第4話

私は荷の中から取り出したランタンを持ち、暗い廊下を歩いていました。

大事な話の途中で、お腹を鳴らしてしまった私。とても情けなく思いましたが、他の受験者の方達も先に進んだ後、誰一人戻ってきていらっしゃらなかったので、どこか他にも休める場所があるかもしれませんし、食糧もどこかに備蓄されているのかもしれないと思いましたので、状況把握の為に、食糧を手に入れる為にと、進む事を決めました。

最初は私一人で行く予定でしたが、私が出発して少ししてから、その人が後をついてきている事が分かりました。出会いこそ、印象があまり良く無い人ではありましたが、二度助けていただき、彼の話も何故か話すことができた方でした。私はその人の存在を感じることで、ほんの少し、安心感を覚えておりました。

歩き始めて、三十分程経った頃でした。白い何かが足に当たりました。蹴ると、ころんっと軽い音がしました。

(石?こんな所に?)

私は、その正体を確かめようと、手を伸ばしました。その時でした。

ざあああああああああ!

天井から、翼が生えた何かの動物の群れが私に襲いかかってきました。

「きゃあああああ!」

 私は手にしていたランタンを落としてしまいました。一瞬にして暗闇が広がりました。顔や、首が、次から次へと長い爪で引っ掻かれました。手で振り払おうとしても、その手に攻撃が集中してきます。口に翼のようなものが当たり、息ができません。

(苦しい……立っていられない)

 息苦しさに、頭がクラクラし、地面に倒れそうになった時でした。

 強風が、吹きました。ぼとぼとと、動物の肉体が地に落ちる音がしました。

 息が吸えるようになり、私は二度程、肺からの重い咳をして、両膝をつきました。

「照らせ!」

 その人の声で、ぱあっと最初は真っ白に、そして徐々に視界がクリアになっていきました。

 落ちていたのは、蝙蝠らしき動物の肉体だけではありませんでした。無残にも肉が引き裂かれ、内臓が飛び出し、目玉が外れている人が、仰向けで横たわっていました。服装から、険しい顔をしていた受験生でした。


「な、なんで……」

「こいつらのせいだ」

その人が背後から現れ、地面を指差しました。肩で苦しそうに息をしながら。

「こいつらって……」

「人食い蝙蝠だ」

「え!」

 地元に飛んでいた蝙蝠は、肉食でしたが、人を襲うとは聞いたことはありません。

「畜生……こんなのまで生み出してやがったのか……」

 その人が、とても悔しそうにしているのが、声色で分かりました。

「生み出す?」

(誰が?どうして?)

 キャンプ用具や寝袋が転がっています。死んだ受験生の持ち物だったのでしょう。

「……ちっ。普通に寝ようとする馬鹿だったのか」

「ちょっと……何も……そんな言い方しなくても……」

「油断してると、すぐに殺られる。それが、この試験だ」

 振り返れば、油断という言葉を使う度に、私は怒られていました。それは、まるで……。

「……この試験の事……知っていたんですか?」

 私の問いかけには答えず、その人は床に落ちていた二匹の蝙蝠の死体を掴みました。

「何してるんですか!」

「腹ごしらえ用」

「……え?……」

 再びの吐き気が私を襲いましたが、吐けるほど、私の胃には何か詰まっておりませんでした。


また少しだけ、私達は歩き、少しだけ広い空間へたどり着きました。木の根が壁から突き出ていため、それらを少しだけ引きちぎり、薪がわりにして焚き火をしました。

「あの……本当に大丈夫ですか?」

「嫌なら食うな」

「……ですが……」

 先程まで自分に襲いかかってきた蝙蝠の肉を食べる気には、さすがになりません。

「……毒とか、ないですか?」

「人食い蝙蝠が怖いのは、鋭い爪と牙だけだ。体内に毒は持っていない」

「そんな事、よく知っていますね……」

「……魔術師に、毒の知識は不可欠だ」

「……そうなのですか?」

 彼は、一言もそんな事を教えてはくれませんでした。彼が残してくれた辞典にも、そのような事は書かれてはおりません。

「……毒は……風と土の応用魔術だ……」

「風と……土?」

「空気中や土に含まれる物質の融合によって、肉体のあるべきシステムを破壊させる」

「……それは知りませんでした……」

「毒を支配できる人間は、極力少ない方が良いという考えだからな。情報はごく一部の魔術師しか降りてはこない」

(何故、この人はそこまで知っているのでしょうか?)

「……焼けたぞ」

 その人は、蝙蝠の肉を火から取り出し、一口頬張りました。本当に大丈夫なのか、じっくりと観察しておりますと、ぐうと、お腹が大きな音を立てました。私も炎からお肉を取り出し、前歯でほんの少しだけ齧ってみました。それから、齧るのが止まらなくなりました。肉が無くなるまで、無言が続いていましたが、手に骨だけが残った時には、自分の目から涙が溢れていました。

 ただ彼の姿が見られれば良かったのに…………それが、あんな風に人があっという間にバラバラにされて殺されるのを目撃することになるなんて……。もしかすると、私自身があんな風になっていたかもしれません。

「寒いのか?」

「あ……」

 その人は、私の表情を見て、寒さで私が震えている訳では無い事に気付いた様子でした。

「……続けるか?」

「え?」


「試験。もう、辞めたらどうだ」

「今更辞めるなんて……」

 そもそも、国王は、三日過ごせば専属魔術師になれるとおっしゃっていましたが、辞退をする方法は何もおっしゃりませんでした。

「辞められるなら、辞めたいんだな?」

「それ……は……」

 言葉に詰まりました。まさかそれが、王国を司る王族が、受験者の命を無残に散らすものだとは思いませんでしたから。

「専属魔術師って、一体何なのですか?」

「……それを聞く意味は?」

「私は、専属魔術師は、世界の人を救う、価値ある仕事だと、教わりました。ですから、彼が、地元を飛び出してでも目指した事も、理解しています……だから……」

「目指したい……と?あれだけのものを見てもまだ?」

 その人の声の温度が、一気に下がりました。諦めろ、と目が訴えています。

「正直言えば、彼と同じ仕事に就きたいというだけの……とても甘い考えだったと……思います。それに、才能も無いので、記念受験……だと割り切ってもいました」

 偽りのない本音です。私は、専属魔術師というものを本当に軽く見ておりましたし、強い意志で目指していなかったのだと、認識させられました。でも……。

「分からないのです……どうするのが、正しいのか……」

 専属魔術師になりたいと願った、魔術の道を志した人間達を、何故殿下はあのように、虫を潰すように扱ったのか。

 遠くから聞こえる噂しか、私達の耳には王族の事は届きません。噂と御触れだけが、私達が王族の事を民の事を真剣に考える善意の方々であると、信じ切っていました。

 愛する国民。確かに試験直前に、殿下はおっしゃいました。王族は、国民を世界から守るために、専属魔術師を従えて、共に、数々の困難と戦っていると。……その愛する人に、あのような真似を何故、できるのでしょうか?確かに生があり、直接声を交わしたはずの愛する人だったものを、あのように……足で……。

「専属魔術師は、価値があるものなんかじゃない」

「どういうことですか?」

「……魔術の成り立ちは、知っているか?」

「……四大元素と祈りの話……ですか?」

私がそう言うと、その人は手をあげて「風よ」と言いました。変化が無かった空気に、急に流れが生まれ、私達の上を掠めていきました。すぐにその人が手を握ると、風もさあっと止みました。術使った直後のその人は、やはり先程と同じように、少し息苦しそうでした。


「風は、気圧の変化で本来起こるべきものだ」

「はあ……」

「気圧は……空気の温度で変化する」

「そうなんですか……?」

「ここは……そんな気温の変化など、全く起こらない密室だ……。そんな中で風を起こそうとすると……歪みが•…」

 その人が咳き込みます。とても苦しそうに。

「大丈夫ですか!」

 ターバンが汗で湿っているようでした。私はターバンを取ろうとしましたが、その人は私の手首を力強く掴んで拒みました。

「触るな」

「でも、気持ち悪く無いですか……?」

「……いいから、これには触らないでくれ……」

「……わかりました……」

「話を続けても、良いか」

「……はい」

「風が起こらないはずのところで風を起こす。それは、本来あるべき自然の理を断ち切ることと等しいことだ」

「自然の理を断ち切る……?」

「あるべき論理、古くからの必然を根底から変えてしまうということは、どこかに大きな歪みが起こる」

「歪み、ですか……?」

「本来、有りのままであるべきバランスによって、世界がうまく息づくように、物質が調和されていたのが、魔術が生まれる前の世界だった。健全な世界だった。海には魚が泳ぎ、炎は熱により生み出され、土からは種が芽生える。人は、それらの力を借りるだけで生きていけたはずだった。そう、進化していたはずだった。それを、汚い欲望によって、理を壊したのが、この国の王族だ」

「どういう、事ですか?」

「奴らは、決して国民の事を考えちゃいない。奴らにとって国民は、気分を高揚させる薬か、使い勝手の良いおもちゃぐらいにしか思っちゃいない」

「そんな……」

「国民の心を操るため、出すべき情報と出すべきでは無い情報をコントロールし続けた王族と、都合の良い情報しか届かなくなった国民……。その裏で、自分達にとって都合が悪い事は、どんな事ををしようとも、決して外に漏らすことはしなかった。その結果、王族達は自然すらもコントロールすることを望むようになった」

「自然の、コントロール……」

「奴らが欲しい時に風を、雨を、炎を出し入れする事で、食糧もコントロールできる。勿論、逆もできる」

「逆って……まさか……」

「自分達に逆らう民族が現れると、雨をわざと降らせないことで、あえて不毛の地を作り、戦争をさせて、自滅させたこともあった」

「酷い……」

「そういう事も厭わない、卑劣な連中が、この国の王族なんだ」

 今の話を、もし彼が聞いていたら、どう思ったのだろう、と、私はかつての彼の真剣な眼差しを思い出し、胸が苦しくなった。

「で、では専属魔術師って、その王達の望みを叶える為の人達だというのですか?」

「半分当たりで、半分外れだ」

「半分?」


「闇の時代と呼ばれた頃も、知っているな?」

「最初の専属魔術師が誕生した、きっかけの時代……ですよね」

自然の法則が狂っていた。それも全て、王族……人間が生み出した魔術によって引き起こされたこと。……無理やり、起きるはずの無い現象を起こすことで、自然は大きく傷ついていた。その傷を治すために、自然は膨大なエネルギーを使うことになる。ところが、傷はどんどん深まっていく。……耐えきれなくなり、かつての姿に戻ろうとした自然が、暴発して引き起こされたのが、あの災害の数々だった」

 そこまで言って、その人がまた大きく咳き込みました。

「やはり苦しいのでは?これを、外しましょう」

「やめろ……それだけは……」

 私は、その人の頭のターバンを思いっきり引っ張りました。出てきたのは、ほとんどの皮膚がしわくちゃな顔と額。地元の七十代の祖父を遥かに上回る年齢だと想像するのは難くありませんでした。

 私とその人の目が、はっきり合いました。顔を隠していても、感情が伝わるその人の瞳が、ほんの少し揺れていました。その後、その人は大きく深呼吸をしました。酸素を求めるように。

「一度お休みになってはいかがですか?」

 私は、ここでその人の話を一度止めるべき、と思いました。話せば話すほど、その人の苦しみが増しているようでしたので。

「大丈夫だ……」

「ですが、一度お眠りになったらどうです?」

「いや、まだ、眠るわけにいかない」

「どうしてですか」

「試験が、終わって……ない……」

 三日間。なんと過酷なことでしょう。眠れば、先程の方のように、あっという間に肉として食われてしまうかもしれません……そう言うことなのでしょう。

「あなたは、過去にもこの試験を受けた事があるのですか?」

 私がそう尋ねた時、その人のまぶたはすでに下がり、寝息を立てておりました。

 

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