10-3:本当の理由は

 最初から犯人は一貫して私を殺そうとしていた。

 そこを基点に考えていくと、今回の事件は王女の逃亡劇とはまったく違った可能性があると気付く。にわかには信じがたい可能性が。

 だけど私の手にある事実を並べていくと、疑わざるをえないのだ。


「さて……そんなことを言ったかな」

「記憶力はよいほうです。それにあのとき、よく考えてみると私が『風に助けられた』という前から、風の精霊のおかげで助かったことを知っていましたよね。見ていたかのように」


 校長は私を睨みつける。だが、すぐに呆れた表情になった。


「私の記憶では、君が先に風のことを言った気がするけどね」


 正確な記録はないから、このままでは言った言わないの水掛け論だ。根拠としては薄いと思っているのか、校長はまだ余裕を失くしていない。


「そういえばあのとき、私は執務室ではなく別の部屋にいたんだった。動転していて、変なことを言った可能性はあるな」

「私を呼び出した手紙は、今も証拠としてとってありますわ」

「筆跡鑑定でもするかい? どうぞご自由に。君が恥をかくだけだ」


 さすがに筆跡は変えてわからないようにしているか。

 だけど攻めるなら今しかないと思った。時間を置いては、余計に彼に言い逃れする材料を用意されてしまう。


「一体どうしたんだ、イリナ。なぜ急におかしなことを言い出したんだ?」

「あなたがロベルトとジェニファーに自分のやったことをなすりつけてほくそ笑んでいる姿が、気に入らないからです」


 私はあの二人に対して思いっきり恨みがある。

 だけど、だからこそ、それを他人のためにいいように利用されるのは最高に気に入らなかった。彼らに対する私の気持ちを軽んじられたような気がする。


 私は、思いきり憐れむような微笑みを浮かべてやった。


「ですがその様子だと、ロベルトからは肝心なことをお聞きになっていないようですね」

「……何を言っている?」

「どうして私という存在を、ロベルトが静観していると思っているのです。彼が私に安易に手を出さないことには意味があるのよ」


 ねえ、という風にハルを見れば、彼は「ああ、あの件ね」とでも言いたげな顔をしてくれた。

 私が何を言ってるか、本当はわかってないだろうけど。でもとりあえず合わせてくれると思っていた。

 私とハルの連携で、校長の戸惑いが大きくなる。

 私は事実とはったりを交え、彼をあざ笑うように告げた。


「コラク公国の第二王女は、王家を加護する精霊王と契約し、代々伝わる鏡を使って宣託を授かることができるのです。王家の誰かを害する者がいれば、その正体を問うこともできる。この入学試練が終われば、犯人が判明するのも時間のうちですわ」

「そんな……反則だ!」


 ガタリと音を立て、椅子が倒れる勢いで校長が立ち上がった。


「私が王女であると、あなたは知っているのね」

「あ……」

「ロベルトかジェニファーから聞いたのかしら。もしくはあなたも私の絵姿を見たことがあった? 顔を見て気付いたの? どちらでもよいけれど」

「ハル様、イリナ様、お下がりください」


 すぐに寄ってきたノアが私達の前に片手を延ばし、後ろに下がらせようとする。


「違う……私が君を殺そうとする理由なんてない。私が怪しいというなら、殺す理由を述べたまえ!」


 強張った声で反論する校長を私はさらに攻めていく。


「だって校長先生、あなたはハルの……ここにいるハル・キタシラカワの姿をとった精霊の、仮契約の相手でしょう」

「あれ? まだそれ言ってないよね?」


 横から間の抜けた声が聞こえた。緊迫した雰囲気が台無しだ。ノアも思わず「えっ」と叫んで庇うように出していた手を引っ込めてしまったくらいに。

 でもこのくらい緩いほうが、こちらも気負わずに済む。


「でもヒントはくれていたじゃない」


 不自然に途切れた彼からのプレゼントや差し入れ。

 なくなったのは、彼と出会ってちょうど八日目からだった。

 あの電車で彼と遭遇した日から、食べ物に歌劇のチケットに文具に服に……彼はやたらと私にものを与えてきた。

 そして入学試練の七日間、毎日欠かさずカードを彼に贈るよう求めた。


 精霊が人間と結ぶ「七日間の契約」。精霊が人間へ、人間が精霊へ、七日間続けて贈り物をし、受け取ってもらう。

 両方の期間が一日でも被っていれば条件が満たされ、契約が結ばれるのだ。

 そうすると精霊はその人間だけに力を貸すようになる。彼は私と契約を結ぼうとしていた。


 そして過去の話。

 彼は私の顔をはっきり覚えていた。毒で視力を失っていたはずなのに。

 どういうことか?

 少なくとも最初に会ったのは人間のハル・キタシラカワだったと思う。だけどたぶん、私が水を汲んで戻ってきたときにはきっともう――。


「あなたの正体に気付いたのは今日なの。私への贈り物は、気付かずに七日分すべて受け取ってしまったわね」

「今日はまだ六日目のはずだろ!」

「私とハルが出会ったのは、もう十日ほど前ですわ。律儀に入学試練にに合わせてどうするんです」

「あの青薔薇が始まりだったんじゃ……」

「違うよ?」


 あっさり否定するハルに、校長がひどく歪んだ顔で「ああっ!」と叫んだ。そしてかきむしるように頭を抱える。


「あなたは、ハルが自分との仮契約を終わらせ、私と正式な契約を結ぶのを止めたかったのね。仮とはいえ、力の強い精霊との契約はあなたの地位を約束するものだったから」


 ほぼ確信しながら指摘する。

 午前中に講義を受け、精霊王の話を聞いたときからずっと頭の中にあった。


 精霊王は一度に複数の人間に加護を与えることができる。でもはっきりと契約をして力を貸すと確約してやるのは一人だ。

 なら精霊の加護を巡って、命を狙われるほど邪魔だと誰かに思われることも、あるんじゃないか?


 セイレンは精霊と共にあり、醜い争いとは無縁。そんな勝手なイメージは、ロベルト達の件ですでになくなっている。

 強い精霊の加護が欲しくて誰かを害そうとする者が、このセイレンにも存在するのかもしれない。

 そして私をやたら甘やかすハルは、人間ではないかもしれない。人のふりをできるくらい強い力を持った――。


 そこまで想像したら、あとは彼と友好的な関係を結んでいる相手が怪しくなる。すると最初に思い浮かんだのは、塔から落ちたときにすぐに駆けつけてきた校長だった。


 私は、第二王女ユリアだと思われて狙われたんじゃない。

 王女だろうが公爵令嬢だろうが商人の娘だろうが関係ない。私がハルの特別な相手に見えたから狙われた。


「あなたは、ロベルトとジェニファーの恋愛相談を受けていましたね。ロベルトがハルからジェニファーをやたら強引に奪ったのも、あなたが裏で焚きつけたのでは? ハルに特別な存在ができないように。仮契約の相手として、自分より都合のいい相手を遠ざけるために」


 完全な想像だ。でも私を殺そうとするほどの人なら、ハルの隣に名誉島民候補生の婚約者がいるのは不安だろうと想像に難くない。


「そして今回は、ハルの怒りが自分に向かないよう、わざとロベルト達が疑われるように仕向けた」


 彼らが自習で一人きりになる時間を調べ、そこに合わせて犯行を行った。生徒の授業予定を把握している彼なら簡単だ。


 案の定、校長は否定しなかった。

 代わりにハルが「そうか」とこれ以上なく冷めた相槌を打つ。


「ハル……俺達はこれまで、うまくやってきたじゃないか」


 校長は縋るようにハルを見る。


「俺は君に干渉しない、力も借りない、君が人間社会で過ごすための名ばかりの仮契約を結んでやったんだぞ!? それを急に切り捨てるとは――」

「君がイリナを殺そうとしたことは間違いないんだね」


 また部屋の温度が下がる。いや、下がり始めて止まらなくなった。

 それだけでなく、窓の外もおかしい。昼間のはずなのに、夜のとばりが降りたように急に真っ暗だ。部屋の中だけが明るい。


 校長はハルを見たまま、怯えるように後ずさった。すぐに窓にぶつかり、がくがくと震えながら壁に体を押し付けるようになんとか立っている。視線だけはハルから逸らせないようだった。

 対するハルのほうは、普段のお喋りの延長かというような気安い口調で彼に問いかける。


「イリナの言った通りの理由で、彼女を狙ったの?」

「お前が……あの青い薔薇は自分が用意して彼女に渡したものだと言ったから……」

「うん。仮契約は入学試練と共に終えると君に告げた。そして君は了承したはずだ」

「だがその女が死ねば、お前は俺との仮契約を続ける……!」

「何を言っているかわからない。彼女が消えれば人間社会に興味はない。この窮屈な体もいらないんだけど」


 校長には、もはやハルの声が届いていないようだった。

 ぶつぶつと一人で呟きながら、窓にもたれかかった体がずりおちていく。


「精霊王との仮契約があるからこそ……私は校長の座に留まらず、ゆくゆくは……神殿の頂点を目指す、ことが……」

「仮契約の間、君が僕の存在の恩恵を受けることは構わないよ。でも、最初の約束は約束だろう?」


 またぐんと部屋の温度が下がった。


「あ、あ、あ」


 言葉にならない呻き声を校長が上げ始める。

 寒さで震え始めていた私は、事態の深刻さに別の意味で震えた。


「は、ハル……校長先生に、何してるの」

「仮契約は、本命の契約相手を見つけるための仮初の関係だよ。それを理解した者だったからこそ僕は彼とそれを結んだんだ」


 優しく言い聞かせるようにハルが説明してくれる。

 でもこちらはさらなる寒気に体が震え、半分それどころでない。ノアも、今はこの温度に耐えるので精いっぱいといった感じだ。


「なのに僕の本命を殺そうとするのは、重大な契約違反だと思わない?」

「そ、そうかもしれないけど」

「それに彼は、ロベルトやジェニファーの恋愛相談を受けて、肩入れしていたってことだよね。僕には味方のふりをしながらだよ? ……舐められたものだなと思うんだ」


 こんなときでも、彼は微笑んでいる。

 いつでも笑顔だと思っていたけど、もしかしたらそれは、彼が人とは感覚の違う存在だったからかもしれない。


「で、でも、なにも、ここまで……」

「彼だって、仮とはいえ契約した相手にこの仕打ちをして、タダで済むとは思ってないよ。きっとね」


 精霊の前で事実を明らかにした、私の失態だ……!

 彼らは人間とは違うルールで生きている。それを忘れるなと、講義で教員たちが言っていたというのに。

 

「そ、それでも……殺すのは、やめて……!」


 私は彼の腕を掴んで必死で抗議した。ノアも「ハル様、駄目です……」となんとか制止の声を上げた。

 だけど部屋の温度は変わらない。

 諦めるしかないのか――と思いかけたとき。


「仕方ない。君のお願いに僕は弱いんだ」


 ふっと急に暖かくなり、暗かった部屋が明るくなる。真っ暗だった窓の外は、昼間の光景に戻っていた。


 一瞬で雪山に行って、一瞬で帰ってきたような気分だ。ノアも真っ青な顔で両腕をさすっている。

 校長はというと、呻きながら床に倒れていた。


「い、医者を呼ばなくちゃ……」


 ハルがにこやかに「僕が呼んでこようか?」と言ってくれた。

 人外であると知られて気にしなくなったのだろうか。その感覚の違いを容赦なく見せつけられた気がした。


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