寺は、一番強く頷いては掴んだ僕の制服の裾を、更に強く握る。伸びるんだが。


「あと何時間で終わる?」


 針ヶ谷はそう言うとスマホを開き、僕は吊るされた時計を見て、時間を確認する。チラッと見えたホーム画面は初期設定の風景画のままだった。


「神宮寺は6時までだぞ」

「お兄さんは?」

「6時半」

「じゃあここで待たせてもらおうかな」


 会計を終わろうとしたら針ヶ谷はレジを離れ、アイスコーヒーやカフェラテなのどの氷や、フラッペなどが入ってる冷凍庫を開けてはほぼ即決で一つ選び、


「これも追加で」


 手渡された。


 それは最近入荷した新商品のフラッペだった。僕は飲んだ事ない。


「こういうの飲むんだ」

「…………悪い?」

「悪くはないけど……どんな味するの?」

「知らない」

「知らないのに買うのかよ………」


 もうレジ通しちゃったよ。キャンセルできるけど。


 合計金額を癖で読み上げる。


「この商品のターゲット層って僕らぐらいの女子中高生でしょ?」

「まぁ、おそらく」

「なら僕が買っても不思議じゃないだろ?」

「不思議じゃないけどさ、…………何つーか意外っつーか」

「ふーん」


 そう言ってフラッペの容器を揉んで、凝り固まったシャーベットをほぐす。はじめて買うわけじゃないみたい。


「僕も興味ないけどね。それより、自分と同じ年代の子の間で、何が流行って何を好んでお金を出してるのか、それが知りたいだけだよ。そっちの方が興味ある」

「…………………………」


 それは自分が該当するはずのカテゴリーでは、何に価値を感じているのかを認識したい、という事だろうか。


 小さな手から商品の対価を貰う。レジに流し込み、吐き出したお釣りを渡す。


「普通の女子中学生みたいにさ」


 まるで自分が普通じゃないみたいに。


「………………もしかしてだけどさ、揶揄からかってる?」

「どうだと思う?」


 僅かに歪む口に、更に疑心暗鬼になる。


 言葉にするなら「身の丈」というか「身の程」というか、そう言った話だろう。ふと、自分はどこに該当するのかを考えようとして、やめた。何故なら、僕は分類されるほど難解な人間ではないから。対して…………そう思ってしまったから。


 何を言うかより、誰が言うか。


 全くその通りだ。


 その後は唸り声を上げながらホットミルクを出すコーヒーマシンの音が響き、店内に流れる流行りの音楽と合わなすぎるハーモニーを奏でながら、時が過ぎるのを待った。


「いらっしゃいませー」

「………………ませ……」


 あと数分でよかった。早く来るか遅く来るかして欲しかった。


 暇な時間の来客者は暇つぶしとしては上々で、そこはかとなく仕事をしている感じを貰えるので、僕としてはそこそこ有難いカテゴリーなのだが。


 今日だけは違った。


 カテゴリーが特殊だった。


 それより、客ですら無かった。


「お、さんきゅーな」

「……………………おにぃ…………?」


 ボソッと何かを言ったが聞き取れなかったので、僕は挨拶がてら遠回しに「さっさと帰れ」という意図を含む、


「親父にもよろしく言っといてくれ」


 と、入店直後の、鍵を握りしめた少女に言った。


 受け取るために手を前に出したが、少女はレジ前で立ち止まり、ボソボソと何かを言うと、ワナワナと震えはじめた。


 明らかに血の気が引いて、顔色が悪い。流石に露草いもうとの異常事態を察せないほど、疎い兄ではない。それこそ悪夢を目の当たりにしたように、妹は怖がっていた。


 鍵を受け取るために出した手が、ろくろを回す。


「大丈夫か、つゆ?」


 まるでゴキブリに遭遇した様に、硬直しながら僅かに震える妹。その恐怖心の先が僕でない事を祈りながらも、目を合わせ、落ち着く様に声をかける。


「…………こ……」

「こ?」

「この……」


 どうやら言葉は通じるみたい。なら深呼吸してもろて。


 そう言おうと思ったら深呼吸にしても多過ぎる空気を吸い込んだと思えば、


「このバカアホマヌケクソダニチリゴミカスボケクズクソ兄貴ーーーッッ!!!!!」

「……クソ2回あった?」


 よくすらすらと言えましたね。なんてふざけてる場合じゃなくて。


 自動ドアが開ききってないのに、その狭い隙間を通り抜けて飛び出し、全速力で逃げ出す我が妹。電車の時間に間に合わないとかそう言った理由ではないだろう。


 いつも以上に罵倒された上に、なぜ罵倒されたのかすらわからない。


「…………………ちょっ、鍵!!」


 慌てて後を追おうとしても、時既に遅し。その背中は遥か彼方。


「………………………何故だ……」


 心の底から声が出た。本当に意味わからない。訳がわからない。


「……………………………」


 とりあえず、ダメ元で電話してみる。そして、やはり途中で切られる。


 そうなると、どうしよう。


「…………………先輩……?」

「…………僕も泣きそうだよ」


 涙目の後輩同様に、僕も涙目になる。


 野宿決定。トボトボ店に戻る。


 どうしよう。とりあえず貴重品もあるから公園は論外として、ネカフェは高いからカラオケで寝るか。一応免許証あるから、高校生と間違われて追い出される事はないだろう。


 自宅以外で夜を明かすのはいつぶりか。


「神宮寺さん、上がりです。お疲れ様でした」

「………………………?あ、……お疲れ様でした」


 スマホで近くのカラオケを調べようとして時間を見たら、もう6時を回っていた。神宮寺の業務時間は終わってる。


 何時間も握ってた裾を離してスタッフルームに入る。やっと解放された気分。まだシフト残ってるけど。


 この辺りカラオケ無いしな。電車の往復代込みでヒトカラのフリータイム………馬鹿にならんな。今日のバイト代が綺麗さっぱり消えるな。


 何度目かの放心状態で一人悶々としていると、


「今日来る?」


 フラッペ片手に、男性用の下着を上下セットでレジに置く、事の顛末を見ていた少女。


 その表情は相変わらず無表情で、心情は読み取れないけど、察するに同情か憐れみかだろう。


「……………………ハイ……」


 それでは、有難くレジに通させて貰いましょう。もちろん自腹だ。


 まぁ、野宿代にしては安いだろう。


 ただ、僕MサイズじゃなくてLサイズなの。ごめんね。

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