第44話 夏の終わり その1


 祭りの最中に、突如として死の大地へと変わってしまった神社。

 その衝撃的なニュースは、のどかな自然が広がるだけだったこの街を、一夜にして日本一有名な街へと変えてしまった。


 毎日の様に空を旋回する報道ヘリ、街を歩けばカメラを向けられ、コメントを求められる。

 また、この日を境にして忽然と姿を消した五人の行方もつかめず、週刊誌が「現代の神隠し」との見出しで騒ぎ立てた。


 神社の境内では、今も調査が続いていた。

 原因が全くつかめないこの奇怪な現象。

 土は死に絶え、向こう十年は何も育たないだろうとも言われた。

 山の中腹に出来た円形の荒地には、神々からのメッセージなのではないか、はたまたUFOが降り立った跡なのではないか、などと言ったゴシップ的な噂も流れ、世間は無責任に盛り上がった。

 しかしいくら調べても特に進展することもなく、二週間も過ぎた頃には世間の熱も冷め、報道する回数も日に日に減っていき、街は少しずつ平穏な日常に戻っていった。




 柚希や早苗も、元の生活を取り戻しつつあった。

 あの日の後、柚希は早苗と孝司に全てを打ち明けた。

 二人共最初の内は、余りに荒唐無稽なその話を信じることが出来なかったが、紅音を失った柚希が真摯に語るその姿に、少しずつ受け入れる姿勢になっていった。


 そして何より、クラスメイトの三人が神隠しにあったこと、神社で起こった、誰人にも説明できないこの異様な現象を、ある意味何の矛盾もなく説明できる柚希の話は、受け入れるに値する物でもあった。


 孝司は、今、全てを信じることは出来ない、ただ柚希のことを信用している以上、柚希の話を受け入れないわけにはいかない、そう言った。

 そして柚希の願い通り、このことはここだけの話で、一切他言しないことを約束した。



 早苗はショックを隠しきれなかった。

 早苗がいつも感じていた、柚希と紅音の間にあった深い絆、そこにこれ程までの理由があったのかと思うと、体の震えが止まらなかった。

 紅音が、そして柚希がこれまで背負っていた十字架の重さは、早苗の想像を遥かに超えていた。

 この二人は、正に命を賭けた絆で結ばれていた。

 それに比べて、自分はなんてちっぽけなんだろう、そう思い自己嫌悪に陥りそうになった。


 余りにも衝撃的な柚希の告白に、自分がこれからどうすればいいのか、早苗は分からなくなってしまった。

 しかしそんな早苗を救ってくれたのは、やはり柚希だった。


「早苗ちゃんには何も話せなくて、正直悪いと思ってた。でもそれは、早苗ちゃんを信用していなかったからじゃないんだ。


 全てを知っていた先生、晴美さん、そして僕は、いつも紅音さんの症状が再発することに怯えていた。それは紅音さんと付き合う上で、必ず変な違和感を紅音さんに感じさせていたと思う。だから僕は早苗ちゃんにだけは、そんなことを考えず、桐島紅音と言う女の子をそのまま見て、そして接して欲しかったんだ。


 紅音さんは早苗ちゃんといる時、本当に楽しそうだった。早苗ちゃんは本当に自然体で、そして真っ直ぐに紅音さんと向き合い、そして友達になってくれた。紅音さんもきっと、幸せだったと思うんだ」


 柚希の話に、早苗は泣いた。

 一人苦しみを背負いながら、いつも笑っていた柚希。

 それを気付けなかったことを詫びた。


 今もなお、誰よりも深く哀しんでいる筈なのに、柚希は自分を優しく慰めてくれる。

 早苗は柚希の強さに触れ、柚希への思いをあらためて強く感じた。




 そして、8月31日。


 柚希は早苗を、あの小川に連れて行った。




「風、気持ちいいね」


 川面をみつめながら、早苗が言った。


「紅音さん……この場所で亡くなったんだよね……」


「うん……」


「私、正直今でも信じられないんだ……」


「紅音さんの能力のこと?」


「ううん、そうじゃなくて……まあ、確かにそのことも、頭の中でまだ整理中って感じなんだけどね。でもそれよりも、紅音さんがもういないってことが……ね」


「うん、僕も……今でもこうしていたら、コウの鳴き声が聞こえて、見上げたら紅音さんがそこに立って笑ってる……そんな気がするんだ」


「だよね……」


「早苗ちゃん、紅音さんは幸せ……だったかな」


「え?」


「異能の力を持って生まれてきて、その力のおかげで普通の生活を許されず……紅音さんの人生って、なんだったんだろうって、最近考えるんだ」


「馬鹿柚希」


「え?馬鹿?」


「馬鹿だよ。そんなこと、一瞬で私が答えてあげるわよ。幸せだったに決まってるでしょ」


「……」


「だって紅音さんは、柚希と出会えたんだよ」


「え……」


「確かに紅音さんはずっと、普通の人が当たり前に受けている幸せから、少し離れていたかもしれない。でも紅音さんは、柚希と出会って、最高に幸せな時間を過ごしたんだよ」


「……」


「それにね、短すぎる人生ってのは、確かに寂しいことだけどね、人生は長いことだけが幸せじゃないと思うんだ。

 例え短い人生だったとしても、その時間の中で深く、強く生きていれば……きっとその人は、長生きしている人たちと同じぐらいの幸せを掴めたと思うんだ。そして何より……」


 早苗がそう言って、柚希に背を向けて川を見つめた。


「紅音さんは、柚希の腕の中で旅立ったんでしょ……この世で一番大切な、一番愛している人の腕の中で旅立てた……私、紅音さんは本当に、幸せだったと思うよ……」


「早苗ちゃん……」


 柚希が早苗を、後ろからそっと抱きしめた。


「柚希……?」


「今日、早苗ちゃんをここに呼んだのはね、あの日の返事をしたいって思ったからなんだ」


「あの日って」


「早苗ちゃんが僕のこと、好きだって言ってくれたこと……今日、答えたいんだ……紅音さんと出会い、そして別れたこの場所で……」



 柚希の言葉に、早苗はまたしても全身の血が逆流するような感覚を覚えた。

 あんなことがあり、当分この話題には触れないでおこうと思っていた所だった。

 心の準備が全く出来ていなかった。


 柚希が早苗を振り向かせ、両手を肩に乗せた。

 早苗の心臓は、今にも破裂しそうになっていた。

 目の前にある柚希の顔を見ることが出来ず、目をつむってうつむいた。

 足が震え、立っていられなくなりそうだった。




「早苗ちゃん、僕と付き合ってくれませんか」




 風が少し強く吹いた。


 そのせいだろうか、自分が思っていた言葉が真逆になって聞こえた気がした。


「え……」


 早苗がゆっくり、柚希に顔を向けた。


 そこには早苗の大好きな、穏やかな笑顔があった。


「早苗ちゃん、好きだ」


 聞き間違いではなかった。


 柚希は今、確かに自分のことを「好きだ」と言った。


「あ……あ……」


 早苗が力なくそう言い、その場にへなへなと座り込んだ。


「だ、大丈夫?早苗ちゃん」


 柚希が早苗の腕を掴みながら、慌てて自分も早苗の前に座った。


「柚希……私の耳、変になったかも……」


「早苗ちゃん、変になってないよ……って言うか、どう聞こえたの?」


「柚希が私のこと、好きって……付き合ってって……」


「うん、僕、今そう言ったよ」


「本当?……でも、どうして……」


「僕が早苗ちゃんのこと、好きだから」


「そんなこと……だって柚希は、紅音さんのことが……」


「確かに僕は、紅音さんのことが好きだった……いや、今も好きだよ。この気持ちは、これからも変わらないと思う」


「だったら……」


「僕は早苗ちゃんから気持ちを伝えられた時、少し時間が欲しいって言った。それは僕の中に、早苗ちゃんと紅音さん、二人の女の子が間違いなくいたからなんだ。

 だから僕は、自分にとって何が本当なのか、考えたかったんだ。それをずっと、ずっと、考えてた」


「……」


「僕はあの日、この場所で紅音さんからも告白されたんだ」


「紅音さんから……」


「うん……嬉しかった……憧れの紅音さんからそんな風に想ってもらって……でもね、同時に紅音さん、僕を振ったんだ。『でも、柚希さんとは付き合えません』って」


「……」


「紅音さんは多分あの時、僕の気持ちを分かってたんだと思う。僕の心が、早苗ちゃんを見ていることを……そして、早苗ちゃんと幸せになってくれって……

 僕は紅音さんのことが好きだ。でも、僕が紅音さんのことを好きだって言うこの気持ちは、紅音さんのあの強さ、優しさ、気高さに対する憧れなんだと思った……そして僕自身、そんな紅音さんの側にいて、守っていきたいと言う気持ちなんだって。


 でも早苗ちゃんとは、一緒に人生を歩んでいきたい、そんな思いだったんだ。

 いつも早苗ちゃんの側にいて、笑って、泣いて……早苗ちゃんの人生を、一緒に歩み続けたいって、そう思った。


 僕は早苗ちゃん、君とずっと一緒にいたい。だから、僕の方から早苗ちゃんに告白しなければいけない、そう思った。僕の中には紅音さんが生きている。紅音さんを想うこの気持ち、僕は忘れずに生きていきたい。それが桐島紅音と言う女の子と出会えた僕、藤崎柚希なんだから。


 早苗ちゃん、身勝手なことを言ってると思う。でもこれが、僕の正直な気持ちです。

 好きだ、早苗ちゃん。付き合ってくれませんか」



 迷いのない力強い言葉を投げかける柚希の顔を、早苗はじっと見ていた。

 自分の中にあるそんな思いを、わざわざ伝える必要はないのに……黙っていてもいいのに……そう思った。

 しかしこれが私の選んだ人、藤崎柚希なんだ。

 早苗が微笑んだ。



「……馬鹿柚希」


「はい……って、いきなり馬鹿?」


「馬鹿だよあんたってば。どこの男が、告白する相手にそんなことを馬鹿正直に喋るんだって……あんたがそう言って正直に言ってくれたから、私も言うけど……


 私ね、紅音さんの代わりでもいいと思ってた。柚希がどんなに私のことを好きだって言ってくれても、例え付き合うことが出来ても、あんたの中にはずっと紅音さんがいてる……そしてあんたは、隣にいる私に紅音さんの面影を重ねて……でもね、それでもいいと思ってた」


「……」


「それでもいい、紅音さんの代わりでもいい……それぐらい私、柚希のことが好きなんだって……そう思ってた……なのにあんたってば、私の心の中を覗いてきたみたいなこと言って……まいったな」


「早苗ちゃん……」


「ありがとう……柚希の中に紅音さんがいてる、それでいいんだ……だってそれって、紅音さんが生き続けているってことでしょ。私も紅音さんのこと、大好きなんだから。だからこれからは、二人で紅音さんのこと、思い続けていようよ」


 早苗の頬に、一筋の涙が流れた。


「でも柚希、柚希は私のことを、小倉早苗のことを好きって言ってくれた……嬉しい……」


「早苗ちゃん、大好きだよ……」


 柚希は早苗の頬を流れる涙を、指でそっと拭った。


 その仕草に、早苗は幸せそうに笑った。




「大好きだよ、柚希……ずっとずっと、私の隣にいてください……」


「早苗ちゃん……もっともっと僕、早苗ちゃんのことが知りたい……そして早苗ちゃんの笑顔、守っていきたい……」


「柚希……」


 二人が唇を重ねた。




 優しい風が心地よかった。

 遠くで鳥のさえずりも聞こえる。


 二人の心は温かさに満ちていた。

 穏やかで幸せな気持ちが全身を包んでいく。


 これからは二人、いや、三人、いつも一緒だ、そう思った。

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