第2話 新歓公演 その②

 徐々にお客さんが増えてきて、百人ほどの客席がざわざわと静かな熱気を帯びてきたが、少年は全く気にした様子はない。あの少年とわたしのいる客席では、流れている時間が異なるのがはっきりと分かる。


 わたしは飽きることなく少年を眺めていた--て、違うよ? はっきり言って、わたしは子供が苦手。早速、演技の勉強をしているだけですよ?


 でも、なんと言うか……柔らかな甘さを押し殺し、女性が少年になりきっている姿はまるで禁断の果実のように危険な魅力を秘めていて。それは、わたしを新しい世界へと連れて行ってくれる--いや、違うよ? 違うって。


 わたしの妄想超特急の発車ベルが鳴り響いたためではないと思うが、少年がボールを取りこぼした。


 ボールは転々と転がり、一番前に座るお客さんの足に当たって止まる。傍らまで駆け寄った少年は、そのお客さんからボールを受け取ると、ペコリと恥ずかしそうにお辞儀をした。イレギュラーな事が起きたはずなのに、少年は少年のままだった。


 すごい。あれが演技なのか。なんて、初々しくて可愛らしい反応。いいなあ、アレ。欲しいなあ……。


 おじいちゃんやおばあちゃんが自分の孫を見て、えびす顔になる気持ちが今なら良く分かる。今のわたしの心境は、まさにそんな感じ。最前列に座らなかったことが悔やまれる。


 だけど、あのボールがもし、わたしの足元に転がってきたら、緊張しすぎてボールを食べてしまうかもしれない。そうなれば、あの完璧な少年の顔もさすがに崩れた可能性が……て、邪魔してどうする。


 そんな中、係りの人が上演中の飲食禁止、カメラ撮影の禁止、スマホの電源を切るように等の諸注意を告げる。間もなく開演。そわそわとなんだか妙に落ち着かない。


 別に何ヶ月も前から楽しみにしていたわけでもないし、お目当ての役者さんがいるわけでもない。何なんだろう? この感覚は。

 客席は一様に静まり返り、聞こえるのは噴水から流れ出る水の音だけ。気がつくと、少年はいつの間にか姿を消していた。

 そして、客席はゆっくりと暗闇に包まれていった--暗転。


   ◯


 ……で、感想。ストーリーは正直よく分からなかったけど、終始舞台が優しい雰囲気に包まれていて、なぜだか興奮した。

 あの少年役の人は、ストーリーテラーのような役割で、ほぼ出ずっぱりだったのは嬉しかった。


 舞台セットも照明も音響も役者も、全てわたしの予想以上。他のお客さんの反応も概ね良好だったと思う。やっぱり、お芝居はすごい。


 汗や唾が飛んできそうなほどの距離で、生身の人間が演技するんだから迫力があるし、説得力が違う。なにより、あんなに可愛らしくて演技も上手い先輩がいることが分かったのは大収穫だ。


 あの先輩と一緒の舞台に立つ自分の姿を想像する。そこには、たいした理由もなくイライラして、毒素を体内に溜め込み続けているダメなわたしの姿なんてどこにもなかった。


 眼鏡はやめてコンタクトにした。伸ばしっぱなしだった髪も綺麗に切り揃え、ポニテ……にはならず、長さが足りない&生来の剛毛のせいでパイナップルみたいになった。でも、それを買ったばかりの白いシュシュで纏めた。真っ白でまっさらな、新しい自分に生まれ変わりますようにと願いを込めて!


 そして、『亀岡香月かめおかかづき』というキャンパスを色鮮やかに染め上げるのだ! 黒とか黄土色とか茶色とかは、もう結構! 間に合ってます! ノーサンキュー!

 女優『亀岡香月』デビュー! あっ、サインの練習は、小さい頃から人知れずしてきたからノープロブレムよ。


 コンニチワ、新しいわたし! サヨウナラ、暗くてジメジメしたわたし! わたしには荒療治が必要だ。つまりは、〝|演劇的自分革命《ドラマチックマイレボリューション〟、略してDMRのスタートである。

 さあ、入ろう! 今すぐ入ろう、演劇部に!

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