第7話 信じられない言葉

 北斗は、由衣にメールした。


 杏里は、初恋の女性であること。初めて会った時から好きだったが、杏里は丈しか見ていなかった。婚約してしまった今も好きだが、これ以上、そばにいるのがつらい。

 だから、しばらく会うのは控えたい。俺には、彼女ができたとでも、杏里に伝えてくれ。


 彼女だなんて。これからも、できるとは思えないが、言訳としては悪くないだろう。


 由衣からは、すぐ返信があった。


【お兄ちゃん、やっぱり、杏里先輩が好きだったんだね。先輩には、兄は彼女ができて忙しいので、と言っておくよ。

 それにしても、どうして青木丈なんだろう。

 お兄ちゃんみたいに、先輩を大事に思ってる人の方がふさわしいんだけどね。】


 由衣の返信に、北斗は泣いてしまった。


 俺の方が、杏里にふさわしい?

 杏里と、俺が。

 そんなの、夢のまた夢だよ。


 それでも、北斗は、決意した。もう「実験」はおしまいにしようと。

「もう、来ないでくれ」

 丈に電話すると、

「いいのか、それで」

 スマホの向こうで、丈は不敵に笑った。

「杏里に言いつけるぞ。北斗が抱いてくれって迫ってきて困る、ってな」


 北斗は、息を呑んだ。そんなでたらめを。事実は、まるで逆なのだ。

「中一のとき、北斗は俺にキスの実験をしようって誘ってきて、つい乗ってしまった、なんて杏里に言ってもいいのか」


「そんな!」

 杏里が丈の言うことを鵜のみにするとは思えないが、ヘンな奴だと思われたくはない。

 丈も、知っているんだ、俺が杏里を好きなこと。由衣にもバレていた。そんなに分かりやすい態度でいるのだろうか、杏里の前で、

 もしかして、杏里も自分の気持ちを知っていて、やさしく無視してるのかもしれない。

「せっかく始めた実験だ、とことん、やろうぜ」

 丈の言葉に、北斗は逆らえなかった。


 次の金曜、丈は、また北斗の部屋にやってきた。

「痛いのは、やだ」

 こわごわ、本音を漏らすと、

「じゃあ、口でやってみろ。口でいかせられたら、バックは許してやる」

 げんなりしながら、ベッドに腰かけた丈の、それに口を近づける。


 思ったほど気持ち悪くはなかったが、ちょっと舐めた程度では、満足させられそうにない。

「ちゃんと口の中に入れろ。歯を立てるな」

 と言われても、どうしていいのか、わからない。

「これじゃ、いつまでたってもダメだ」

 結局、ベッドに押し倒され、前のように激痛とともに、受け入れさせられた。


 丈は、月に二、三回。金曜の夜に北斗の部屋に「実験」しに来た。以前は、杏里、由衣と四人で飲み会をするのが常だったのに。


 杏里と由衣がガールズトークを楽しんでいる頃、杏里の婚約者と、由衣の兄が、おぞましい行為にふけっている。

 俺はいったい、何をやっているんだ。

 自嘲とともに、ぼんやり、北斗は思う。


「いつまでも痛かったら、ネコやるヤツなんかいないだろう。気持ちいいからだろ、結局は」

 同じ男なんだから。お前もそのうち、気持ちよくなる、というのが、丈の言い分だった。


 自分ばっか、いい思いして。

 本気で俺を楽しませる気があるなら、口でやってくれるとか、丈に入れさせてくれるとか。すれはいいんだ。

 俺のモノに、丈は、触ろうともしない。一生、童貞でいろと言わんばかりだ。


 出してしまうと、丈は、余韻も何もなく、乱暴に引き抜き、トイレに立つ。水流が止まぬうちに戻っていて、服を着る。


「ほかの男と、やるなよ」

 帰っていくときの、丈の捨てぜりふ。

 他の男となんて。

 やるわけ、ないだろ。

 言い返す元気もなく、痛みに耐えている自分。

 絶望だけが、心と体をむしばんでいく。


 丈は、第二の父、なのだろうか。北斗に苦しみを与え、押さえつける存在。

 父が急死し、北斗は自由になれた、そう思っていた。由衣のおかげで、定期的に杏里と会うこともできて、幸せだったのに。


 こうして、数か月が過ぎた。いつの間にか、北斗は、丈の訪問を、心のどこかで、待ち望むようになっていた。

 感じてしまったのだ、バックで。


 認めたくない事実だが、否定はできない。丈にも、それを気づかれてしまい、

「よがる顔が見たい」

 と、つながったまま足を肩の上に乗せ上げさせ、北斗の顔を、のぞきこむ。

「やだ!」

 口ではそう言っても、体は反応してしまう。

 丈が、悪魔のように思えた。

 ゲイでもない北斗に、そこで感じさせる。

 それが、丈が「実験」で確かめたいことだったのだ。


 俺は、もう死のう。

 誰も、俺を欲しがらない。

 俺は、誰からも必要とされていない。

 そのうち、丈は、杏里と結婚する。この関係も終わる。

 杏里の花嫁姿を見たら、もうそれで十分だ、その日のうちに死んでしまおう。


 杏里が雪のようなドレスを着て、嫁ぐ。

 どんなに綺麗だろう、杏里。

 想像するだけで、うっとりしてしまう。

 その姿をひと目、見たい。

 それだけが、北斗の生きる望みだった。



 北斗は、なんとなくだるかった。

 丈が来る日なので、今夜は不調だから、と伝え。許してもらうつもりだった。


 が、丈は、

「おまえは寝転がってりゃいいんだ」

 と、とりあわない。そして、今日はナマでやろう、と、抗菌ジェルを取り出した。ゴムをつけずに、という意味だ。

 不潔な場所だから、と、言っていたくせに、なんだ。そこに、抗菌ジェルを塗りたくる丈を、北斗は憎しみの目で見た。


「よかったぜ」

 いくら薄いといっても、やっぱりゴムなしがいいや、と丈は満足そうにバスルームに消えた。念入りにそこを浄めて戻ると、


「これで終わりにしよ。俺、結婚することにしたから」

 結婚、ついに。

 きしむ体を起こして、北斗は、

「おめでとう。杏里も」


 杏里も喜んでるだろう、と言いかけたのを、丈はさえぎった。

 信じられない言葉を、丈は吐いた。

「杏里じゃないぜ」


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