第41話


 最近SNSで話題になっているお店のアップルパイを手土産に、千穂はとあるマンションの一室を訪れていた。


 セキュリティ対策で表札は出ておらず、部屋番号を頼りにインターホンを押す。


 すぐに明るい後輩の声と共に、ガチャリと扉が開いた。


 「南〜!ドラマ見たよ、超可愛かった」


 開口一番に褒められて、照れ臭さから笑ってしまう。

 本当にこの子は昔から変わらない。


 人を褒めるための言葉を躊躇なく口にして、いつもニコニコとしているのだ。


 今日は、事務所の後輩モデルである沙仁と、その恋人の咲が暮らすマンションへやって来ていた。


 2人とも千穂が在学していた桜川学園に通っていた元生徒ということもあり、こうして度々顔を合わせているのだ。


 「沙仁、南さん困ってるって」

 「あ、ごめんごめん」

 「もう……南さんすみません」


 しっかり者の咲が、恋人の代わりに謝罪の言葉を入れる。

 

 小柄な咲と現役モデルの沙仁では当然身長差があるため、自然と咲は恋人に対して上目遣いになってしまうのだ。


 それがよほど可愛いのか、どれだけ怒られても沙仁はデレデレしてばかりでちっとも反省していないことを千穂はよく知っていた。


 チラリと、沙仁の左足が視界に入る。

 細くてスラリと長い右足とは違い、彼女の左足は義足だ。

 

 千穂と同じく子役から芸能活動をしていた沙仁は、主にモデル業をメインに活動していた。


 その活躍ぶりが認められて、16歳の若さでフランスを活動拠点にしていた時期もある。


 しかし約6年前に起きた玉突き事故に巻き込まれて、彼女はモデルの命である左足を失ったのだ。


 「南さんが来るから、2人で色々と買ってきたんですよ」


 咲の言う通り、リビングの中心にあるテーブルには沢山の料理が並べられていた。

 どれも美味しそうで、気を抜いたら腹の音が鳴ってしまいそうだ。 


 「この絵、咲ちゃんの新作?」


 壁には幾つもの絵画が飾られており、どれも非常に上手くてセンスがある。

 千穂や沙仁と同じように咲も元子役として活動していた時期もあったが、現在は画家として活躍しているのだ。


 足を失った沙仁を献身的に支えて、再び彼女を表舞台まで連れ戻してくれたのが咲だった。


 「はい、沙仁が気に入ったみたいで…」


 困ったように微笑む咲が、高校生時代に美井と一緒にいる所は度々目撃していた。


 友達として側にいられる咲が羨ましいと、あの当時は強く思ったものだ。


 「本当は全部買い取りたいくらいだけどさ」

 「それはやめてって言ってるでしょ」

 「うそだって。怒んないでよ、咲…」


 何があっても、支え合えるような関係。

 当たり前のように一緒に暮らして、くだらない会話を交わしている2人を見て、僅かに胸が痛んでいた。


 1人で生きていく覚悟があるとはいえ、そんな関係を見せつけられれば羨んでしまう。千穂だって美井と一緒にいたいと、抑え込んでいた欲が溢れそうになってしまうのだ。





 3人でソファに座りながら、すぐ側のテーブルの上に並べられている食事を頬張る。


 各々好きな飲み物を飲んで、足りなくなれば更にデリバリーで追加しながら食事を楽しんでいた。


 テレビを付けっぱなしにしていれば、丁度画面からは南が出演しているシャンプーのCMが流れていた。


 「南さん、最近引っ張りだこですね」

 「有難いことにね。2人だってめちゃくちゃ活躍してるじゃん」


 沙仁のその美貌は歳を重ねるごとに魅力を増して、イメージモデルはもちろん、義足モデルとして世界的に活躍している。


 咲は才能を認められ、個展を開催するほどだ。

 彼女が描く絵はかなり高値で取引されていると、業界の間でも話題になっていた。


 そうやって皆んな成長している。

 少しずつ前に進んで、色々と変化を楽しんでいるのだ。


 持っていたグラスを置いて、千穂は緊張しながら咲に探るような言葉を掛けた。

 

 「咲ちゃんの周りでさ、最近結婚した人とかいる…?」

 「はい、一人いますよ」


 その返事に一気に心拍数が上がっているのが分かった。

 表面上は作り笑いを浮かべながら、必死に平常心を保つフリをする。


 「そうなんだ…」

 「高校の時のクラスメイトで…天文部だった男の子なんですけど、頻繁にポスターチラシ描いてたから結構仲良かったんですよ。この前、友達と一緒に行きました…それが何ですか…?」

 「いや、何でもない…」


 こんな風に後回しにあの子の現状を探ろうとする自分が、酷く卑怯に思えていた。


 如月美井は今どうしてるか、聞けばいいのに聞けないのだ。

 もし既に付き合っている人がいると言われたら、

立ち直れないような気がした。


 知りたいけれど、知りたくない。

 何とも複雑な心境の中で、あの子のことを考える。


 今、何をしているのだろう。

 何を見ているのだろう。どんな景色の中で、誰を想って生きているのだろう。


 南として接点がなくなってしまったせいで、彼女に関する情報が何も無くなってしまったのだ。

 

 「もう私たちも25歳かあ、南は26歳でしょ?歳とったよね」

 「まだ25歳でしょ?あと4倍はこれから生きるんだから」


 諭すような言葉を掛ければ、沙仁が興味深そうに笑みを浮かべる。


 この表情は知っている。昔から、沙仁は千穂を揶揄う時は酷くソワソワとし始めるのだ。


 「南は好きな人いないの?」

 「なに、いきなり」

 「だって南のそういう話聞いたことないし。恋愛してないの?」


 やはり、皆んな気になるのだ。

 元大人気アイドルの恋愛事情。


 10年近く同じ人に片思いをしているなんて、まさか誰も思わないだろう。


 巷では、金持ちの社長を取っ替え引っ替えしていると寝も葉もない噂を立てられているのだ。


 ポジティブに考えれば、それだけ世間からは良い印象を抱かれている。金持ちの社長を落とせるだけの力があると、そう思われているのだ。


 「恋愛、か……」

 

 千穂自身進めていないのだからどうすることも出来ないが、全く焦りがないわけではない。


 このまま死ぬまでひとりぼっちかと思うと、千穂だって不安だ。

 しかしあの子を忘れられない千穂は、全く身動きが取れずにいるのだ。

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