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 昼食は割り勘だった。特に値段差のするようなものを食べていなし、私は今まで奢ってもらったものを取り返したくて、ここは私が、と言ったけれど聞き入れてもらえなかった。

「よし、またぶらぶらしよう。今度は雛ちゃんの見たいものかなー。何かあったら言ってね。いいところ知ってるかもー」

 じゃあ、本屋で、と面白みのないことを返す。先輩は少し困ったように、もう少しなんかないのー? と言ってくる。いや、いいんです、と固辞した。先輩のように好きに遊べる分のお金をもっていなかった。

「歩いていこっか。近いし」

 なんともないような言い方だったので、後々それがどう言う意味を持つのか気付くのに時間がかかった。実際、本屋までは三十分ほど歩いた。時刻は四時を過ぎていたが、今日はやっぱりおかしい日らしい、暑さは時間をまして強くなっているような気がした。

 まだですか、と言外に何度か訊いてみた。けど、毎回上手い具合にかわされた。そういう時の先輩は本当にうまかった。言葉少なな時もあるし、マシンガンのように言葉を吐き尽くす時もあった。ようは、話の主導権をなかなか奪えなかったということだ。

 だから、私は先輩と話すのに集中して、近場の本屋をネットで探すことをしなかった。

「あー、そろそろだよ。思ったより時間かかっちゃったねー。ごめんねー」

 ゼエゼエと息を切らす私に対しての言葉だった。近いと嘘をついたことに対する謝罪ではなかった。一瞬、もしかしたら都会人にとって、こんなことは日常茶飯事、と言うかこれが常識なのかもしれないと信じそうになった。そんなことはあってはならない、やめてくれと思った。

 私は体力が全然なかった。

「いえ、ちょっときつかっただけです……。でも、さすがに、きつかった。……です」

 汗はダラダラと体に出尽くして、外の暑さのせいか、頭がぼんやりとしていた。

「何みる? 雛ちゃん、いつもどういう本読んでるの?」

「秋風諷真が好きです」

「へえ、そうなんだ。秋風諷真のどれがおすすめ?」

 本屋は、さっきのショッピングモールと違って空調が効いていなかった。だから暑い。いつまでたっても暑い!

「私が好きなのは、処女のまま死ぬなんて、です。三作目なんですけど、私が小説を書くようになったきっかけの本で他の作品より思い入れがあります」

 いつかした好きな本の紹介を、自分でも下書きがあるのではないかと思うぐらいなぞりながら、「処女のまま死ぬなんて」を手に取る先輩の手の動きを目で追っていた。

「雛ちゃん、こう言うのが好きなんだね。あ、こういうのって言い方悪かったね。素敵だと思うよ」

 何をもって素敵と言ったのか、わからなかった。その時の先輩はわざと明言することを避けていたし、そして私はちゃんと気づかなかった。

「『いなくなった先輩』はどう? 私これ好きなんだけど」

「あ、それいいですよね。私も、まあ甲乙つけたいんですけど二番目に好きです。秋風作品に優劣つけるのはどうかと思うんですけどね」

「わかるよー、雛ちゃん。わかるー……」

 先輩の言葉が途切れ始めた。

「大丈夫?」

「あ、あ……」

 大丈夫です、と言ったつもりだった。

「あちゃー、思ったより効果出ちゃったか──」

 薄らとした意識の中で聞こえたのは、弾んだ声音と少しの懺悔だった。


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