第23話 舞台度胸

 この『かめさん』が舞台度胸をつけるための訓練ならば、兎谷さんも米山君もできていただろう。

 米山君は線が細くて、なんで一緒に練習に参加しているよか良くわからない人だったが、さすがは男子といったところだろうか。それでも、先輩達には遠く及ばない。


「もうええ! ひっこめ!」

 八田さんに言われるまで、米山君も連続で何回も歌った。額に汗をにじませながらも、淡々とした表情を崩さなかった。


「次っ!」

 つ、次は……わたし?

「何をしてんねや!? お前が最後だろうが!」

「はっ、は……はいいい」

 どう見ても百獣の王様の顔は、わたしに向けられていた。


 心臓が握り潰されそうなほど痛む。

 わたしは十分の一くらいになった狭い視野の中、なんとか一歩一歩、足を踏み出した。

 平衡感覚がおかしい。つまづいたわけでもないのに、よろけてしまう。

 そもそも、自分が歩いていることすら忘れそうになっていた。


「おいおいおい……! どこまで行くんや!?」

「はひっ……」

 えーと、何だっけ?

 歌。『かめさん』の歌を……。


 全然知らない女子生徒と目が合う。

 彼女は咄嗟に顔を伏せた。わたしも慌てて目を逸らす。

 コンマ何秒かの映像が、わたしの脳裏に繰り返し映し出される。

 その女子生徒の顔は完全に笑っていた。


 --誰? あんな人、知らないのに……。どうして、わたしが笑われなきゃいけないの?

 ここで、わたしは改めて気付いた。


 この四月に入学したばかりで、まだ慣れていない学校。その中庭で、あろうことか『かめさん』を大声で歌わなければならないという状況に。

 どうして? 何のために……?


 しかも、変人たちが気でも狂ったかのように何十回も大絶叫した後。

 観客もいる。たまたまそこに居合わせた生徒達。

 耳を澄ますまでもなく、いろいろな声が聞こえてくる。


『何をやってるの? 何のパフォーマンス?』

『さっきから、うるせえなあ』

『お前も飛び入り参加してこいよ(笑)』

『やだよ。お前が行けよ(笑)』

『あれでしょ、演劇部……? 怖っ』

『YOASOBI歌ってよー、YOASOBI!』

『いいぞー、頑張れー! でも、もう飽きたぞー! ギャハハハハハ!』


 非難や抗議、それに失笑や嘲笑。好奇の眼差し。

 信じ難いことに、それら全てがわたしに向けられている。

 嫌な汗が全身から噴き出す。膝がガクガクと震えた。そして、周りに聞こえているんじゃないかと思うほど、心臓の鼓動が激しく鳴っていた。


 ハッ、ハッ……だだだ、だめだ。なんか息が……だから、わたしは違うって……。わたしが、そんなことできるわけないじゃない……。


 だめだめだめだめ……ハッ、ハッ……だから、わたしを見ないで。お願いだから、誰かわたしの存在を消して……っ!


『早よう、歌わんか!』


 ハッ、ハッ……歌? か、かめさん……。

 う、うた、うたを……。

 お腹の底から込み上げてくるものが。自分ではどうしようもなかった。

 どんどん止め処なく口から溢れ出す。

 でも、どういうわけか、中庭の空気が一変するのを冷静に感じとることができた。


 --ゲロ吐いちゃった……。

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