22.神の代行者

 疑いと憐みの入り混じった表情をしていた。

 その表情の意味は僕にはわからない。

 ただ悲しそうだなと思って、僕は再び視線を戻す。


「その神の代行者が、ここに何の用ですか?」

「挨拶と勧誘ですよ。アクト君、君は素晴らしい素質を持っている! 水神の席はしばらく空席でしたが、君ならその席に座れる!」


 そう言って彼は右手を差し出す。

 敵意はなく、差し出された手には友好の情を感じる。


「我々と共にいきましょう! この偽りだらけの世界を真実で染めるために!」

「……」

 

 未だに言っている意味は理解できない。

 僕には彼が、勝手に盛り上がっているだけに見える。

 不明点も多く、何より正確的に合いそうにない。

 故に僕の返答はこうだ。


「丁重にお断りしますよ」

「……ほう、なぜ? 貴方は感じないのですか? この世界の在り方に不満はないのですか?」

「それはありますよ。だけど僕は神様になりたいわけじゃない。そもそも神様ならここにいますから」


 僕は語りながら視線を母さんに向ける。

 不神信が当たり前になった現代で、今なお生存し続けている水神。

 もし神の不在を嘆いているなら、その必要はないと教えよう。

 しかしどうやら、そういうわけでもないらしい。

 母さんに視線を合わせた彼は、あからさまに蔑むような目をしてため息をこぼす。


「そんな旧時代の残りカス……もはや神でありませんよ」

「残りカス?」


 僕は苛立つ。

 母に対する暴言に。


「言ったでしょう! 我々は新たなる神の器だと! 過去など所詮過去にすぎません。現代には現代の神の必要なのです」

「神を否定し、自らが神に成り上がろうとしているのか? それこそ不神信だ」

「君こそいつまで偽りの神を信仰しているのです? そんなことではいずれ……世界に殺されますよ?」


 視線と視線がぶつかり合い、空気がピリ突く。

 未だに殺気はない。

 ただ怒りを視線に乗せてぶつけ合っているだけだ。

 この時点でもはや、僕らの間に折り合いはつけられなくなっていた。


「ふぅ……どうやら君も騙されているようですね。嘆かわしい、実に嘆かわしい」


 彼は大袈裟に身振りをして、泣いているかのように顔を手で隠す。

 青空に大きな雲が漂い、僕たちを影で覆う。

 雲の影は僕たちの影に重なり、影と影が交わる。


「なれば偽りの神を――」


 瞬間、殺気が全身を駆け抜ける。

 身体を震わせ、急いで臨戦態勢に入る。


「殺してさしあげましょう」

「――母さん!」


 一手遅かった。

 彼が狙ったのは僕ではなく、僕の後ろにいる母さんだった。

 地面を覆う影がより黒く濃くなり、泥のように盛り上がって刃の形を成す。

 影の刃は地面から伸びて、母さんの懐へ。


「っ……」

「なっ――」

「これはこれは、愚かなことだ」


 影の刃は腹部を貫いた。

 しかし母さんのではなく、母さんを庇い刃に飛び込んだ……


「ミラ!」

「ぐふっ……」


 ミラは口から血を吐き、その場に倒れ込んでしまう。

 僕はシャドウのことを無視してミラに駆け寄った。


「ミラ」

「ミラちゃん!」


 僕がミラを抱きかかえ、母さんも駆け寄る。

 絶好の攻撃チャンスだったが、シャドウは何もしてこない。

 チラッと見えた表情は、哀れんでいるように感じた。


「ミラ! 僕の声が聞こえるか?」

「ぅ、……うん」


 意識はある。

 傷はかなり深いがこれなら治せる。


「母さん!」

「ええ、私に任せて」


 母さんの力なら、致命傷でも生きている限り何とか出来る。

 僕はミラを母さんに任せて立ち上がる。


「ごめんなさいミラちゃん、私を庇って……」

「い、良いですよ……女神様は……お母さんを助けてくれた。それに……」


 ミラは笑いながら僕を見る。

 痛いはずだ。

 苦しいはずだ。

 それを振り払うように、無理をして笑顔を見せて。


「女神様は……アクトのお母さんだから」


 全身が震える。

 あの一瞬、僕は間に合わなかった。

 今の母さんに戦う力はない。

 彼女は母さんを……僕のために守ってくれたんだ。

 自分が傷つくことを厭わず、一切の迷いもせずに飛び込んだ。


「ありがとう……ミラ」

「いやはや中々の勇気ですね~」


 背中側から声が聞こえる。

 顔を見なくとも、その表情は頭に浮かぶ。


「偽りの神を守るなど愚かにもほどがありますが、その勇気は素晴らしい。人間にしては見どころがありそうだ。どうです? その娘も一緒にこちらへ――」


 最後まで言わせない。

 僕は術式を発動し、水の巨大な拳でシャドウを殴り飛ばした。

 シャドウは吹き飛び、湖に落下する。

 しかしすぐに立ち上がって、影を踏み台にして湖の上に立つ。


「重い……重い拳ですね。これが水神の鉄槌というわけですか!」

「違うよ。全然違う」


 胸の奥から込み上げてくる感情が、これほど不快だとは思わなかった。

 腹が立つ。

 生まれて初めて、許せないと心から思った。


「今のは……僕の怒りだ」

 

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