三題噺帳

泉野帳

一花咲かすまで

 私は田中夢子。今日から高校生の15歳だ。今は入学式の最中で、パイプ椅子の上に手を揃えて座っている。どこにでもあるような制服に身を包んで、校長先生の話を真面目な顔をして聞いている。

 校長は砂時計をひっくり返すと話し始めた。

「えー、諸君は今日から高校生となります。先生や親御さんの言うことをよく聞き、勉学と部活に熱心に励んでください。大人になったとき、そのときの経験が必ずや役に立つでしょう。かけがえのない時間を大切にしてください」

 くだらない。何が大人になったときだ。私は知っている。大人になったって、どこにも行けないんだ。満員電車の中で冷凍パックの海老みたいに詰め込まれて、降りる駅になったらのそのそ這い出して、周りの人を突き飛ばしたり突き飛ばされたりして、ヌーの大群のように階段を上るんだ。そうして、やっとのことでたどり着いた職場では嫌味を言われて馬車馬のようにこき使われる。高校や大学は地獄につく前に、若者を放し飼いにする檻にすぎない。

 きっと生きがいとやらがあれば、私の考え方も違うのかもしれない。漫画を描いていた従妹の姿を思い出す。彼女のように夢中になれるものがあれば。

 砂時計の青い砂が落ちる。最後の砂粒が落ちると、校長の話は終わった。そのタイミングがあまりに同時で、気持ちが悪かった。

 教室に戻ってオリエンテーション。どいつもこいつも、テンプレート通りのつまらない面子。教師も例外じゃない。愛想笑いばかりして、へらへらとしまりのない顔。

 声をかけてきたクラスメートにも魅力を感じない。私は彼女らを適当に波風を立たないようにあしらって、部活動見学に行った。体育館や部室に出向く。

 それでもだめだった。皆が一生懸命に活動しているのを見ると、こちらの気持ちが冷めてしまう。なぜ身にならないことに一生懸命なのだろうと、滑稽に思えてきてしまう。私はすぐに見学を切り上げて、帰宅の途に就いた。

 世界に取り残された、一人ぼっちの気分。道端の石ころを蹴とばすと、あらぬ方向に飛んでいく。

 家に帰ったら、お母さんとお父さんに学校のことを聞かれるだろう。明るく、楽しかったそぶりをみせるのが子どもの務めだ。面倒くさい。虚しくて仕方がない。

 私にも夢中になれる何かが見つかればいいのに。

 そうじゃなければいっそ―――死んじまいたいなあ。


「—――;%#$”%」


「え、、?」

 どこからか、声がした。男の人の声でもあり、女の人の声でもあり、老人の声でも、子どもの声でもあった。何の言語かは分からない。見渡しても誰もいない。気味が悪くなり、早歩きで足を踏み出すと、私はつんのめって、道端に全身を投げ出した。甘酸っぱいにおいが鼻腔を満たす。

 痛い。特に胸のあたりがずきずきと疼いて痛い。それに全身が熱い。声が出ない。身体が地面に根付いたように動かせない。

 私は死ぬのだろうか。

 それも本望かもしれない。何もない人生なんて、終わってしまえばいいんだ。

 駆け寄ってくる誰かの忙しない声が聞こえてくる中、私はゆっくりと意識を手放した。



「まさか実在するとは―――」

「臓器との癒着が―――」

 視界の全てが白い。私はベッドに寝かされていた。どうやら病室にいるようだ。腕を持ち上げてみると、点滴がいくつか刺さっている。邪魔だった。点滴を全て引き剥がして、私は声がする方向に進んだ。

 どくん。ドッックゥン。

 私の鼓動のほかにもう一つ別の鼓動が聞こえる。この鼓動はなんだろう。

 隣の部屋では白衣の人たちと、それに私の両親が深刻な表情で話し合いをしていた。そのうちの一人が、私のことに気が付いた。

「田中さん、気付かれたんですね。もうちょっと安静にしていなくてはいけませんよ。点滴だってしていたで」

「一体何があったんですか」

 私が遮ると、白衣の人たちは一様に黙った。ややあって年配の男が言った。

「あなたはアルゴンテニアに寄生されてしまったのですよ」

「アルゴンテニア?」

「胸元を見て下さい」

 私が手術着の裾をまくると、胸の真ん中にあるはずのない硬くて黒いものが埋まっていた。ラグビーボールを小型にしたような形。その物体は漆黒の断面を時折鈍く光らせながら、生き物のように呼吸していた。もう一つの鼓動はこのアルゴンテニアの鼓動だったのだ。

「ソレはアルゴンテニアの種子です。当に絶滅したものという認識だったので、我々もとても驚いていますが、その形状はアルゴンテニアに相違ありません。アルゴンテニアは寄生した生物から養分を吸い取って成長する極めて危険な植物です。即刻、あなたの身体から駆除しなければいけません。アルゴンテニアの花が咲くときに寄生された生物はすべての生命力を使い果たして死んだという文献があります。さあ、早く我々の手で処置を―――」

「いやです」

 私はうきうきしていた。気持ちが高揚としていた。ようやく私の生きる目的を見つけたのだ。これ以上なく晴れやかな気持ちだった。神様も意地悪だ。15年間も私の生きがいを隠していたなんて。

 胸元の種の先端から細い触手が伸びる。するすると伸び、私の両の側頭部にぷすりと刺さった。何語かも分からない言語が流れ込んでくる。背筋に這い上がるは快感。不思議なことに、そのすべてを私は理解することができた。そしてその高名な言葉を聞いているうちに、私はアルゴンテニア―――いいえ、アルゴンテニア様に尽くし、一生を花を咲かせるために捧げるために生まれたのだと、はっきりと自覚することができた。

 眼前では白い虫たちが品のない言葉で慌てふためいて滑稽だった。

「ああ、あれは!」

「アルゴンテニアの寄生管だ。宿主の脳を直接弄り、思いのままに操る。ああなったら、人の言葉で説得することは最早不可能だ」

「これ以上犠牲が出ないためにも、彼女ごと殺すしか……」

「嫌です、なんであの子が。

「夢子!戻ってきておくれ」

 かつて私が15年間世話になった人間に触手をふるう。どさりと重い音が二つ落ちる。私がふるいたいと思ったときに、胸元の種から伸びる触手を自由自在に操ることができた。どういう原理でも不思議じゃない。だって私はあのアルゴンテニア様の御心のままに動いているのだから。

 あのアルゴンテニア様と私の意志が一致する。殺意と殺意が合わさって一つになる。快感だった。

 立ちはだかる白い虫たち。邪魔だ邪魔だ邪魔だ。触手で片っ端からなぎ倒す。白い虫たちから得物を奪って闇雲にふるう。返り血を浴びる。アルゴンテニア様はその血も触手から吸収していた。

 虫たちを薙ぎ払って、私とアルゴンテニア様は自動ドアを通り、病院の駐車場に出た。車が何台も止まっている。邪魔だなあ。

 アルゴンテニア様が私の脳に管を突き刺した。何かを訴えかけるおつもりのようだ。私はロボットのように身体の動きを停止させて、ご命令を待つ。

『&&$$$#』

 アルゴンテニア様は水分をお望みだった。私はアルゴンテニア様が触手を刺しやすいように、空いている駐車スペースに身体を投げ出した。人の往来や自分の姿などどうでもよい。アルゴンテニア様が望まれるときに場所は関係ない。

 露出した胸元、右腕、左腕、ふくらはぎ、おなか、ふともも、臀部。あらゆるところに触手が刺さって、ちゅうちゅう水分も何もかも吸われる。激痛すらも快感に塗り替わる。私はアルゴンテニア様に全身を捧げられることがなによりの幸せだった。

 気が遠くなる多幸感のなかで、アルゴンテニア様の種から深緑色の芽が発芽しているのを見た。

 どんな花が咲くのだろう。もう指一本も動かせない私がその光景を見届けられないのがが少しだけ心残りだが、嗚呼、一花咲かせられれば本望だ。



 お題:「入学式」「砂時計」「先例のない主従関係」

 ジャンル:「指定なし」

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