第30話 揺れる想い その1


「今日もいい天気ですね」


「はい、風がとっても気持ちいいです」




 この日も柚希は、川辺で紅音との時間を過ごしていた。


 あの一件以来、またこうして穏やかな生活が戻ったことは、柚希にとって何よりの喜びだった。

 確かに色々と問題は残されている。

 しかし柚希はあの日、これからは絶対に逃げないと誓った。

 山崎の問題も、必ず自分の力で乗り越えてみせる、解決してみせると決意した。


 目的を持ち、決意することで人は変わることが出来る。

 今の柚希は、これまでの環境に翻弄されていた日々と決別し、自ら能動的に生きていく道を選んだ。


 いつも穏やかで優しい柚希の横顔に、凛々しさが宿っていることを紅音が感じたのも、必然と言えた。

 紅音の柚希への想いは、日に日に深まっていった。




「でも紅音さん、紫外線の為とは言えその服、暑くないですか?」


「ええ、確かにこれって、見てるだけでも暑くなりそうですよね。でもこの服、見た目よりもずっと涼しいんですよ」


「そうなんですか?」


「はい。この服、これでも夏用なんです。生地も薄いですし、風通しもいいんですよ」


「そうなんだ、なら安心です。紅音さんが僕との約束の為に、暑いのを我慢してここに来ていたら悪いなって思ったんで」


「そんなことないですよ。それに……私はいつだって、柚希さんとこうしてお話していたいですから」


 そう言って紅音が、柚希の手に自分の手を重ねた。


「紅音さん……」


 柚希がその手を握ると、紅音も握り返してきた。


 そして二人、体を寄せ合いながら空を見上げた。




「なーにやってるんだか、お二人さん」


 土手の方から陽気な声が聞こえた。


 その声に、柚希と紅音は反射的に手を引っ込め、土手の方を見上げた。


 そこには、自転車にまたがっている早苗の姿があった。


 早苗は自転車を止めると、軽い足取りで土手を降りてきた。


「こんにちは、紅音さん」


 早苗が笑顔で言った。紅音も嬉しそうにうなずき、


「こんにちは、早苗さん」


 そう言って早苗に抱擁した。


 早苗も紅音を抱きしめると、互いに頬にキスをした。


「あー、ちょっと柚希、またあんた、やらしい目つきになってるよ」


「え……柚希さん、そうなんですか」


「いやいやいやいや。ちょっと早苗ちゃん、変なこと言わないでよ」


「柚希さん……そうなんですか……」


「だから紅音さん、話を聞いてって」


「柚希さん……私……」


「紅音さん、お願いだよ。誤解だって」


「ぷっ……」


「え?」


「ふふふっ」


「あはははははっ」


 慌てて弁解する様子に、早苗と紅音が笑い出した。


「あはははははっ、ねっ、言った通りでしょ、紅音さん」


「はい、ふふふっ……ごめんなさい柚希さん、これって今度、お別れの時じゃなく、会ってすぐに柚希さんの前でしてみようって、二人で話してたんです」


「ええっ」


「あはははははっ。柚希、今の顔最高だったよ。正に私の予想通り」


「……二人共、それって酷くない?」


「ふふふっ、ごめんなさい柚希さん、でも、ふふふっ」


「紅音さんまで……なんてこった、完全にやられたなぁ」


「あははっ、悪い悪い」




 紅音の家に早苗と行ったあの日から、こうしてこの場所で、三人が共に過ごすことが増えていた。早苗から、


「紅音さんと電話で話したんだけど、よければ今日、川で一緒に遊びませんかって誘われたんだ。行ってもいいかな?」


 そう聞かれたのは、紅音の家を訪問した次の日のことだった。


 もう電話で話す仲になったのか、そう思うと柚希も嬉しかった。


「て言うか柚希、ひょっとして私のこと、お邪魔虫って思ってる?」


「そんなことないない。紅音さんから誘ってきたんだろ。人見知りの紅音さんが早苗ちゃんを誘うなんて、すごい進歩だよ」


「……でも、お邪魔虫って思ってるだろ、本心では」


「だーかーら、そんなことないってば。早苗ちゃん、昨日から僕をいじりすぎだよ」


「あはははははっ、柚希の反応ってば、面白いんだもーん」


 紅音と二人きりで過ごす時間も、確かに柚希にとっては大切だった。


 しかしそれ以上に早苗が参加することは、紅音にとって有意義なことだと思っていた。


 何より紅音自身が、早苗を友人として受け入れようとしている。


 それは紅音にとって、大きな挑戦なんだと感じていた。




「折角だから柚希、紅音さんと一緒に撮ってよ」


「いいよ。背景はどっちがいい?」


「うーん……よく分からん!私たちが美しく撮れるよう、先生のセンスにお任せで」


「……それって、ただの丸投げ」


「何か言った?」


「いえ、別に……」


「早苗さん、ふふっ……柚希さんが困ってますよ」


「いいのよこれぐらい。紅音さんも覚えておいてね。柚希ってば多分、こっちが甘い顔をしたらいくらでも付け上がってくるタイプだから。

 あの無害に見える雰囲気に騙されちゃ駄目だよ。こう言うのは初めが肝心だから。こっちが手綱、握ってないと」


「早苗さんそれって、晴美さんみたいですよ」


「あはははははっ、やっぱ私たちって、キャラかぶってるのかな」


「あのぉ……お話が盛り上がっているところ恐縮ですが、そろそろ撮影させてもらってもいいでしょうか」


「あ、忘れてた。ごめんごめん」


「早苗さんったら、ふふふっ」


 柚希が川のすぐ近くにまで二人を誘導した。


 そして二人を座らせると、上から二人を見下ろしてカメラを構えた。


「それで……うん、二人共、頭をお互いの方向に少し傾けて……うん、オッケー……それで早苗ちゃんはちょっとだけ顎をひいて……あ、行き過ぎたかな……うん、それぐらいで……じゃあいくよ……1・2の3」


 陽の光が川面を照らしている。


 それを背景に、柚希はシャッターを切った。


「うん、いい感じ」


 そう言って柚希が笑うと、早苗も紅音も頬を赤らめ、うつむいた。


「あれ……何か気に入らなかった?」


 柚希が首をかしげる。早苗は首を横に振り、


「そうだ柚希、あんた今日、三脚も持ってたよね。どうせだから三人でも撮ろうよ」


 そう言った。その提案に、紅音も手を合わせてうなずいた。


「いいですね、私も撮って欲しいです」


「さあ柚希、早く早く」


「僕も一緒に、かぁ……」


「柚希ってば、写真を撮るのは好きなんだけどね、実は自分が撮られるのって、あんまり好きじゃないんだ」


「そうなんですか、柚希さん」


「うん、自分の写真を見るのって、何か変な感じで」


「でも私、柚希さんとの写真、欲しいです」


「ほらほら柚希、お姫様のご要望だよ」


「じゃあ……」


 柚希が少し手軽なタイプの三脚を出し、地面に設置する。


 その間、早苗が何やら紅音に耳打ちをしていた。


 紅音が笑顔でうなずいている。


 カメラをセットすると、シャッターを押して柚希は二人の元へ行った。


「早く早く」


「ええっ、真ん中?」


「当たり前じゃない。二人の美女に挟まれるのに、文句言わないの」


「柚希さん、早く向こう向かないと」


「う、うん」


 ランプの点灯が早まってきた。その時早苗が、


「それっ」


 と声をあげた。


 その声と同時に、早苗と紅音が柚希の腕にしがみついた。


「ええっ」


 ――カシャッーー


「はいっ、柚希のいい表情、もらいました!」


 そう言って早苗が笑った。


 紅音も、少し恥ずかしそうにうつむいていたが、満足そうに笑っていた。




「じゃあ柚希さん、今日はこれで失礼します」


 腕時計のアラームを消し、紅音が言った。


「じゃあ僕、家まで送ります」


 そう言って立ち上がろうとした柚希の頭を、早苗が押さえつけた。


「今日はいいの。私が送っていくから」


「え?じゃあ三人で」


「だからいいってば。今から私、紅音さんの家に遊びに行くんだから。あんたは遠慮しなさいって」


「早苗ちゃんが紅音さんの家に?」


「何よ。何かおかしい?」


「いや、おかしくはないけど……二人共、いつの間にそんなに仲良くなったのかなって」


「ふっふーん。女の子にはね、男子が持ってないインスピレーションって物があるんだよ。理屈じゃないの。それに私、師匠に弟子入りしたしね」


「師匠?」


「晴美さんのことですよ。早苗さん、最近よく家に来て、晴美さんから料理を教えてもらってるんです」


「晴美さんと……」


 やっぱり気が合ったんだ、柚希がそう思った。


「と言うことだから、さあさあ、男は帰った帰った」


「早苗さん、そんな乱暴な言い方だと、柚希さん傷ついちゃいます」


「大丈夫大丈夫。柚希は強くなるって誓ったんだもんねー」


「あ、あはははっ……ここでそれ、持って来るんだ」


「それにね、柚希ってば優柔不断だから、これくらい強く言っちゃわないと、いつまで経っても帰らないから」


「ふふっ、柚希さんのこと、何でも分かってらっしゃるんですね」


「いや紅音さん、そこは出来れば否定して欲しいんだけど……」


「そうなんですか?」




 土手に上がると紅音は、早苗の自転車の後ろに座った。


「ちょ、ちょっと早苗ちゃん、それ大丈夫なの」


「心配性だなぁ柚希は。ほら紅音さん、言ってやりなよ」


「あ、はい……自転車の二人乗りも出来ないようでは、立派な婦女子とは言えませんので」


「早苗ちゃん……また妙な知識を……」


「何言ってるんだか。これも社会勉強だよ、社会勉強」


「紅音さんが、悪の道に染まっていく……」


「え?柚希さん、それってどう言う……」


「いくよ、紅音さんっ」


「きゃっ」


 早苗が勢いよくペダルを踏み込み、自転車が動き出した。


 紅音が早苗の腰にしがみつく。


 ハンドルにリードをつけられたコウも、一緒に走り出した。


「柚希―っ、晩御飯までには帰るからねーっ」


「おやすみなさい、柚希さん」




 自転車がスピードをあげて走っていく。


 コウも嬉しそうにそれに続いた。


 一人残された柚希は、二人の姿が見えなくなるまで手を振っていた。


「でも……ちょっとだけ寂しい……かな」

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