第44話

 すっきりしない気持ちのまま食事を終え、蔵王と別れてデスクに戻る。でも、やっぱり、さっきのことが気になってしまっていた。


(蔵王が珍しく深刻そうな顔をしてたのが、何だか引っかかるのよね)


 稟を問い詰めていた時や見送る時の、蔵王の顔が思い出される。


(とはいえ、私に出来ることなんて、何もないんだけど)


 とりあえず今すべきことは、目の前の仕事を進めることだ。

 気を取り直してパソコンに向かおうとした、その時、デスクの電話が鳴った。

 一瞬びくっとしながらも受話器を取る。すると、


『京都の鳳条さんという方から、虎月さんに繋いで欲しいと、お電話が入っているのですが、どうしましょう?』


 オペレーターから発された言葉に、葛葉は目を見開いた。


「え? 京都の……鳳条さん!?」


 意外な名前に、思わず声が裏返る。


(鳳条さんって……もしかしなくても、陽人さんよね!?)


 彼とは、お見合いの時に和やかなムードで別れて、それっきりになっていた。


(そんな陽人さんが、どうして急に?)


 不思議に思ったが、鳳条陽人という人物に対しては、もはや好感しか持っていない。

 むしろ、機会があれば、今度はお見合い相手としてではなく、一個人として話をしてみたいと思っていたくらいだ。

 ならば、迷うこともない。


「電話、繋いでください」


 食い気味にそう答えると、オペレーターは即座に対応してくれた。

 ピッという電子音が鳴ったのを確認して、「はい。虎月です。お電話代わりました」と声をかける。すると、聞き覚えのある落ち着いた声が聞こえてきた。


『鳳条です。連絡先が分かりませんでしたもんで、急に会社に電話させてもろてすいません』

「いえ、お気になさらないでください」


 すると、電話の向こうの陽人は少しほっとしたように息をついた。


『ありがとうございます。ちょっとお話したいことがあるんですが』


 思慮深そうな陽人が突然電話をかけてくるぐらいだ。何かとても重要な話なのだろう。

 葛葉は反射的に周囲を見渡した。


「あ、はい。今ちょうど、周囲に誰もいないので」


 陽人は『それは良かった』と安堵の声を漏らした。

 そして、わずかにためらうようにして、言葉を紡いだ。


『実は……葛葉さん、「菓匠 龍木」さんて、ご存知ですか?』

「え?」


 葛葉の心臓がびくりと跳ねた。


(知ってるも何も、さっきまさに話題に上っていた企業名じゃない)


 けれど、そんな虎月堂の内情をぺらぺら喋るわけにもいかない。

 どう答えるべきかと考えあぐねているうちにも、陽人は言葉を続けた。


『あそこの社長さん、辰木さんゆうんですけど、その社長さんご本人もその息子さんも、うちとは懇意にしてもろてまして、季節の茶会にもよう来てくれはるんです』

「そう、なんですか」


 どうして陽人は急にこんな話を始めたのだろう。

 葛葉は眉をひそめた。


『せやけど、こないだの茶会で、お二人が話してはった内容を偶然聞いてしもたんです』


 そこで陽人は言葉を切ると、声をワントーン低くして告げた。


『もうすぐ虎月堂を潰せる。そしたら京都の老舗の看板は龍木のもんや。……て、言うてはるんを』

「―――え?」


 一瞬、目の前が真っ白になった。

 混乱した頭の中で、陽人の言葉を幾度も反芻する。


(虎月堂を……潰す? え? 何? どういうこと?)


 相手は、今まさに虎月堂と合併を視野に入れている会社のはずだ。

 だというのに、その言動は何だ? 意味がわからない。

 けれど、良くない話であることは間違いない。


(あのおばあさまが、自分に不利な条件で合併なんか受け入れるはずがない)


 そのはずだ。

 でも、もし雅世が気付いていない大きな陰謀が、裏で動いていたなら?

 まるで何か嫌なものが這い上がってくるように、ぞわりと背筋が寒くなる。


(蔵王も、後藤さんも、多分この話に裏があることに気づいてるのかもしれない)


 そのうえで、蔵王は葛葉に詳しいことは何も告げなかったし、関与させようとはしなかった。かりそめの安心を与えて、はぐらかした。

 その理由はわかっている。


(私が虎月堂にとって何者でもないから)


 それは、他でもない葛葉自身が望んだことだ。

 なのに、もどかしさで爆発しそうになる。心が千々に乱れた。


『急にこんな話して、すいません。ほんまやったらお客さんの会話内容を余所さんに話すなんて、マナー違反やゆうのは重々承知してます。せやけど、放っておくこともできひん思て。どうか、私の独り言や思ておいてください』

「いえ、教えていただいて、助かりました。ありがとうございます」

『私はあくまで部外者ですんで、大したお手伝いはできませんが、何かあれば遠慮なく言うてください。連絡先もお伝えしておきますので』

「陽人さん。どうもありがとうございます」


 連絡先を交換すると、慌ただしく受話器を置く。

 そしてすぐさま席を立つと、葛葉は蔵王の姿を探した。

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