6-1:風の加護


 入学試練二日目。

 その日の朝は、十名以上の入学試練生が朝食の場に現れなかった。


「夜中に急に叫び出したんだ」


 隣のテーブルに座る青年が別の青年に暗い声で話している。

 六人用の相部屋で寝泊まりする彼は深夜、同部屋の一人の酷くうなされた声で起きたらしい。


「何を言ってるかわかんないけど、とにかく必死で叫んでるんだ。慌てて揺り起こしたんだけど、今度は焦点の合わない目でぶつぶつ呟いててさ……ちょっと怖かった」


 万が一、傍にいる者に異変があれば待機場所にいる教員や使用人に知らせるように昨日言われている。

 昨晩も、別の者がすぐに助けを呼びに行ったらしい。

 すぐに駆け付けた彼らによって、錯乱する同室者は連れていかれた。


「建物の中でも、精霊の影響が及ばないように強固に作ってある部屋がいくつかあるらしくてさ、そこで休ませて、今日セイレンの街に戻すって言ってたよ」

「大丈夫なのか、そいつ」

「街で静養すれば回復するってさ。けどあの光景見ちゃったら、まじで怖くなるぜ。自分が無事なのが本当に不思議だよ」


 まさに彼の同室者は精霊の力にのだ。

 他にも、原因不明の体調不良を訴えて救護室に向かった者もいるようだ。すでに回復した者もいるようだが、要経過観察といったところらしい。


 言ってしまえば、これが入学試練の一番の目的だ。

 力のある精霊達が多く棲むというセイレン島で、その影響をどの程度まで耐えられるか。

 入学試練の七日間の間に体調を崩すようでは、セイレン研究学校生になるのは難しい。そういう意味で不合格となる。


 これは本人の努力でどうこうできるものでなく、生まれながらの性質とされている。

 私は今のところどんな不調も出ていない。

 これに関しては一種の賭けではあったけど、一応勝ちをとれた。もし体調を崩したとしても、少なくとも六日目まではなんとしても隠すけど。


「おはようございます。ここ、いいかしら」


 黒コートのせいか遠巻きにされている私のテーブルにやってきたのは、タマキだ。


「おはようございます。もちろん構いませんわ」


 笑って頷く。

 彼女とは、一応の友好関係を結べている。


「ね、ねえ、私達もいいかな……?」

「せっかくだから、一緒に食べようよ」


 連れ立った二人組の女の子達にも声をかけられた。ブロンドの髪を高めにポニーテルをした背の高い女の子に、肩辺りまでの赤茶色の髪をした小柄な女の子だ。

 ポニーテルの子は、水色のジャケットのボタンを留めていない。下に合わせたフリルのブラウスとスカートがバランスよく合わさっているのが印象的だ。

 頷くと、二人とも嬉しそうに同じテーブルにつく。

 そのまま簡単に自己紹介しあうと、リーシャというポニーテルの女の子が私とタマキを食い入るように観察する。


「ねえねえ、二人はどこから来たの? 私はティシュアの南のほうにある街なんだ。二人の服装を見るに、私の故郷とは結構離れた場所なんじゃないかって思うのよね」

「あ、あの……この子、おしゃれにすごく興味があるみたいなの。私も昨日から質問攻めで……」


 リーシャは目ざとく私の首元に注目する。


「ねえ、そのちらっと見えてる金のチェーン、ネックレスだよね?」


 おしゃれ好きなリーシャは、装飾品にも興味津々らしい。

 私はジャケットの下に隠れていたペンダントを取り出して見せた。楕円形のブローチのような大きなペンダントトップだ。


「わあ、込み入った綺麗な細工……花の模様だ」

「コラクに咲く珍しい薔薇なの」

「へえ、普通の薔薇とはちょっと形が違うね」


 しばらくあれこれとおしゃれの話で盛り上がり、朝食の時間は平和に終わった。




 七日間の間のスケジュールは、入学試練者がある程度自由に立てられる。

 午前と午後に一回ずつ、講義という名の精霊についての授業がある。これは精霊に関する基礎知識を初心者にもわかりやすいようかいつまんで説明してくれるもの。どちらか一回に出席すればいい。

 空いた時間は建物周りを自由に散策する時間だ。七日目までにリボンを一本でも見つけられれば、その者は合格となる。


 講義は午前中のものに参加した。

 まずは講義からと考える者が多いのか、広い講堂は満員だった。

 傾斜のついた教室の、前方の一番低い場所にある教壇には、えんじ色のジャケットを着た教員が立っている。


「精霊達が多く棲む精霊島では、彼らの力が相互作用により高まり、人間によくない影響を与えることがあります」


 内容は、まさに食堂で朝食時に話題になっていた事について。

 強い精霊の力は時に人間の精神に干渉してしまい、幻を見せたり体調不良を引き起こすというものだ。

 そのための対策として制服があること。

 セイレン島に滞在している年数であったり、普段触れるものや行く場所によっても多少の影響の違いが出るために制服の違いがあること、などだ。


 制服は正装であると同時に、セイレン島においては自らを守るための防護服の役割を果たす。これは名誉島民と愛し子達の工房で一着ずつ手作りされている。


 そんな事情を聞いて、一日目の講義は終わった。

 挨拶をして教員が出て行くと、講堂には入学試練生と、そして数名の研究学校生が残る。不安な入学試練生のサポートをするために派遣された有志達だ。

 ノアもいるけど、必要を感じるまで私に構ってはこないだろう。


 ロベルトとジェニファーの二人もいた。仲良く寄り添ってたまに内緒話を交わしている。

 劇場で言っていた通り、ロベルトは彼女との仲をそのままにしておくようだ。私が周囲に変に恨まれないため、という言い分で。

 その言い分を盾に、見せつけられているようにも感じる。ちょっとイラっとした。


 二人は別々に私を気にするような視線を投げてきたけど、こんな場所で接触するつもりはない。

 外に出ようと席を立ち、講堂の後ろから廊下へ出ようと階段を上る。すると引き留めるように、声がかけられた。


「おい、あんたは調子悪くないのか?」


 振り向けば、水色のジャケットを着た入学試練生の青年だ。


「あんたは俺らより特別に精霊に愛されてるんだろ? その分、力の影響ってのも強く受けるんじゃないか?」

「大丈夫ですわ。心配してくださって、ありがとう」

「心配?」


 はっ、と青年は吐き捨てた。

 彼の態度の悪さに気付いた周囲が、こちらに意識を向け始める。

 私はといえば、特に動じはしない。話しかけてきたときの調子からして、心配していないことなんて気付いている。


「心配なんて、あんたに必要なのかな?」

「どういうことでしょうか」

「その黒いコートに、あんたは本当にふさわしいかって話だよ!」


 わざとらしい大声だ。彼は皆に自分の言葉を聞かせたいらしい。

 講堂には教員以外がまだほとんど残った状態だ。彼の思惑通り彼らが一斉にこちらを見る気配がした。離れた場所にいたノアがそっと近づいてこようと動くのが見える。

 私は首を傾げ、先ほどと同じ問いを繰り返す。


「どういうことでしょうか……?」


 大声を出して威嚇すれば勝てるわけじゃない。私がまったく怯んでいないので、彼の方が逆に怯んだ。


「あ、あんたが本当に特別な精霊の愛し子なのかって話さ。あの青い薔薇はズルをして手に入れたんじゃないかって疑いがある!」

「まあ、どうして?」

「ど、どうしてって……。あんたが世話になってる名誉島民候補生の男はな、精霊に愛されているところを他人にほとんど見せたことがない。本当にあのコートを着る資格があるのか、。そんな奴の世話になってるあんただって、同じように疑わしいと――」

「話になりません。異論があるのなら、私でなくセイレン研究学校におっしゃってください。私は何もズルなどしていません」


 ……したけども。

 あの青い薔薇を選んで抜き取って渡してきたのはハル。

 ズルをしたと言われればそう。その通り。でも、はいそうですと認めるわけなどない。ここで認めるくらいなら昨日の時点でさっさと申し出ている。


「じゃあ証明してみせろよ。あんたがどんな精霊に愛されてるのか、見せてみろ」

「その必要を感じません。お断りします」


 では、と私は講堂を出ようとするが「待て!」と青年が私の腕を掴む。

 彼とは多少距離があったし、そんな実力行使に出られるのは少々予想外だった。


「きゃっ――」

「あっ!」


 階段で体勢を崩した私は、そのまま下へ転げ落ちて――は行かなかった。


「え……?」


 講堂の下の方から風が吹き上げ、私の体を支えたから。


「うわあっ!?」

「なにっ!?」


 私の近くにいた者達は特に強い風に煽られ、声を上げて一部は顔を覆った。

 倒れかけた私は背中をふわりと押される形で体勢を元に戻す。

 風が収まれば、残ったのは転げ落ちずに元の場所に立っている私への驚愕の視線である。


「すごい風! 今のが彼女の精霊の力よね?」

「彼女が落ちかけたのを助けたんだよな、今の」

「さすが黒コート……」


 周囲のざわつきを、私は平然とした顔を作って聞き流した。……本当は、私だって同じように素直に動揺したい。


「風が助けなかったら階段から落ちてたわ。誰かを怪我させたりするのって失格になるんじゃないの?」


 近くにいた女性の言葉に周囲がしんとなった。

 腕を掴んでいたはずの男性はとっくに手を離し、怯えた顔をしている。

 私は集中するようにすうっと息を吸った。

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