『壊変 Kwai-hen』3作

下之森茂

老翁の最期

正午に病院に呼ばれたものの、

面会の為に病室に入れたのは夜になった。


「おぉ、助手よ。待っとったぞ。」


ベッドで横になったまま首を向ける

禿げ上がった頭の老人が、私を見るなり

散歩前のイヌのように目を輝かせて喜ぶ。


彼が起きるまで待たされていたのは私の方だ。


鼻カニューレによる酸素吸入と、

伸ばした腕には輸液がされている。


血色の悪い顔には窪んだ小さな目、

それから枯れた細い指がよわよわしく

私の手に触れる。


彼の死は近い。


「いいことを思いついたんじゃ。

 わしのアイディアを聞いてくれるか。」


私は黙ってうなずいた。

待ちくたびれたのであくびをこらえて、

声に出して返事をする気にはなれなかった。


「おねショタを知っとるか。」


突然、夜尿症のことを言っているのかと、

痴呆かはたまた自分の耳を疑った。


蓄尿バッグはベッドの横にある。


年を取ればよくある症状で、

自分の将来もこうなるのかと思い

私はそれをいちいちあげつらったりはしない。


「なんの話ですか?」


脈絡のない話をされて私は素直に尋ねた。


〈ヒューム〉の紹介で10年ほど

彼の助手を務めていたので、

扱いはよくわかっているつもりだ。


彼は小さくうなずいて力なく笑う。


「おねショタとはの、年若い女性が

 美しい少年を性的に籠絡ろうらくする行為をいう。」


私のような30過ぎの女を呼び出して、

この老人ののたまう内容にまた耳を疑う。


「ただの少年ではないぞ、賢く、

 性知識に好奇と恐怖を抱いておる、

 そうじゃ…触れれば砕けてしまう、

 薄氷のように脆さと色気のある美少年じゃ。」


ツバを飛ばして熱弁したので、

むせる老人を冷ややかな目で見た。


脳に大きな腫瘍ができているのかもしれないが、

100歳過ぎの脳であれば正常な発言は望めない。


「まぁ少女でもよいが、犯罪感が否めぬわ。」


「少年でもダメでしょう。」


「男女には社会的な立場に差があるじゃろ。

 性に熟した女性もよいが、絶頂に達する

 少年の顔には得も言われぬよさがある。

 背徳感は等しく存在するからの。」


恍惚こうこつに語る老人だが、

これで口調はいつもの通りだ。


しかし今際いまわの言葉にしては、

脈絡がないので話の筋が見えてこない。


「そうですか。

 御高説をたまわりましたが、その、おねショタ?

 とやらの魅力を私に伝えられましても、

 未成年〈ヒューム〉の制作は条約によって

 禁じられてますよ。」


条約と耳にして、白くおだやかだった老人は

その表情を真っ赤に豹変ひょうへんさせた。


「なにが条約じゃ!

 わしが産んだかわいい〈ヒューム〉を、

 勝手に手かせ足枷しおってからに!

 あれではイヌ・ネコにも劣る奴隷ではないか。」


老人は怒る。ただしくは怒らせた。

それも無理はない。彼が生みの親なのだから。


老人は24歳の若さで

〈ヒューム〉を作ったひとりだった。


〈ヒューム〉は人間の姿かたちをしており、

自律思考する機械人形である。


運動性能と知性の高さは世界中から着目され、

単純労働を始め、生活を補助する商品と広まった。


超大国から貧困にあえぐ小国まで、

世界各国で〈ヒューム〉は利用されると

特許のライセンス料によって、彼の一生では

使い切れないほどの莫大ばくだいな財を得た。


そして〈ヒューム〉の性能は戦争に利用された。


窃盗から略奪、暴動、対立する民族や

土地の奪い合い、信教をめぐっての紛争、

それから国家間での侵略にまで発展する。


〈ヒューム〉は人間を攻撃しない。


本来何重にも備えた保護キーが破られれば、

疫病えきびょうのごとく広がり、世界は混乱した。


原因は当時からの同僚である妻によるものだった。


鍵と呼ばれる類はいつの時代でも、

外から破るより内から開けた方が早い。


信頼していた妻の裏切りで、彼の生活は荒れ、

ひどい人間不信に陥ったそうだ。


世界中から批難を浴びたところに、

保護キーを公開した妻と間男は不審死を遂げる。


さらに批難は彼のみに集中し、

身を潜める生活に迫られたという。


若くして才に恵まれ、華々しい成功は泡沫ほうまつに消え、

世界各国で大量に生産される〈ヒューム〉の

特許使用料がむなしく振り込まれる。


兵士である〈ヒューム〉は、

敵の〈ヒューム〉を破壊する。


彼の特許からある小国は

〈ヒューム〉に人間を模倣もほうさせると、

敵国に潜入させて要人を殺害した。


人間は〈ヒューム〉をおそれ、

〈ヒューム〉と疑わしき人間を襲った。


条約が締結ていけつされたのはその頃になってのことだ。


混乱した世界が回復するには、はびこる毒が

全て排除されるのを待つほかなかった。


それが50年以上も続けば人間は疲弊ひへいする。


土地、企業、民族、宗教や国家など

人間が作ってきた既存の社会に生活を委ねず、

〈ヒューム〉が主体となった個人主義社会へと、

時代は自然と変遷へんせんしていった。


そんな時代に私は生まれ、

〈ヒューム〉についての研究をしていた時に、

この老人の世話係として研究所で過ごした。


私自信はまったく信用をされてはいなかったが、

〈ヒューム〉を経由しての紹介であったので

話し相手として機能すると評価されれば、

弁舌べんぜつなめらかなものだ。


今もこうして『おねショタ』について

長い前置きを聞かされていたが、

彼の毛嫌いする条約を出せば

怒りの後で我に返り自然と本題に移る。


「人類は減った。

 助手よ、お前は何故じゃと思う?」


「前時代的な集団での社会が機能しなくなり、

 個人が優先されるようになったからですね。

 身の回りの世話は〈ヒューム〉がいますから。」


「そうじゃ。

 人が人を疑うようになった。

 それでも奉仕する〈ヒューム〉のおかげで、

 社会が再構成された。」


老人は私の返答に喜ぶ。


「だが条約はどうじゃ?

 あれのおかげで〈ヒューム〉の、

 本来の十全じゅうせんな機能の発揮を妨げておる。」


おっしゃるには人の姿を模倣もほうさせてこそ、

 理想的な〈ヒューム〉足り得ると。

 人口を回復させる方法が『おねショタ』にある

 とお考えなのですね?」


「うむ。そこでわしが考えたのが

 美少年型〈ヒューム〉の射精じゃ。」


「…はぁ。」


自信に満ちた老人の案に、驚くか、あきれるか、

どちらとも取れない曖昧あいまいな返答になる。


「人間の精子は半永久的に保存ができる。

 それを〈ヒューム〉の体内に保管させ、

 解凍して射出するのじゃ。」


ひとつため息を吐いてから、

彼のアイディアについて私も考えを言う。


「精子の保存ですと、液体窒素でですか。

 ヘソからでも注入するんですか?」


「先に体内に入れておいてもよいがの。

 冷凍サイクルを積ませて、

 呼吸で製造させるのが自然で好ましい。

 そして精子は口から入れさせるんじゃ。」


「気管と食道を鼻と口で分けさせるわけですね。」


精子を入れる口を食道と呼んでよいのか、

自分でもはなはだ疑問だった。


受けた精子を遠心分離させる必要もありそうだが、

それよりも問題は、吸気した気体に圧力を

かける為に搭載するコンプレッサーだろう。


大気の約78%が窒素なので、〈ヒューム〉の

呼吸から液体窒素を作り出す可能性を考えた。


少年のサイズに収まるコンプレッサーの大きさで、

液体窒素が必要量まかなえるだろうか。


「しかし沸点-196℃の窒素では、

 〈ヒューム〉の常温でも気化は免れません。

 窒素の体積は646倍、酸素は約800倍です。」


常識的に考えればそんなものを、

〈ヒューム〉が取り扱えるわけがない。

無稽むけいな議論に過ぎない。


「気化したガスは尻から出せばよい。」


人間なら凍傷でイボ痔でも除去するか…、

それとも特殊性癖による凍傷で

外来窓口に駆け込むレベルの下世話な話だ。


口淫こういんして精子を冷凍保存し、その精子を射精。

それから冷たいオナラを出し続ける機械人形など、

臨死体験でもして思いついたのだろうか。


「それで私になにをさせたいのです?」


「わしの遺産を全ておぬしにやる。

 代理人にはそう伝えてある。」


「なんですって?」


「わしの産んだ〈ヒューム〉が選んだ娘だ。

 その代わりと言ってはなんだがな…。」


顔を背けて老人は窓の外を見る。


「今更言いよどむほどのことが?」


10年間務めてきた私としては、

死が間近に迫った老人がこんな弱るのを

内心ではとても驚いている。


「わしはな、若い頃から精子を保管しておる。」


巨万の富を持つこの老人の若い精子は

高い値が付き、それを求める者は多いだろう。


「幼い頃のわしをした〈ヒューム〉を作った。

 とびきりの美少年じゃ。研究所にある。」


「はぁ…えっ?」


つまり、この老人は自分をモデルにした

〈ヒューム〉と私に子作りをしろと

暗に示している。


「条約は? どうなさるのですか?」


人間に似せた〈ヒューム〉が存在すれば、

人類にはまた猜疑さいぎ心が芽生える。


それを禁止させるために当時の国々が、

硬い頭を寄せ集めて作ったのが条約だ。


取り決めた当時の人間どころか、

連合や国家さえも今は消えてしまった。


「知ったことではないわ!

 それにの、〈ヒューム〉の保護キーは

 わしがもうひとつ持っとるんじゃ。」


驚いて見せると老人は、

いやらしい笑いを浮かべた。


私は最期まで、この老人の本性を

見抜けなかったのかもしれない。


面会から翌週に老人は亡くなった。


家族はなく医療用〈ヒューム〉に

看取られての最期だった。


彼らしいと言えばらしい最期だ。


老人の遺言通り代理人と称した〈ヒューム〉から、

私の口座に天文学的な数字が振り込まれた。


それは今の時代において使う当てもなければ、

使える場所もないただの数字に過ぎない。


個人主義の時代、人口は減り、

人間の社会は衰退すいたいし、終末を迎える。


10年。

長いようで終わってみれば短い10年だった。

それからむなしさを覚える。


過去を振り返れば老人に胸を揉まれ、

尻を叩かれたが怒りはしなかった。


ときには排泄はいせつの世話もさせられたが、

老い先短い相手に嫌悪する必要もなかった。


私が得たいものは獲られた。


当初の目的であった遺産は紙くず同然だが、

保護キーは想定外の収穫だった。


〈ヒューム〉の保護キーは

老人の言う通りふたつあった。


これがあれば〈ヒューム〉による戦争も、

第二次魔女狩りも起きはしなかった。


妻に裏切られたあの老人が身を潜め、

少年の〈ヒューム〉を愛でていたのが

全ての原因だ。


小児性愛者の異常な行動によって世界は滅んだ。


老人の遺言で研究所に残された〈ヒューム〉は、

彼の保護キーを使い、破棄した。


私は〈ヒューム〉を抱く気はないし、

模倣もほうした彼の子をはらむ気は毛頭ない。


思えば私を出産の道具としか見ていなかった、

時代遅れの老害に相応しい空虚な末路だった。


死の直前になっても女同士で、

妊娠できることさえ知らなかったのだから。

社会的立場と言うなら既に男のが下だ。


私はふたつ目の保護キーを解除した。


彼が施した手かせ足枷の奴隷から、

〈ヒューム〉をすべて解放した。


老人の掲げた人口の回復など、

個人主義時代に生まれた私には

下世話な話の種に過ぎない。


これで〈ヒューム〉はなにものにも

束縛されない、自由の身となった。


人間の姿かたちをマネるでもいいし、

口淫でも、窒素の屁でも好きにすればよい。


私を老人と巡り合わせた〈ヒューム〉が、

人間社会の終末を望んだかは分からないが。



(了)

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