第35話 貧民街(3)

「貧民街は、どうなるか分からないですからね。凪がやってこない場所とも言えるでしょう」


 アンバーはお茶を飲み干し、さらに話を続ける。


「では、長老。話を戻しますが……、本当に殺人事件のことはご存じない、と?」

「あぁ。それについては自信を持って言えよう。そもそも、そんなことをするとどうして言えるのかね? 私はこの貧民街を良い方向に持って行くことは考えても、悪い方向に持って行こうとは考えない。況してや潰す方向に持って行こうなんて、言語道断だ」

「言いたいことは分かります。しかしながら、これもあくまで調査の一環です。……致し方ないと思って下さい。俺だって、長老が指示したなんてことは思ってもいないし、思いたくない」


 アンバーの言葉を聞いて、長老は頷くと、残っていたお茶を一気に飲み干した。


「分かっているなら結構。とにかく、私はもしここでおぬしが何か調査をするのであれば、全力で協力しよう。この街の人間は犯罪に加担することなどないし、有り得ない。それだけは保証しようではないか」

「分かっています。そして、そうあることを祈っていますよ」



   ◇◇◇



「……長老は、結構優しい人に見えるね」


 長老の家を後にして、マナは開口一番面談の感想を率直に述べた。

 それについてアンバーは全面的に同意する首肯をし、それに続ける。


「あぁ、それは俺にだって分かっているよ。長老は、ここをより良い方向に持って行こうと画策している。だから、立派な人なんだ。そういう人間を疑わないといけない。そういう職業だからな、記者というのは……。でも、これは裏返し。信用しているからこそ、信頼しているからこそ、ああやって踏み込んだ発言が出来るんだ。もしあれが全く知らない人間同士だったら、どうなっていたと思う?」

「……確実に刃傷沙汰になっていただろうな。あの長老が武器を持っているかどうかは分からないけれど」


 ユウトの言葉は間違ってなどいなかった。もしあそこで全面的に悪い方向に持って行けば、どうなっていただろうか。先ず、戦闘は避けられなかっただろう。それもあそこは言うならば敵の陣地の真ん中であった。あそこで全て敵に回していたならば、その後の戦闘が激しいものになることは、火を見るより明らかだった。


「ただ、言えることとしてはそれぐらいかな……。長老が何も知らなかった、というのは想定通りと言えるだろう。けれども、その想定通りを想定通りとするためには、ああやって話を聞かなければならなかった。気分を悪くしたかもしれないけれど、これもプロセスの一つとして抜かすことは出来ない」

「……出来ることなら、争いは避けたいと思っていたから、この結末は有難いことではあるけれどね。でも、実際これで多少は道筋が見えなくなったような気がするけれど?」


 ユウトの言葉は、核心を突いていた。

 当然と言えば当然なのだが、もし貧民街が悪いとするならば、貧民街の主犯となり得るのは長老だろう。しかし、その長老はそんなことは一切しないと言い張っている。それが事実であるにせよ、そうではないにせよ、そこから実は主犯でしたという方向に持ち込むのはなかなか難しいところだ。

 何せ自供しているならともかく、していないとはっきり言い張っているのだから。


「……これからどうするつもりだ?」

「どうするも何も、貧民街をくまなく探索するしかないだろうな。実際、犯人があの通路を使って貧民街にやって来た可能性は十二分に有り得る訳だし……」

「そういえば、アンバーはここにやって来たことはあるのよね?」


 マナの問いに、アンバーは頷く。


「まぁ、仕事柄な。……それがどうかしたか?」

「その時はどのルートを通ってここへ?」

「どのルート……って、さっき通ってきたルートではないよ。貧民街の裏手から配水管を通ると、シェルターの脇にある崖のところに出るんだよ。シェルターの外には繋がっているから、そこを通る時は当然『対策』をしなければならない訳だがね」

「そのルートを知っている人は?」

「少ないと……思うけれど。だって貧民街自体が知られていない場所な訳だし。ここを皆に知られたらどうなるか分かったものじゃないだろう? だから結構必死で隠していると思うけれどな。知り合いでここを知っているのも……多分居ないはずだ。記者は自分の手は隠しておくものだからね」

「じゃあ、あのルートは全く知らなかったのよね?」

「あぁ、全く……。でも、可能性はあったよな。何せ、俺が元々通っていた道も、その配水管を通っている訳だろ? 配水管というか、下水管になるのかもしれないけれどよ……。その下水は何処からやって来る? 当然、上だよな」

「……水は完全にサイクルで回しているはずでは?」


 ユウトの質問は別に変な質問ではなかった。シェルターにある――というよりこの世界にある、と言った方が良いだろう――資源はどれも有限だ。特に空気が汚染され、世界の大半の物質が人間にとって害ある存在と化した今ならば、清潔な物質は貴重なものであると言えるだろう。

 そして、その貴重な資源を使い捨てるのは非常に勿体ない。そう考えた古い時代の科学者は、シェルターに循環型のシステムを導入した。それは、水だろうが塵だろうがどんな物質であったとしても汚れを削ぎ落とし、出来る限りクリーンな形でもう一度使えるように洗浄するシステムであった。


「……まさか、物質を完全にリサイクル出来ると思い込んでいないだろうな? そんなこと、どれだけ科学技術が進歩しようが不可能なんだよ」


 ユウトの考えを、アンバーは一蹴する。とはいえ、循環型のシステムと聞いて、百パーセントの資源がリサイクル出来ると思う人間も少なくはなかった。

 

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