第34話 閑話休題 制作側

「次回の出張撮影の日程決まったから。支度とか下準備とか、やっといて。」出勤して自分のデスクに座った途端、向かいのデスクから紙の束とUSBを投げるように渡されて、私はあわてて受け止める羽目になる。

「…今度の出張撮影ってことは、JAMSTECさんの、しんかい6500の調査航海の同行撮影ですか。」内心密かに楽しみにしていた撮影だ。現在の直属の上司は、今時流行らないようなパワハラ野郎だが、それでも我慢しているのは、この、ディレクターには、以前しんかい6500の番組を作成したという実績があるからなのだ。前時代的な男尊女卑の勘違い野郎だが、仕事は出来る。この業界、人脈がモノをいう世界でもあるので、人間性がクズでも、へばりついて仕事に同行して、自分の実績にしていくのが、一番の早道なのだ。

「…そーだよ。それ、資料ね。現地は静岡県だから、出張ったってせいぜい4日から5日程度だろ。詳しくはUSBに入ってるらしいからさ。必要機材の手配と各所届け出もやっといて。」面倒なことは、すべて部下に押し付けるタイプの典型だが、おかげでこちらは事務作業から機材手配から撮影までと、オールマイティーな人材に成長中だ。

「中田ディレクター、お客様からお電話です。」事務所の扉を開けて、受付事務員さんが上司を呼んでいる。どうやら得意先からの連絡らしく、子機を受け取って話ながら事務所を出ていくようすは、普段のふんぞり返った姿とは正反対にペコペコして、コメツキバッタのようだ。

「……しょーもな。豹変しすぎだろ。」扉が閉まって戻って来る気配がないのを確認してから小声で毒を吐く。それから受け取ったUSBをパソコンにセットして、内容の確認と、必要な機材や、各種提出書類などの手配をすませて、平行して進行している何件かの仕事を済ませていると、再び扉が開く音がした。てっきり上司が舞い戻ってきたのかと、うんざりしながら顔をあげると、やってきたのはカメラマンアシスタントの滑川だった。こそこそと人目を忍ぶようにしてディレクタールームに入ってきた滑川は、何故か忍者のように周りをキョロキョロ警戒しながら近付いてきて、着ているニットの下からDVDディスクらしきケースを取り出す。なにがそんなに後ろ暗いのだろうと思っていると、

「…ちょっとちょっと、今度の出張、カメラマンがうちの太田になるんだけど、取材対象が、マジヤバいイケメン!出てる番組録画あるから、絶対見て?」頬を紅潮させて、瞳に星が見える気がする。アシスタントカメラマンの、この滑川美和は、カメラの腕も一流で、上司の太田忠よりもセンスもいい。仕事もきっちりするのだが、唯一の欠点は、『惚れっぽい』のと、『イケメン好き』なところだ。マスコミ関係の職業に就いているのに、未だにイケメン慣れすることもなく、毎度毎度キャッキャウフフを繰り返す。勿論仕事が始まればきちんとスイッチが切り替わるので、業務に支障はでないのだが。

「……う、うん。わかった。見とく。」相変わらずのはしゃぎぶりに、若干ヒキながらも、頷いてDVDを受け取る。

「今回、長時間密着取材だもんね!……イケメンと密着………ぐふふふふ。」単なる怪しい人になって変な笑い声をもらしながら、滑川は、来たときと同じように挙動不審なまま、部屋を出ていった。

「……相変わらずだわ。イケメン研究者ねぇ。……」呟きながらまずは撮影計画の資料から目を通す。日時、予定撮影地域、撮影計画と見ていって、中段あたりに、撮影対象の氏名が並んでいる。

「…JAMSTECサイドは、……風間**、吉邨**、川崎**、オブザーバーで高畠**氏か。かなり有名な教授じゃない。研究者サイドが、田邊洋一教授と、橘朔、京極**…どっちがイケメンなんだろ。」期待してしまう辺り、私もすっかり滑川に毒されているのかも知れない。とりあえず必要な手配や書類の確認をすべて完了して、誰からも文句のつけようのない状態にしてから、件のDVDをパソコンにセットする。折よくお昼休みの時間帯になったので、片付けた机の上でコンビニランチを食べながら再生ボタンを押す。

「……へぇー。……」始まった番組は、どうやら地方局のローカルニュースの一幕のようだが、画面の雰囲気だと、放映された番組そのままの録画ではなく、どうやら一旦ネットに上がったものを録画したらしい。しばらくローカルニュースが流れてから、画面がアナウンサーに切り替わり、ロケ画像がスタートする。定番の建物入り口からの映像ではじまり、カメラが近付いて入口に立つ白衣の人物を映し出す。

「……!!……確かにこれはイケメンだわ。」食べ掛けのサンドイッチを思わずトレィに戻して、きちんと見てしまった。男性のわりには細身で、華奢な印象のある、長髪の正油顔という感じのイケメンで、後ろで一つに束ねたサラサラヘアと、少し恥ずかしそうな笑顔が、多分滑川の好みにドンピシャなのだろう。アナウンサーも傍目にも嬉しそうに応対しながら館内を案内していく様子が続いていく。最終的には、今回の撮影に関連した深海魚の標本のところで説明して終わるので、業務と全く無関係でも無駄でもない画像だったのだが、わざわざネットに上がった訳が、わかる気がする。この人がうろうろしていて、生で会えるのなら、この水族館にいく女性客も増えただろう。

「…確かに、この人に密着取材なら、滑川のあのテンションにも納得かも。」業界でイケメン慣れした私でも、今実際にちょっと期待しているくらいだ。元々しんかい6500の取材が楽しみだったのが、さらに待ち遠しくなったのは、いうまでもない。

「よし。必要機材の積み残しなし、書類完了。……あとは全員集合したら出発だな。」

会社の白い大型バンに、すべての機材を積み込んで、さも全部自分でやったかのように満足気に呟くディレクターの中田を横目で見ながら、私はコンビニで調達したカップのコーヒーを吹き冷ます。現在時刻は午前6時すぎ。横須賀までは、高速を使って社のある都内から約一時間半。JAMSTEC本部でのミーティングの、撮影班の顔合わせは昼の予定なのに、何故こんな早朝から出発するのかというと、先取りで、周辺地域の環境撮影をしておくことによって、万一調査航海が不発に終わった場合の『撮れだか』を確保しておくためなのだ。ドキュメンタリー番組を撮影する場合、相手は大自然なので、期待したような画像が撮れないこともよくある。そんな時に周辺画像等を挟み込んだりして、必要な映像放映時間を確保出来るようにしておくのが、番組作りのコツなのだ。しばらく待つと、社の駐車場にもう1台のバンが入ってきた。カメラマンの太田忠氏が助手席で、滑川が運転手だ。来るのが遅いと思ったら、どうやら太田氏が、寝坊していたようだ。機材に関しては滑川が完璧に積み込んでいるだろうから、心配はしていないが、拉致されたかのように完全に寝間着に上着の状態の太田氏に関しては、宿泊のための支度が出来ているのかどうか怪しい。

「……まぁ、コンビニがあるからな。」どうやら同じことを心配したらしく、中田がボソッと呟きをもらす。とりあえず連れ立って、一路、横須賀方面へ出発する。東の空は朝焼けで美しいグラデーションに染まり始めている。

「ほら、起きて下さい!…コンビニですよ!」海沿いでコンビニに立ち寄り、

やはり寝惚け眼の太田氏をあやしながら滑川が着替えの下着類を買っている。

「……上着は俺のを一枚貸すか。」出先でも何故かおしゃれを忘れないタイプのちょいワルオヤジを気取っている中田が、苦笑いしながら呟いているのを尻目に、私もおやつ少々などを買い足す。ついでに天気予報を確認すると、晴天がしばらく続くようなので、ファンデーション兼用タイプの日焼け止めも買っておく。相手にイケメンがいるのにいつものようにすっぴんは駄目だという、いじましい計算も働いている。

会計を済ませて再び車に分乗して、まずは近隣のレジャースポットを遠景から撮影したり、波打ち際から水平線までを撮影する。ついでにテトラポッドの上のカモメや、堤防の上の野良猫なんかも撮影しておく。何が素材として使えるかは、わからないので、手当たり次第に短い動画を撮影しては移動するのを繰り返す。

「よし、そろそろ向かうか。」コンビニのコーヒーで何とか目が覚めたらしいカメラマンが、映像の撮れ高を見積もって出発の許可を出したので、ようやく一路JAMSTECの本部へと車を走らせる。

『やっとこれでイケメンに会える!』内心のワクワクに、思わず弛んでしまいそうな表情を引き締めて、ハンドルを握り、JAMSTECのゲートで一旦車を降りて入場手続きをすませ、駐車場を確認すると、本部ビルからは少し離れているのがわかり、一旦本部前で、最低限の撮影機材を下ろして(当然のように、中田、太田コンビも降ろして)アシスタントが車を駐車場に運ぶ。

「……ねぇねぇ。あの後調べたら、イケメンの名前わかったよー。」駐車場から本部へ歩いて向かう道すがら、滑川が嬉しそうに話かけてくる。

「…あそう。なんていう名前?」

「…たちばなはじめっていうらしいよ。」芸能人でも何でもないので、別にキラキラした名前を期待したわけではなかったが、あまりにもイケメンにふさわしくない『はじめ』という名前に、思わず表情が弛んでしまった。

いかんいかん。内心楽しみにしているのが、バレてしまう。そっと隣の滑川を盗み見すると、やはり勘づいたか、にまにましながらこちらを見ている。

「………楽しみだねぇ。」仕方なく同意して、それぞれの機材や荷物を分担して、顔合わせ会場の二階食堂で待機することになった。

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