34 哀れ

 34 哀れ


 アワレがバスケットに入れて持ってきたサンドウィッチを、博士と一緒に食べた。

 調理用のロイドに作らせたものでは無く、アワレのお手製らしい。

「お口に合いますでしょうか?」

 はにかむアワレを珍しく思いながら、少し歪なサンドウィッチを頬張った。ハムとレタス、それとマヨネーズに少しのからしと言うシンプルなものだったが、それはとても美味しかった。

「武文様、どうでしょう?」

「うん、美味いよ、アワレ」

 そこでアワレは、安堵したように息を吐き出した。

 食べ終わった後、コーヒーをもう一杯だけご馳走になり、俺達は博士の家をお暇することにした。

 帰り際、玄関まで見送りに来てくれた博士が、一枚のICチップを俺に手渡した。

「この子の左耳のつけ根に、差し込む箇所がある。感情をすべて表現出来るようになるオプションプログラムだ。本来は存在してはならないものなので、くれぐれも、特に皆藤社長には内密に頼むぞ。ま、この程度の裏技は、許されてもいいだろ? 一度インストールをするとアンインストールは不可能だ。使うかどうかは、君が決めるといい」

 博士は軽く口角を上げ、それからアワレに、サンドウィッチ美味しかったよと、微笑んだ。

 博士に麗を言ってから、俺達は車に乗り込み、彼の家を後にした。


 帰りの車中、俺はずっと、アワレの手を握り締めていた。いや、俺がアワレ、手を握って貰っていたの

だろう。

 駄目で元々。自分にもそう言い聞かせていたつもりだった。にも関わらず、俺は心から湧き上がる失意と落胆を隠せなかった。

 やはり、博士に何かを期待していたのだろう。この状況を、きっと何とかしてくれるだろうと、そう願っていたのだろう。あっさりと断ち切られてしまった一縷の望みは、混沌とした靄となって、心の内側に徐々に広がっていった。

 自分の無力さを痛感しつつも、ならば俺がアワレの為にしてやれるが何かあるかと、上手く回らない頭を必死に巡らせても、哀しみや喪失感だけで、何も浮かんでは来なかった。

 俺は、俺の中身は、こんなにも空っぽだった……。

「哀れだな……」

 アワレの顔を見ないように、窓の外を眺めながら、思わずそんな言葉が零れ落ちた。

 不意に、頬を雫が一筋、重力に従い道を作った。

 哀れなのは、俺だった……。


 家に帰り着くとすぐに、警備用のロイドが俺達を迎えてくれた。

「無事戻りましたよ。お仕事お疲れ様です」

 アワレは警備用のロイドに、笑顔でそう話しかけた。こいつも内側では、俺達の帰還を喜んでくれているのだろうか……。

「武文様、本日はありがとうございました」

 アワレが俺に向き直り、ペコリと頭を下げる。

「礼なんか要らない。寧ろ、俺が付き合わせたんだ。礼を言うのはこっちだろう」

 そう言うと、アワレは軽やかに顔を綻ばせた。

「いえ、滅相も御座いません。ご夕食までまだ時間が御座います。お疲れでしたら少しお休みになられては如何ですか?」

「いや、いい……。そんな気分じゃないんだ」

「そうですか、でしたら……」

「アワレ……」

 アワレの言葉を遮り、俺は手の中に握られていた、博士に貰ったチップを見せた。

「先程、博士に頂いた物で御座いますね」

「お前はどうしたい?」

 聞くと、アワレは俺の目を真っ直ぐに見つめ返してきた。

「武文様がお決め下さい」

「いいのか? 俺に任せて」

「勿論で御座います。武文様のご意思でしたら、私は全て受け入れます」

「怖くは、無いのか?」

「何を怖がることがございましょうか。ですが、博士のお宅でも申させていただきましたが、私はこの通り、相当の果報者で御座います。故にそちらのプログラムを頂きましても、あまり変化は期待出来ないかもしれません」

 そう言ってクスクスと笑うアワレの素直さに、胸が締め付けられる。

 俺自身、掌のチップを使うかどうか、相当迷っている。俺には哀しみや怒りなんて、アワレに必要だとは思えなかった。

 だけど、それと別の感情も浮かぶ。

 結局それは、俺のエゴなのかもしれない。アワレが何を望んでいるのかなんて、俺には分からない。

 だけど、こうも思う。俺が博士にこのチップを貰った事、それ自体にも、何か意味があるのだろう、と。

 暫し逡巡した後、俺は決めた。

「分かった……」

 そう言って近づくと、アワレは俺に戴冠式を任せるように、ゆっくりと膝をつき、そっと目を閉じた。その楚々とした佇まいに、手弱かに軽やかに流れていく小川のような清らかさを感じた。

 手の届く距離まで近づいた時、俺も膝を屈め、アワレにそっと右手を伸ばす。そしてそのままアワレの髪を優しく梳いて、硝子細工を扱うように、後頭部に手を添えて、そっと抱き寄せた。

「……やめた。お前は今までみたいに、いつもニコニコ笑ってるのが、一番だもんな」

 腕の中のアワレにそう言葉をかけながら、左手を背中に回す。その言葉を、俺は自分自身にも深く言い聞かせた。博士に会いに行ったこと、話しを聞けたこと、チップを貰ったこと、それらのことは全て、意味があったことなのかもしれない。神様が俺達の未来を良い方向に導く為の、重要なアイテムだったのかもしれない。

 だけど俺には、アワレに今更何かを付け加える必要を感じなかった。こいつは、今このままで充分だ。そう感じたのだ。

 何が正解で、何が間違っているのかなんて、分岐点に立っている時には分からない。だけど、どう言う選択をしても、それは自分が決めた事なのだと自信を持っていれば、少なくともその行為は、過ちにはならないだろう。

 そうして俺が選べる選択肢は、当然ながら俺が出来る事に限られる。そして俺に出来る事なんて、こいつの全てを全力で受止めてやる位しか、思いつかなかった。

 アワレは確かに、俺の事を受止め続けてくれた。だから、今度は俺の番だ。

 だからチップは要らない。

 こいつに、これ以上何かを足す必要は無い。

 アワレは俺から少し身体を離し、柔らかく微笑んだ。

「仰せのままに」

 空気に、花が舞った。

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