Kindful Devil/Evil Angel(s)

ドント in カクヨム

AM 03:00~

 ロサンゼルス。

 午前3時。

 高層ビル、通称「プレザンス・タワー」


 そのビルの大きな窓の外を、下から上に黒い影が走った。 

 巨大な鳥のような影だった。 

 広いホールに散っていた警備係のひとりが動いた。スーツの懐から拳銃を抜く。

「おい、いま何か飛ばなかったか? けっこうなデカさの、人みたいな……」

 窓の外に目をやる。下界で輝く夜の街のネオンが、男のサングラスに反射した。

「バカかお前。49階だぞ」そばにいた者が言う。「そんなデカいもんが飛んでるかよ。警報も鳴ってねぇし」

「クスリキメてんじゃねぇだろうな」

「まぁヌルい仕事だ。キメたくもなるよな」

 十人ばかりいる他の男たちはせせら笑う。

 窓越しに光る街並みと、暗いビルの林立を上、下と眺めていたサングラスの男は呟いた。

「確かに何か飛んだんだよ……人くらいの大きさの……」



「それ、天使かもしれねーぜ」



 男たちはぎくりとし、声のした方を見た。

 広いホールの、エレベーターの扉が開いていた。

 細身の青年が、片側のドアに寄りかかっていた。そのせいで扉は開いたままだ。

 青年は黒いスーツを着て、黒い指抜きの手袋をし、革靴も黒く、髪も黒かった。

 そのくせ肌は病的に白い。口にタバコをくわえて横を向いている。白い煙がゆっくりとたなびく。

 エレベーターの箱の中には、数人の男たちが倒れていた。全員胸が上下していて、失神しているだけの様子だ。拳銃がバラバラに壊れ、床に落ちている。


「貴様どうやって入った!」

 一番恰幅のいい黒服の叫びと動きに同期するように、男たち全員が銃を抜いた。

 青年は気だるげに、彼らに目をやった。

 男たちは一瞬たじろいだ。

 青年の瞳は、真っ赤だった。


「12人か。4秒かな」


 誰にも聞こえない声で青年はそう呟いた。


「何者だてめぇッ!」


「悪魔の子」


 青年のその答えと同時に、タバコの先、赤い光が糸を引くようにホールを駆けた。

 黒い残像が伸びた墨のように床を走る。

「グッ」「うっ」「ガハッ」男たちは呻き声と共に倒れていく。

「うわあっ!」

 エレベーターから一番遠く、影を目撃した窓際の男が引き金を引いた。弾は床に当たってはじけた。

 その銃身が細い指で掴まれた。

 排出された薬莢が下に落ちて、金属音を立てた。

 男の目の前に、真っ赤な瞳の青年が立っていた。

 指でつまんだ拳銃がミシミシと音を立てる。ぴし、と真ん中にヒビが入った。

「危ねーなぁ。他の奴に当たったらどーすんだよ」

 おっとりした口調で青年は言ったが、開いた口の中の歯はすべて尖っていた。人間の歯並びではなかった。

「あんた、保険は? 医療保険」

「ほ、保険? は、入ってる……」

「よかった。ちょっと痛いぞ」

 拳銃が指の力で砕けるのと、青年の拳が男のみぞおちに叩き込まれるのはほぼ同時だった。

 男は無言で、その場に倒れ伏した。


「ハァ……」

 青年はホールを見渡してため息をついた。その瞳は赤くなく、黒に戻っていた。

 タバコを床に捨てようとしたが、思い直したように携帯の灰皿を出して揉み消す。

「こっちは終わったのに、あいつまだ……」

 言い終わる直前だった。

 上階の窓が大破する音が響いた。

「おっと。入ったか」

 続いてパラパラと発砲、硬いものが次々と砕け、重量感のあるものが倒れ、ひっくり返る振動が続く。階が、ビル全体が揺らぐ。

「えっ……ちょっと……」

 青年は、天井を見ながらうろたえはじめた。 

 さらに再びガラスの割れる音がした。

 青年が外を見ると、巨大なマホガニーの机と大小様々のガラス片が落下していった。

「あのバカ!」青年は普通の速度で走り出した。「何してやがる!」

 走りながらスマホを取り出す。箱に飛び込むのと一緒に相手が出た。

「もしもし。レイ君。レリエルです。こんばんは」

「こんばんはじゃねーよ!」

「どうしてそんなに怒っているんですか」

 荒っぽく最上階の「50」のボタンが押されて、箱が動きはじめた。

 電話先では風が吹いている。ビルの高層階をよぎる強風のそばに、電話の主はいる。

「窓を破って入ったのはいいけどな、なんで机が落ちるんだよ!」 

「30名ほどに銃器で強く抵抗されたもので、投げて応戦しましたら、落ちました」

「お前不死身だろ!」

「弾が当たるとくすぐったいもので、つい」

「……おい、人は落としてねーだろうな?」

「落ちそうな人はひとりいます。私の手の先に」


 チン、と到着音が鳴って、エレベーターの扉が開く。

 目の前に広がる光景を見て、レイと呼ばれた青年の顔が真っ赤になった。

「無茶苦茶じゃねーか……!」


 50階は、広間のようになっていた。

 元から広間だったのではない。受付、秘書室、資料室、社長室、それらを仕切っていた壁がほぼすべて崩れて素通しになっていた。 

 幾人もの強面の男たちが倒れている。

 ずっと奥に、白い服を着たレリエルが立っていた。レイの方を見ていた。

「お疲れ様です。こちらもほぼ終わりました」

 レリエルはよく通る声で丁寧にそう言った。 

 街を一望できる巨大な窓のガラスが、大きく割れている。

 レリエルは部屋のギリギリに立っており、伸ばした右腕の先には茶色いスーツの太った中年男がぶら下がっている。

 高層ビルの風にあおられて男のスーツと、レリエルの白いパーカーと、肩まである金髪がなびいていた。

「落とすなよ! そのオッサン落とすなよ!」

 レイはレリエルを指さして、叫びながらフロアに出た。

 帽子掛けも観葉植物も、ファイル棚も厚い壁も、すさまじい力で倒れ崩れている。書類や写真が窓から吹き込む風に巻かれて室内に飛んでいる。 

「どう暴れたらこんなことになンだよ……」

 レイは愚痴りつつ肩をいからせてずんずん進んだが、床に伏している人間たちの安否も横目で確認していた。 

 倒れていたり棚に足を挟まれたりしており、全員がうめいている。命に関わる怪我を負っている者や死者はいないようだった。ふぅ、とレイは息をついた。 

 長い距離を歩いて、ようやくレイはレリエルの脇にたどり着いた。

 掴まれて吊るされている中年男のすがるような目つきとレイの視線が交わった。が、それを無視して、レイは両手を腰に当ててレリエルの顔を見た。

「なんでこんなことになった?」 

 レリエルは質問者の顔をじっと見つめながら答えた。

「多数の銃火器に狙われるのは初体験だったもので、驚きまして」

「言ってるだろ? 派手に暴れるな、人命に関わるような行動は……」

「はい。重傷者や死者は出ていませんよね?」

「お前、壁をこんなにしといて」

「あんたがた……」

 胸ぐらを掴まれている中年の男が、やんわりと話しかけた。

 男の体は窓を出て完全に宙に浮いており、レリエルが手を離せば50階から真っ逆さまである

「おふたりさん。言ってくれ。何が望みだ? な? 何でも用意するから。な?」

 男はだらりと垂れ下がっていた震える手を、レリエルの白い右手の上に乗せた。

 レリエルは顔をしかめた。終始無表情だった美麗な顔の額と目元に嫌悪の皺が寄る。

「すいません、触らないでもらえますか?」  

「はっ。すいません……」男は手を引っ込めた。

「社長さん。プレザンスさん」レイが言う。「先に謝っておきたいんだけど、俺らここの被害、弁償できないから」

「いえ、それは、お気になさらず……」

「おー、よかったぁ。さすがは大金持ちの貿易商さんだわ。おい、お前のコレ、弁償しなくていいってよ」

「よかったですね」

「他人事みてーに言うな!」

 レイが肩を殴る。「おっと、危ない」とレリエルの体が揺らいで、プレザンスの体も宙ぶらりんで揺れた。プレザンスは恐怖のあまり叫ぶこともできずカッ、クッ、と声にならない声を出した。

「……でねー、プレザンスさん。こちらの要求なんだけど」

 レイはスーツの懐から写真を取り出し、手を伸ばした。

「これ、どこの誰に渡したのか、教えてもらえます?」


 それは、ひどく古い白黒の写真であった。  

 素朴な祭壇の上に、石がある。

 自然の石ではない。石板の欠けた端のような、人工的な角度を持つ石だった

 赤子の握り拳ひとつほどの大きさのようだ。

 

「……この石を、探しているのか? この石ひとつのために、ここに? ガードマンを倒して?」

 プレザンスはあっけにとられたようだった。もっと重要な品について問われると思ったらしい。

「石ひとつって……表も裏も貿易商のあんたが、この石の正体を知らないまま依頼を受けたのか?」

「し、信頼のおける依頼主だと、そういうこともある。ブラックボックスを、ある場所から……」

「中東だろ」

「ど、どうしてそれを」

「奥深いある土地から奪われて、あんたの密輸ルートに乗ってアメリカまで運ばれたことまではわかってた。

 が、誰の手に渡ったのかがわからなくて、運んだ人に聞くことにしたとそういうわけ。で、その信頼のおける依頼主って?」

「そ、それは……」

 レイとレリエルは、言い渋るプレザンスの顔を見た。つん、と冷たい表情だった。

「いや、私も顧客第一、信用第一でやっている人間で、だからこそここまで会社も大きくなって、それで」

「レリエル」レイは肩を叩いた。「落としていいぞ」

「ひ」

 あっけなく、レリエルの手は離された。

 地上50階、150メートルの高さからプレザンスの体が落下した。

 プレザンスの口から鳥の鳴き声のような悲鳴がほとばしり、下へ下へと遠ざかっていく。

 45階、40階、35階、30、25、20、19、18……  

 もう十秒数で地面に激突するはずだったプレザンスの体が、中空で止まった。

 プレザンスは、腰に回された腕の主を見上げた。



 そこには、天使がいた。

 白のパーカーに灰色のジーンズ、水色のスニーカーという服装だったが、確かにそれは天使だった。

 背中に、巨大な白い羽根が生えていたからである。

 羽根は地球の重力など無視するように、羽ばたくこともなく静止していた。深夜にも関わらず、柔らかな光を宿している。

 その羽根の主、レリエルは言った。 

「上に戻りますので、私に身を寄せないで、そのままでいてくださいね」 

 そこでひとつ、咳払いをした。 

「あなた、失禁してますから」

 


 

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