〈2〉

「それを『命に代えても僕が守ります!』って、お前最初にそう宣言したよなァァァ?!」

 追いかける。みるみる小さくなる背中、もともとそんなに大きくもない魔剣士の背を。


 パリエ・クインズロウ。蜂蜜色の癖っ毛が特徴の、若干十三歳の小さな騎士ナイト。一体どういった理由か、私が王宮を追放となったその日、士官学校予科を自ら退学してまで私についてきたアホだ。今でこそアホだと断言できるけど、当時はここまでアホとは思わなかった。せいぜいアホ寄りの普通で、アホに該当するのはこいつ以外の全国民、つまりこの世にまともなのは私ひとりかと、なるほどこうして思い返せば確かに罪状の通り。


 出会いは、城下町を出てすぐのところ。街道の端、どうやら最初から待ち伏せていたらしい。

「琥珀姫様! お待ちください! どうかこの僕めを、あなた様の従者に」

 なに言ってんだこいつ、とそう思った。もとい、後になって思った。最初は「おやいま足元から何か聞こえたような」と、そう思った瞬間にはもう撥ねていた。交通事故。お前ただでさえチビなんだから姫の足元で膝なんかつくなよと、そう言ってやりたかったけど無理だった。

 そんな元気はない。だって家を追い出されたばかりで、こんなチビでも何かの慰みにはなるかと、適当に背負って出発したのがすべての始まり。

 そして、そもそもの間違い。

 この従者、「剣の腕だけは大人にも引けをとりません!」と大言壮語して憚らない自称天才剣士、漆黒の外套に巨大な黒刀を背負った小柄な少年は、しかしその実、出会いから今日に至るまでの間、ただの一度として剣士としての役割を果たしたことがない。


「無理無理無理無理! いや絶対ムリですってあれは! なんなんですか! ドラゴンじゃないですか!」

 あんた本当に目ン玉ついてます?! と失礼極まりない発言。このパリエというクソガキはいつもこうで、我が身が危険に曝されると、すぐに正直な性根が顔を出す。結果、こうなる。この私が、つまり駿馬しゅんめと同じ速度で走る事実上の馬が、しかしまったく追いつけないほどのとてつもない逃げ足。まあ足場が悪いというのもある。あたり一面の湿地帯、こんなに走りにくい土地もそうそうないのだけれど、でもそれはパリエにとっても同じことのはずだ。

「お前、そのバランス感覚、それ一体どうなっ——ッちょわァァァァァッ!」

 衝撃。ビリビリと、あるいはグラグラと、空気ごと地面の揺れる感覚。慌てて振り返れば、そこにはパリエの言う通り巨大な飛竜ドラゴン。後方上空、明らかにこちらを追いかけてくるその姿は、正直なところデカすぎていまいち実感がない。なんだアレは? いま口から吐いたあの黒いデロデロの塊はなに? ゲボ? ゲボなの? という私のその素朴な疑問に、でも、

「——〝ボ〟?! ゲでしょ? なんですかゲって! きたなっ」

 とか、さも「うそでしょ信じらんない」と言わんばかりの顔で私を見るパリエ。うるさい。ウチの地元じゃゲボ言うんが本式やと、そんなことは正直どうだっていい。

 ドラゴン。地上最強の野生動物であり、神話の時代から生きる大空の覇者。

 噂にはかねがね、というか、おとぎ話で聞いたことがあるけれど——。

「でっっっ——————か! ねえパリエ、あれがドラゴンなのね! 初めて見る!」

 お城の外の世界ってすごいのね——駆ける足は止めないまま、しかし素直な感動に目を輝かせる私に、でもパリエは、

「もう忘れたんすか?! あんた半年に一度は見てんですよ! 種類が違うだけ! 覚えて!」

 とか言う。そして言われてもみればなるほどそんな気もする。これがドラゴンで前に見たあれもドラゴン、違うのは体の色と形状、それと口から吐き出すものだ。半年前に火山地帯で出会ったあいつ、赤い火竜ファイアドラゴンは確か火を噴いて、だからこいつは、

「ゲボドラゴン? ねえパリエ、こいつゲボド」

「いいから逃げるんですよォこのトンチキ姫ェェ!」

 うおおおおお、と気合の雄叫びの後。背中から抜き放った黒刀を、ちょうど私たちの進行方向、鬱蒼とした森へと向けて構える。そして、放つ。剣のきっさきから、なんだろう、何かすごい、不思議な力のようなものを。それは黒くて、まるで靄か炎のように揺らめいて、そして標的に着弾した瞬間、激しく爆ぜるみたいに燃え広がるものだ。

 ——ゲボ?

 とは、言わない。言いこそしないものの、でも似ていた。さっきの上空の黒い飛竜、ダークドラゴンが口から吐いたそれに。ねえたまに見るけどなんなのあれ、と、そう聞くたびにパリエは答えをごまかす。まあ魔法みたいなもんですよ、と、そんな露骨にはぐらかされたら私は黙るしかない。


 私には、生まれつき魔法の才がなかった。

 まったく、微塵も、ひと欠片さえ。ありえないことで、だってあまねく人類は少なからずその素質を持つもの、しかも私は王家の娘だ。

 詳しくは省くけれど、もともと我が王国は魔法立国、初代国王は伝説の大魔術師だった。その才能は代々受け継がれ、でも最初の例外がこの私だ。無才の琥珀姫。魔法の代わりに追加の脚をもらって生まれてきた娘。魔法についてはさっぱりで、だから「魔法みたいなもん」と言われては、ただ「そうか。なるほどな」と知ったかぶって頷く以外にない。


 その魔法が、あるいはみたいなもんが、密集した木々の間にちょうどいい隙間を作る。

「姫様、早く森の中に! あいつは空から追ってきてる、なら森の枝葉を隠れ蓑にし」

「んん? でもさぁパリエ、お前あんだけ剣の腕を自慢してたのに、実際魔法ばっか使」

「魔剣士だから! 魔の部分だからいいんです! もういいから早く! バカ!」

 言われた通り、パリエの開けてくれた〝入り口〟に向かって駆ける。ずいぶん大きく開けてくれたおかげか、駆け込むのに苦労はせずに済みそうだ。またお節介な、と思ったそのとき、「あわっ」と裏返ったような悲鳴が聞こえる。

 パリエ。斜め前方をゆく彼の、ぬかるみに脚を取られて転ぶ声。手から放り出される黒刀は——ううん、ちょっと無理だ。仕方ない。

「よっ」

 膝から腰、小さく勢いをつけて、跳ね上がる。捻るようにした全身が、そのままぐるんと錐のように回って、そして倒れ込むパリエの側、逆さまの姿勢で飛び越える。そのまま、掴む。彼の手を取り、胸元に引き寄せ、そのまま抱き抱えるようにして。着地したときには、再び四本の足が地面に着く。ちょっとした曲芸走行、馬にはまずできないし、人にはなおさら無理な芸当だ。

「はい貸しいちー! 今日の給食当番交代な! あと肉つけて肉。馬肉」

「要求、二個になっちゃってるじゃないですか——っていうか本当やめてくださいよその悪趣味なジョーク!」

 ぎゃあぎゃあわめくパリエの、でもお馴染みの悪い癖。ゴールが見えた途端に気が緩むところ。こうして胸元に抱くのも一度や二度ではなくて、もはやすっかり恒例の「お姫様抱っこ」の——膝や腰を他の人間のようには使えない私が、一番得意とする抱っこの姿勢だ——その体勢のまま私は森へと駆ける。背に乗せた方が楽だし安定するのだけれど、でも彼の方が固辞するのだからしようがない。一応、鞍は常に着けるようにしているのだけれど、どうも彼の言動を見る限り、それすらお気に召さないように見える。

 駆け込む直前、チラリと見上げる、背後の空。

 悠々空を飛ぶ黒竜の、どこか余裕のその表情。


「——ごきげんよう、空飛ぶトカゲさん。この借りは五千兆倍にして返すからなバーカバーカ」

 今日はこのくらいにしといたる——声ならぬその呟きとともに、わたし従者かれは、薄暗い森の奥へと消えるのだった。

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