第50話 本番終了、そして

 ラストシーン。わたし達、転換ズは黒い鯖(発泡スチロールを魚型に加工して黒く塗ったもの)が多数ぶら下がったロープを、舞台上に縦横無尽に張り巡らせる。一足先に舞台袖へと帰ったわたしは、スモークマシンのスイッチを入れた。噴出口からシューッと白い煙が吐き出される。


 大講堂や部室の独特な匂いの正体がわかった。木材とスモークの混ざった匂い。決して嫌いな匂いではない。わたしは、そんなことを考えながら最後のセリフを待った。


《日田方九》 --このように、二人の男女のいびつな愛着のために、今回のような悲惨な結末をむかえてしまったわけです。よく「人は皆、何事かを成すために生まれてきた」と言いますが、それは偽善者の作った都合の良い戯言です。確かに二人は、お互いの愛の形を作り上げたと言えるのかもしれません。しかし、そのために犠牲になった人達はどうでしょう? すでに他で何事かを成し遂げた人達であったのか、それとも……。そして、山荘で唯一、生き残ってしまった僕の成す事とは……。僕にはよく分かりません。


   日田方九ひたほうくが後ろを振

   り返ると、そこには横たわる男女数人

   の遺体。

   そして、何も語らぬ無数の黒い鯖があ

   るだけだった。


               (幕)


 初めてのカーテンコール--と言っても、演劇部うちのそれは、とても簡素なもので無い時すらあるらしい。

 客席の照明が入り、役者陣が舞台上に整列。

 そして、

「本日はご来場、ありがとうございましたっ!」

 わたしは、これ以上ないくらいに頭をさげた。

 頭上に降りかかる、たくさんのお客さんの拍手は、とてもこそばゆいものだった。


   ◯


「おーい、もう出てきても良いよー」

 本番終了後、しばらくして奥寺さんからの許可が下りる。わたし達、転換ズは約2時間ぶりに外の世界へと出た。ああ、途中で勝手に抜け出したメンバーもいましたね。


 客席には、アンケートを書いているお客さんがまだ残っていた。

 --なんだか、オラ、こっぱずかしいだ……。

 もう芸能人気取りかよ、と言われると、さらにこっぱずかしい。だから、というわけでもないのだが、わたし達転換ズはそそくさと部室の外へ急いだ。


「あっ、お疲れさまー」

 七海さんが、わたし達を見つけて声をかける。

「……お疲れ様です」

 わたしは、ぺこりと頭を下げた。

「初舞台はどうだったぁ?」

「そうで--」

 答えようとしたところで、コメちゃんに脇へと押しやられた。


 わたしが咎めるような視線を投げるも、

「いやあ、緊張しっぱなしで、よく分からないまま終わっちゃいましたー。ナハハハハッ」

 と、コメちゃんは照れ臭そうに笑う。

 誰だ、お前は?


 そこへ、菓子折りを抱えた烏丸部長が、階段を駆け上がって来た。

「お疲れさんっ! 面白かった、最高だったよー! 俺、皆んなが稽古で苦労してたのをしってるからさあ! もう観てる途中で涙がちょちょぎれちゃって、ちょちょぎれちゃって……チョッチョリーナ烏丸になっちゃったよ、ねえっ! 良かった! 感動した!!」


 烏丸部長は、登場するやいなや、ウサコの手を強引に握りしめて捲し立てた。もちろん、ウサコはこの世の終わりのような表情を浮かべている。


「この差し入れは誰から?」

 七海さんは、受け取った菓子折りを確認した。

「小林だよ、演劇部うちの顧問の小林先生! ……しまった! ナッちゃん達に紹介しとけば良かった!」

 今回も出演がなかったため、元気が有り余っているのか、烏丸部長の声がさらに大きくなる。耳が痛い痛い、引く引く。


 烏丸部長は、階段の手すりの上に身を乗り出して、

「まだ、いたりしないかな……あっ、あれあれ! あれが小林だよ!」

 と、指差しながら喚いた。


 わたしは、烏丸部長が指し示す人物に目を凝らす。

 あれは……。

「えっ、あの白衣を着たおじさんですか?」

 烏丸部長に尋ねた。

「そうそう、あれが演劇部うちの顧問だよ!」

「いや、あの人はお医者さんじゃ……」


「小林が医者なわけないじゃん! ああ、あの先生いつも白衣を着てるけど、チョークの粉で背広が汚れるのが嫌なんでしょうよ! それより、ナッちゃんは? ちゃんと見た!?」

 七海さんは素知らぬ顔で、

「見なくても知ってるよ。だって、私のクラスの担任だもん」


「はあ!? この前は知らないって言ってたじゃん!」

 驚愕した烏丸部長は、七海さんに牙を剥いた。

「もう、うるさいなあ! あの時は本当に頭の中で結び付かなかったの! 小林先生すっごい影が薄いし……まあ、実はその後すぐに気付いてたんだけどねぇ。あ、うちのクラスの担任だって」

 七海さんは、笑いながらそう言ってのけた。さすがの烏丸部長も次の言葉が出てこない。


「で、でででも、七海さんがあの人は医者だって」

 代わって、わたしが恐る恐る尋ねた。

「私、お医者さんだなんて一言も言ってないよぉ」

「えっ!? いや、でも七海さんが泣きながら……」

 今度はウサコが叫んだ。


「私ね、涙を流すまでの時間が演劇部で一番早いの」

「はあ」

 七海さんの口調は、まったく自然でいつもと少しも変わらない。力が抜けたわたしとウサコは、お互いの顔を見合った。


「調子が良い時は10秒かからないんだぁ。すごいでしょ?」

 七海さんは無邪気に笑う。

 わたしもウサコもポカンと開いた口が塞がらなかった。


「すごいですねー!」

 七海さんのイエスマンのコメちゃんは、再びわたしを脇に押しやり、惜しみない称賛を送った。


 じゅ、10秒以下って、ほとんど自由自在じゃないですか。さすがは看板女優! ほんに恐ろしや、まさに魔性。一見、純真そうな輝きを放つ、その涙は数々の男を虜にして……じゃない! あれは全て、七海さんのお芝居だったっていうの? もう何も信じられない、信じられるものなど何一つない、このコンクリートジャングル……。

 わたしはドン引きした。


「だって、辞めるとか言うんだもん」

 七海さんは、上目遣いにウサコを見た。

「じゃあ、ハットリは?」

 何とか気を取り直したウサコが尋ねた。

「この近所に住んでる小学生でしょ? それ以上は知らない」

「……」

 ウサコは、再び言葉を忘れたようだ。


 そして、わたしも大事な事を忘れていた。

 初舞台を終えた開放感のため、いや、その問題を抱えたままでは命に関わるので、わたしの生存本能が作用して忘れさせたのだ。


『忘却なくして幸福はありえない』--アンドレ・モーロア「幸福論」より。


 いやー、偉い人は良い事を言うなあ。その通り! 忘れましょう、七海さんのウソなんか。良かったじゃない、ハットリがただの近所のマセガキで。そんな不治の病だなんて、重い設定いらないって。あー、演劇部の顧問の先生の名前は何だったっけ……?

 まあ、いいや! さあ、早く着替えてかーえろ。カラスが鳴くから、かーえろ。


「転換ズ、集合っ!!」


 八田さんの怒声が、現実逃避をするわたしの足首を掴み、絶望の淵へと叩き込む。

「集合だって」

 七海さんが、小さくうなずいて見せた。

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