2話_サキュバスとハンバーグと涙

ソフィアが来てから数日が経った。


天使チャミュと親父の強引な取り決めにより、

サキュバスであるソフィアと一緒に暮らすことになったものの、

彼女自身は非常におとなしく、気遣いのできる子だった。


いつもは、親父が仕事で家を空けることが多いので、

家のことは大体1人でやっていたが、ソフィアの手伝いのおかげで

いくらか時間もつくれるようになった。


流石に自分の下着を洗ってもらうのは恥ずかしいので、

食事の手伝いや掃除をやってもらっているが。


そんな中、一緒に暮らすようになって気付いたことがある。


彼女は一切目を合わせないのだ。


いつも視線は右下を見ていることが多い。

別に嫌われているというわけではなさそうだが。


チャミュが言っていたサキュバスの能力のことなんだろう。


目を合わせたからと言って、エネルギーを奪われるわけではない。

ただ、不必要に視線を合わせることは、サキュバスの能力を

誘発し、魅了状態にさせてしまうようなのだ。


彼女がその能力を自由に使えるわけではなく、

サキュバスが持つ固有の能力らしい。


目と目を合わさないコミュニケーションが

こんなに違和感の出るものだとは、やってみるまでわからなかった。


正直、ソフィアがサキュバスだと聞いてから数日は、

エッチなことを期待していた自分がいた。


ネットでサキュバスのことを調べては興奮したものだ。


だが、実在の彼女は全くと言っていいほどサキュバスらしくないのだ。


整理整頓はきちっとする。

行儀は良い。

食事をする時に不用意に音を立てない。


服は大抵が長袖、下も肌が極力見えない物を履いて

下手に挑発しないよう気を付ける。


誘惑してくるようなこともなく(むしろ必要がなければ近付いてこない)

サキュバスの名に負けないボディは持っているはずなのに

いやらしさのかけらもない。


と、挙げればキリがないくらい。

人間でも、ここまで可愛くて育ちの良い女の子はいないと思うくらいだった。


逆に何もなさすぎて、

ソフィアに関わりたい欲求をごまかすのに苦労したものだった。


そんな生活なので、サキュバスというのも存外怪しいものだ。

という感想に落ち着いていた。


あの出来事が起こるまでは──。


◆◆◆◆◆


ある日のこと。



「ソフィア、今日のご飯どうする?」


今日は土曜日。


食料も切らしてたので、スーパーにでも買いに行こうと思った。


ついでにソフィアが気になる食べ物があればつくってみようか。


ソフィアは料理に興味があるみたいで

色んな料理の本を見ては目を輝かせていた(ように見えた)。


「そうですね、前にテレビで見たのを食べてみたいです。

なんでしたっけ……はんばーぐ?あれは美味しそうですね」


少し嬉しそうな声。

こっちを向いてる、けど相変わらず視線はどこかそれている。


ソフィアは家に来てからまだちゃんと外に出たことがない。

もっぱら家事手伝いか、暇があればテレビか読書で情報を集めている。


「私にもつくれるでしょうか?」


「いいね、ハンバーグ。つくるの簡単だし、ソフィアも出来るよ」


「ホントですかっ」


今まで聞いたことのないトーンの高い声。

やっぱり、嬉しいみたいだ。


「せっかくだし、一緒に買い物行ってみる?」


「あっ…」


軽い気持ちで言ってみたのだが、

ソフィアの声のトーンが暗くなってしまった。

まずかったか。


「いや、無理しなくていいよ。材料買ってくるからさ、ソフィアは待ってて」


「あ、あの…」


絞り出すような声


「私、迷惑かけちゃいそうで、怖くて……あの…」


能力のことを心配してるのか、

でも別に自分と会話していて特に問題も起きてないし、大丈夫だろう。


「大丈夫だよ、別に僕なんともないじゃん。それに、不用意に近づかなければいいんだろ?」


「…そうですね、じゃあご一緒していいですか」


ソフィアは行く気になったらしく、近場のスーパーに2人で歩いていく。


外に出るまでは気付かなかったが、すれ違う人すれ違う人ソフィアを見ていく。


見るなんてものじゃない、ガン見。離れていくまでずーっと見られるのだ。


可愛いから見たくなるのもわかるんだけど、これもサキュバスの能力なのだろうか。

これだけ上から下まで舐めるように見られたんじゃ気分も悪くなるよな。


彼女には悪いことをしたな…と思いながら店に向って歩く。


「なんか、ごめんな…」


「いえ、謝ることじゃないです。天界でも似たような感じだったので……」


流石に細かく聞くのは彼女のトラウマに触れてしまいそうだったので聞けなかった。


自分が住んでいるところはそれほど都会でもなく、

かといって田舎というわけでもない。


ただ、基本的な移動手段としては車を使うことが多いので、

通りを歩いている人はそれほど多いわけではない。


「天界だと外に出ることすら一苦労なので。今は、楽しいですよ。色んな景色を見られて」


「そっか、なら良かった。」


突き刺さるような視線に耐えながら、スーパーダイビーの前までたどり着く。


ダイビーは家の近所でもわりと使うお店で、品揃えが豊富なお店だ。

ハンバーグに必要な具材を揃えに精肉コーナーへと向かう。


「只今試食を行っておりまーす。客様、おひとついかがですか?」


よくあるウインナーの試食コーナーだ。

ウインナーのかけらが刺さったつまようじを渡される。


にしても、随分と綺麗な人が店員なんだな。

それにどこかで聞いた声、と思いながら再度顔を見やる。


「いえ、大丈夫です……って!?」


見慣れた金色の長い髪。今は後ろ手に1つで結ばれているが、

何日か前にあった天使が微笑みを絶やさず立っていた。

今日は翼もなく、ダイビーのマークが入った制服に白いエプロンを付けている。


「チャ、チャミュ!!」


「やあ、奇遇だね。調子はどうだい。はい、ソフィアもどうぞ」


チャミュはソフィアにもウインナーを渡しながら話しかけてくる。


なんでこんなところに…。


「なんでこんなところに、って思ってるね?」


「えっ!?」


「そりゃわかるよ、天使だからね」


ニッと笑うチャミュ。この天使、人の心まで読めるのか。


「勉強の一環だよ、人間界の仕事を知るのも悪くないだろう?」


「そういうものなのか?天界の仕事はいいのかよ」


「お休みをもらってるからね、大丈夫。さ、無駄話してると怒られちゃうからね。

どうだい、今日の夕飯に。お得だよ」


そう言って30%増量お買い得パックのウインナーのビニール袋を掲げる。


「いや、いいよ。今日のメニューはもう決まってるから」


「ほう。なんだい?」


「ハンバーグにするの。この前テレビで見たらから、つくってみたくて」


「ハンバーグか!いいね。あれは美味しい」


「食べたことあるの?」


「ああ、人間界にはちょいちょい来てるからね。げんこつハンバーグなるものは

大きくて肉厚でそれはもう……」


「へぇ~」


天使って豚とか牛とか食べていいんだろうか?

細かいことは気にしたら負けなのだろうか。


「こらっ、チャミュさん!!」


その時、後ろの方からチャミュを叱る声がした。


これもどこかで聞いたことがあると思えば、

同じクラスの香山成美(かやまなるみ)だった。


黒髪にポニーテールの元気な女の子で、スポーティな印象の子だ。

ここでバイトなんてしてたのか。


「あ、天寿(てんじゅ)くんじゃない。買い物?」


そう言って僕とソフィアを交互に見やる。

とっさに視線をそらすソフィア。


「なになに、彼女さん?天寿くんも隅におけないな~」


うりうりと肘でつついてくる。


「違うよ、この子は知り合いで」


本当のことを話しても余計ややこしくなるので適当にごまかす。


「えー、ホントかなー。ま、いいや。私までおしゃべりしてたら店長に

怒られちゃうし。チャミュさんも、あんまり喋ってばかりだと怒られちゃいますよ」


「はいはい、ちゃんと働かないとね。それじゃ、ゆうすけくんまたね」


そう言うと

チャミュは香山と一緒に店の奥へ行ってしまった。


「…お知り合いですか?」


「ああ、うん。クラスメイト。どうかした?」


「いえ、少しふらふらしてたような気がして。疲れてるのかな、と」


「そうかな?気付かなかった」


ソフィアは心配していたようだが、特にそんな風には見えなかったし大丈夫だろう。


チャミュに出会ったことで、余計に時間を使ってしまった。

帰ってハンバーグをつくる時間も必要だし、さっさと帰らないと。


◆◆◆◆◆


「だいぶ買いましたね」


「うん、足りないものもいくつかあったし」


ハンバーグに必要な具材、他に足りない調味料なども買えた。

これだけあれば十分だろう。


スーパーから出ようとしたちょうどその時、香山が荷下ろしをしているのが見えた。


さっきのソフィアの言葉を思い出し、香山のことがちょっと気になった。

丁度、帰り掛けにすれ違うし、少し話すくらいなら大丈夫だろう。


おつかれ、と香山に声をかけようとした時、

段ボールを持っていた香山が少しふらついたような気がした。


その瞬間、力が抜けたように倒れる香山。

刹那、思考が一気に頭の中を駆け巡る。


自分の両手は買い物袋で塞がってしまっている。

だが、このまま何もしなければ香山は段ボールの下敷きで怪我をしてしまうだろう。

荷物を置いてからでは間に合わない。どうすれば!


その時だ。


ソフィアが倒れる香山より先に動き、香山をさっと支えたのだった。

一瞬の出来事にあっけにとられる自分。


こんなに早く動くことができたのか、と半ば見当違いな感心をしていた。


「間に合ってよかった。大丈夫ですか?」


「え、ええ、ごめんなさい。私、ふらっとしちゃって……」


無事な2人を見て安堵。

何事もなくてよかった。


その時、僕はチャミュの言葉を思い出していた。


《不用意に触れなければ大丈夫だろう》


2人の方をもう一度見やる。


なにか香山の顔色がが紅潮している気がするが……。


「あれ、なんだろ……凄く良い気持ち、ふふ、ふふふ」


なんか見たことのない笑い方始めてるし、明らかにやばいやつだ。


これがサキュバスの能力なのか。


なぜかブラウスに手をかけ、ひとつずつボタンを外していく香山。

薄緑色のシンプルなデザインのブラジャーがちらりと見えそうだ。


「あなた、結構可愛い顔してるのね…もっと良く見せて…」


妖艶な雰囲気を漂わせ始め、ソフィアの頬に手を寄せ、近づけようとする香山。


ソフィアは視線を合わせないようにしながらも、上に乗られた状態から離れようともがく。


「不思議な感じ、あなたを見てると、もっと触れたいって思っちゃう…」


そう言って、ソフィアのシャツを捲っていく香山。

胸の形が手で押されたことによってぐにゅりと変形する。


「あっ…、だめ。香山さん、目を覚まして」


能力を解こうと、香山から離れようとするソフィア。

しかし、更に香山は逃がさないように脚をからめ、片方の手でソフィアの腕を掴む。


目の前で繰り広げられている艶やかな光景に見とれ……ている場合じゃなかった!

ハッと正気を取り戻す。このままだとソフィアが危ない!!


「香山!落ち着け!やめるんだ!」


ビニール袋を置いて香山をソフィアから引きはがそうとする。


「ぐっ、ぐぐっ…」


ビクともしない、香山ってこんなに力が強かったのか。


いや、違う。

なにも運動はしていない自分だが、香山に負けるほど弱くはない。

これはサキュバス能力にかかっているせいに違いない。


「こぉのっ!!」


力いっぱい香山を引っ張った反動で、ソフィアから引き剥がすことに成功した代わりに、仰向けの自分に香山が馬乗りする体勢になってしまった。


「なによ…せっかくいいところだったのに……あんたも案外可愛い顔してるじゃない」


やばい、矛先がこっちに向いてる。


火照った顔をしながら顔を徐々に近付けてくる香山。


普段の表情では絶対見ることのない熱を帯びた潤んだ瞳はやけに色っぽく見えた。


「香山!目を覚ませ!」


「何言ってんのよ…ほら、あんたも一緒に気持ち良くなりましょうよ…」


香山の腕を押しのけようとするが、全く歯が立たず、逆にもっと体を近づけてくる。

ブラウスは完全にはだけ、さらに密着させてくる香山。


「あぁ…あんたとくっついてると気持ち良いぃ…」


ぴたりと体をくっつけてくる香山。顔の距離は目と鼻の先だ。

見えない力で押さえられているように、香山を押しのけることができない。


「天寿……」


香山の顔が起きたかと思うと、徐々に迫ってくる。

自分の中の天使と悪魔が頭の中を走り回る。


(こんなチャンス滅多にないんだろ!流れに身をまかせちまえよ!)


悪魔の囁き


(いけません、冷静になるのです……しかし、こんな状態ではどうにもなりませんね、自然にいきましょう)


天使の諦め


天使諦めてんじゃねぇよ!

などとつっこみをいれている間に、香山の柔らかそうな唇が徐々に迫ってくる。

心臓は今までにないくらいドックンドックンと激しく鳴っている。


もうダメか…。


その時、香山の顔がピタリと止まった。

ん?何が起きたんだ?


恐る恐る、香山の顔を見る。

なにやら何が起こっているかわからない表情。

目の色も、普段の色に戻っている。


あれ、これって…正気に戻った?


「て、て、てんじゅくん?こ、こ、これってどういう…」


なんて説明したらいいのか最早わからない。


「な、な、なんで、わ、わ、わたしの下にいるのかな…?」


パニック状態の香山。

もう何を言ってもやばい状態だ。


自分の今の状況をようやく把握して

顔を真っ赤にする香山。


服をはだけさせ、馬乗りになって男子生徒を襲う女子生徒の図。

傍目から見るとそうにしか見えない。


「きゃー!!」


パァーン!!


清々しいほどに爽やかな音。

しなりを生かしたスポーツ少女らしい平手打ちが僕の左頬を襲った。


まったくもって理不尽だ。

何故、ハンバーグの材料を買いに行っただけでこんな目に遭うのだろうか。


「わやだな(大変だな、の意味)……」


北海道の方言を呟いたところで、救いの天使が登場した。


取り乱した香山の首にそっと手刀を入れて静かにさせるチャミュ。

手際が鮮やか過ぎて恐ろしいわ。


「すまないね、シオリ君。ソフィアの能力が発動されたのは感じ取っていたんだけど、お客さんを捌くのに忙しくてね」


参ったよ、と笑いながら香山を抱き起こし服装を整えて上げる。


「この子は私がなんとかするから、君はソフィアは家に戻るといい。

大丈夫、記憶も上手い具合にしておくから」


まかせておきなさい。親指を突き出して、グッとサムズアップをするチャミュ。


「わ、わかった。じゃあ、あとは頼む」


「あぁ、ソフィアのことをよろしく頼むよ」


僕は買い物袋を手に取ると、うずくまっているソフィアの元まで歩いていった。


「ソフィア、大丈夫か…」


「……」


相当ショックだったんだろうな、と思う。

迷惑をかけないようあれだけ気にしていた能力を、不意にとはいえ発動させてしまったんだから。


でも、ここでしょげているわけにもいかない。僕はソフィアの手を取り、家路へと着いた。


◆◆◆◆◆


「さぁ、ハンバーグをつくろう!」


さっきの事件もあり、すっかり静かになってしまったソフィア。


ここで僕も元気をなくしてはいけない、明るく振る舞わなくては。


ハッピーになるには美味しいものを食べるのが一番!!

そう言っていた母の言葉を思い出す。


ハンバーグを食べてもらって、ソフィアを元気になってもらわないと。


「ソフィア、今から夕飯の用意するから待ってて」


「……私も、手伝います」


ようやく言葉を発したソフィア。


「うん、じゃあ玉ねぎをみじんぎりに、お願い」


トントントントン。


包丁の音だけが聞こえる。


「玉ねぎ、目痒くなっちゃうから気をつけてね」


「…はい」


「さっきさ、香山倒れそうだったじゃん。助けてくれてありがとう」


ソフィアが、さっき知り合ったばかりの香山を助けてくれたことは素直に嬉しかった。


「ああいう風に人を助けられるのって、僕はスゲーことだと思う」


「……」


トントン  トントントン。


「……」


ポロ ポロポロッ。


ソフィアの反応が気になって視線を向けて見ると

大粒の涙を流しているソフィアの姿が映った


「だ、大丈夫!」


「目が……痒くて…ぐすっ…大丈夫です」


そう言いながら、涙を流しながらみじん切りを続けるソフィア。


「今まで、そんな風に言われたことなかったので…」


目に涙を浮かべながら、玉ねぎを切るソフィア。


それは玉ねぎの涙なのか、心の涙なのか。

僕にはわからなかった。


◆◆◆◆◆


「よし、完成!」


その後も順調に進み、夕飯の準備が完了した。


綺麗に焼けたハンバーグ。

ソースは中濃ソースとケチャップに胡椒少々。

付け合わせにはジャガイモと人参。

あとはスープとご飯。


バッチリだね!


「いただきます!」


「……いただきます」


早速ハンバーグに箸を入れる。

肉汁がじわっと広がり、良い匂いがしてくる。


「……美味しいっ」


「そう、良かった!」


ソフィアの驚いた声に、笑顔で返す。

視線は合わせられないけど、雰囲気で伝わると思って表情に出すことにした。


「元気になるには美味しいものを食べるのが一番。さ、食べよっ」


「はいっ」


少し元気になってくれたかな。

嬉しそうに食べるソフィアを見て少しホッとする。


今日はソフィアがサキュバスだってことを改めて知った1日だった。

そして彼女の苦悩が垣間見えた、そんな日になった。


ここにいる間は少しでも楽しいと思えることができたらいいな。

そんなことを思いながら、ハンバーグの最後のひとかけらを口に放り込んだ。



追伸:香山の記憶はチャミュが上手い具合に消してくれたらしい。

ただ【なにかしら天寿に迷惑をかけた】という記憶だけは消せなかったらしく、後日学校で会った時にめちゃくちゃ謝られたことだけはここに書いておく。

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