11 父

11 父


 三日後の昼、庭の木々が葉を落とし始めた頃に、父さんが家に顔を見せた。

 街外れにあるこの家は、父さんの仕事場である都内に行くには、電車で2時間もかかる。なので、仕事に忙殺される事の方が多い父さんは、仕事場の近くにもう一軒家を買い、普段はそこで生活をしている。お手伝いさんも週に2~3度は訪れるらしいが、ほとんどは気ままな一人暮らしだ。部屋の広さもそれ程ではないと言っているが、ビル街の真ん中にぽっかりと50坪の家が建っている様は壮観だろう。オフィスも兼ねているらしく、気の合う仲間との会食や、パーティーなんかも開かれるらしい。俺はほとんど行った事は無いが。

 食堂で二人で食事をする。

 父さんと会う時も、長めに伸ばしている前髪で、出来るだけ父さんの顔は見ないようにする。相手が父さんでも、やはり顔を見てしまうと頭痛が強くなるからだ。見た目は何も変わらないのに、どうしてアワレだけは大丈夫なのかは自分でも疑問だ。

 昼食を済ませた後、食堂にアワレがお茶を持ってきた。

「旦那様、お初にお目にかかります。武文様の身の回りのお世話をさせていただいております。しがないメイドでございます。どうぞ、何かありましたら、お気軽にお申し付け下さいませ」

 流暢に話すアワレを見て、父さんは少しだけ唸った。

「いや、改めて感じるよ。すごいな、最新のAIは……。動物型のコンパニオンロイドにも驚かされたが、人型でもここまで自然になるとは。あまり現場には顔を出さないから分からなかったが、なるほど、これはよく出来てる」

「お褒めに預かり、光栄でございます」

 裾をつまみながら会釈をするアワレを見て、父さんは改めて呟いた。

「それにしても、随分と可愛いじゃないか。武文、変な事してないだろうな?」

「してるわけないだろ」

 父さんの事は嫌いではないが、からかわれるようにこういう下世話な話をされると嫌気がさす。

「武文様はとてもよくして下さいます。旦那様のお気持ちも分かりますが、ご心配されるような事は何もございませんので、ご安心くださいませ」

 そう言ってアワレは、お茶を自分と父さんの前に注ぎ、部屋を出て行った。

「随分、美味いお茶を淹れるんだな」

 一口啜り、父さんは感慨深げに呟いた。

「それに、お前もあのロボットとは普通に話せているようだし、名前で呼ぶほど愛着も沸いてるみたいだしな。大金を注ぎ込んだ甲斐はあったかな。これならコストパフォーマンスにさえ気をつければ、間違いなく普及するだろう」

 満足そうに俺を一瞥してから、お茶をもう一口飲んだ。俺も目の前のカップを傾ける。紅茶ではなく、今日は父さんが好きなグリーンティーになっている。予めデータとして入っているのか、それとも俺があいつと話した中にそういう話題が出てきたのか。

「父さん、最近も忙しいの?」

「ああ、今新しいプロジェクトを抱えててなぁ。それが成功すれば、あのロボットのようなメイドが随分と世の中に出回るかもしれん。ただ、数藤博士があまり乗り気では無くてな、頭のいい人間の考える事は、よくわからんよ」

 数藤秀介博士。

 アワレの取扱説明書にも記述があったが、確か、ネオプラスチウムと言う素材を開発して、それに伴い動物型のコンパニオンロイドを普及させた第一人者。その人が父さんの会社、ロボット製作のパイオニアであるウィンテルと業務提携を結んだと言う話を風の噂で耳にした。

「今はまだ、一部の富裕層の間に売れているだけでな、やはりコスト回収を考えている為に初期設定値段が高い。だから一般の市場にはまだまだ出回りそうになかったんだがな、今回のプロジェクトが上手く行けば、一家に一台、ああいう高性能のメイドの時代が来るかもしれない」

 父さんは淡々とだが、それなりに熱っぽく語っていた。

「聞いていい? アワレ……、あのメイドに、感情をつけさせたのって、博士のアイディア?」

「そうだなぁ、元々感情面ではより自然の物に近づけるように、コンパニオンロイドの時点でAIはついてたらしいが、人型となると話は別だからな。秀介博士が揉めている点はそこなんだよ」

「そこって?」

「あのメイドは喜と楽の感情は入っているが、それはプロトタイプだけになるかもしれんと言うことだ」

 俺は眉を潜めた。

「じゃあ、世間に出回る新型は、感情を持たないかもって事?」

「ああ、文字道理、ただのロボットだな」

「それじゃあ、今までのロボットと何も違わないだろ?」

「そんな事は無い。AI機能は標準装備しているんだから、こちらがデータを送らずとも自動で家事や通常業務をこなしてくれる。ただ、表面的な感情の起伏が現れないと言う事だな。だけどな、これは凄いことなんだぞ。あのメイドのように流暢に話す部分は変わらないし、受け答えはより一層自然になる。それに技術部の連中が言うにはな……」

 その時、父さんの言葉が止まった理由は、俺が机を両手の平で強く叩き付けたからだ。両手の平がジンジンと熱を帯びていく。カップの中のお茶が、少しだけ外に飛び出す。

「ど、どうした、武文?」

 訝しげに聞く父さんに、俺は答えた。

「……いや、ごめん、なんでもない」

 俺自身、どうしてそんな事をしたのか分からない。だけど、何か嫌だったんだ……。

 そうやって感情を削り取られたロイド達が、自分達の感情を表現する場を持てなくなるのが嫌だったのか、それとも、今のアワレが自分の救いになってくれているから、その機能を奪ってしまう事が、心の中の何かの衝動を動かしたのか……。

「父さん、今日は何時までこっちに?」

「いや、このお茶を頂いたらもう行かなきゃいけないんだ」

「そう……」

 胸の内は、まだモヤモヤしたままだった。だけどそれは一度堪え、僕は、父さんにどうしても聞かなきゃならなかった事を、聞いた。

「熊坂の母さん、なんだって?」

「ああ、その事か。まぁ話した通り、あの時は逆に申し訳なかったと……。それから、離婚の調停も無事に済んで、今はそれなりに穏やかに暮らしているらしいぞ」

「そうか、よかった……」

「武文……」

 父さんは優しくこちらに声をかける。

「もう気にするな。あれはお前には何の罪も無い。熊坂君の自殺はお前のせいじゃ……」

「分かってる!」

 自分でも驚く程大きな声が出た。頭痛がまた一つ脈を打ち、顎に汗が流れてくるのを感じる。

「じゃあ、父さんはもう行くからな。また顔を見せる時には連絡をいれる」

 そう言うと父さんは、食堂を出て行った。少ししてから、玄関の閉まる音と、車の走り去る音が聞こえた。

 俺は椅子に座り、その場で頭を抱えた。

『熊坂君の自殺は……』

 ――分かってる、俺のせいじゃない……。

 分かってるんじゃない、分かろうとしているんだ。

 だけど、そう頭で認識しようとしても、あいつの顔は頭から離れてはくれない。あいつの声が、仕草が、思い出が、頭から離れてはくれない……。

 その時、食堂のドアが開き、俺に近寄ってくる足音が聞こえた。そして、俺の横にコトンと何かが置かれた。それは、水の入ったコップと、いつも服用している頭痛薬だった。傍らには、アワレが立っている。

「武文様、よろしければ」

 鳴り止まない頭痛にそっと手を添えるため、俺はアワレの優しさを受け取る。錠剤が身体の中を入っていく。水の流れていく感覚が心地いい。

「ありがとう、アワレ」

 自然とそう零れた言葉を、アワレは素敵な笑顔で返してくれた。

「いえ、とんでもございません」

 さっきのモヤモヤの正体が、何となく分かった。

 俺は、これから作られ旅立っていくであろうアワレの後輩達にも、こんな素敵な笑顔をして欲しかったんだ……。

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