弐、出会い

 6歳のとき。

 お父様に連れられて、初めて王城へ向かった。その頃から薬草に異常なほど興味を持っていたからなのか、国王陛下の許可をもらい私も王城へ入ることが出来た。

 双子の王子の弟が病気でその薬を作ったり試したりするために来ていたが、結局子供の私は放り出されて庭園にいた。とは言っても庭園には薬草やハーブがたくさん植えられていて、私にとっては時間が足りないくらい楽しい場所だった。


「リコリルレ草?希少なものだわ!ああ、あっちにはタルの花!こっちにはリューリューの蕾!どれも図鑑でしか見たことないわ!王城ってなんて素敵な場所なの!」


 そこかしこに希少種の薬草が植えられていて、興奮して走り回っていた。


 人がいるのも気づかずに。


「ねえ」


「……っ!」


 踊りながら庭園を散歩していた私は、誰かに声をかけられてビクーッと体を硬直させた。


「これ使って」


 恐る恐る振り返ると、そこにはベンチに座った年下らしき男の子が私に向かってハンカチを差し出していた。まん丸の目をして、お前そこで何やってるんだと言わんばかりに赤い瞳がじっと私を見ている。色白な肌が幼いながらも顔の良さを際立たせていた。


「えっ、ハンカチ?」


「鼻血出てるよ」


 男の子に言われて鼻の下をこすると、指には真っ赤な血が。

 再び羞恥心が襲う。

 希少な薬草たちに興奮して踊り狂ってたところを見られ、その興奮によって出た鼻血を指摘される。

 しかも年下の男の子に!

 恥ずかしくて顔を両手で覆った。

 そんな私を見ていた男の子は、私に向かって手招きをする。ベンチへ向かうと、改めてハンカチを差し出された。


「使って?」


「……ありがとう」


 ハンカチを手に取ると、男の子は薄く微笑んだ。


「どうしてここに来たの?」


 二人でベンチに座って話し始めると、真っ赤な瞳が私へ純粋に質問を投げかけてくる。


「お父様が、双子の弟の王子様の病気を治す薬を作りに来たのよ」


「そう、なんだ」


「あなたは?」


「僕も同じだよ。父上に連れられてここにきたんだ」


 正面に向き直した男の子はそのサラサラな髪の毛を耳にかけた。ポツリポツリと、何気ない日常の会話をした。

 そんなに時間は経過していないうちに男の子が立ち上がる。


「僕、そろそろ行かなくちゃいけないんだ」


「そうなの?わかったわ」


「……またここに来てくれる?」


 こちらを見ずに小さく呟いた男の子は少し不安な様子で立ったままだ。私も立ち上がって彼の正面に回る。


「あなたが来るなら私も来るわ」


「ほんと?待っててもいいの?」


 パッと顔を上げて、目尻を下げ、眩しい笑顔を私へ向ける男の子。そのあまりの可愛さに私も笑顔になった。


「うん!私はスコットレイス公爵家のアンジェリーナよ。そういえばあなたの名前は?どこの家なの?」


「……僕の名前、誰にも言わないでいてくれる?」


「うん。誰にも言わない」


「じゃあ次来たときに教える」


 それだけ言って、彼は庭園をゆっくりと立ち去っていった。


 不思議な子だった。少し細身で、静かで、血が通っていないような真っ白の肌。でもとても優しい心を持っているような。最後のあの明るい顔はとても印象的だった。


 次に会った時、帰り際に名前を教えてくれた。


「僕の名前はデライド。僕と二人だけのときには、デライドって呼んでほしい」


「わかったわ」


 その後も何度か王宮へ行った日には必ずデライドがいた。いつもあのベンチに座って、動くこともなく、私達はたくさん話した。デライドは家が厳しくてあまり外に出してもらえないらしく、王城に来るときだけは許可が出るらしい。

 だから私は街のことや植物のことなどたくさん話した。それにとても興味を持ち、目を輝かせて話を聞いてくれるデライドに、私が心を許すのは簡単なことだった。


 ある日私は熱を出して、王城へ行くお父様についていけない日があった。しばらく魔が空いてしまい、3ヶ月後に再び王城へ行くと、私はデライドに会いたくて真っ先に庭園へと向かう。

 バルバリエラの花の前に、口を尖らせてほっぺたをプクーっと膨らませたデライドが座っていた。どうやらご機嫌斜めだ。


「どうしたのデライド?」


「……この間来なかった」


 私に気づくと、膨らませたほっぺたをより大きくして、私を睨んでいる。しかし自分の弟みたいに可愛くて、彼の両頬を私の両手で包んだ。デライドは大きい瞳を私に見せつけるかのごとく見開いて、一気に顔を真っ赤にする。


「ごめんね、熱が出てこられなかったの」


「えっ、そうなの?……ごめん……僕のこと嫌いになったのかと思った」


「嫌いになるわけないじゃない!私もここに来るのがとっても楽しみなのよ」


「えへへ……僕も楽しい。ごめんね?」


 すぐに破顔一笑して、デライドは私の両手に被せるよう、おそるおそる自分の手を重ねた。その時の手の冷たさがとても印象深く私の心に残った。


 いつもこのベンチに座って話をしているので、ふとデライドに疑問に思っていることを聞いた日があった。


「デライドはバルバリエラの花が好きなの?いつもこの花の前のベンチに座ってるわよね」


「うん。花の香りがとても落ち着くんだよ」

 

 他の花とは比べ物にならないくらい大きく、私達の頭一つ分を飲み込むような大きさだ。花びらは深い海のように青く、雌しべや雄しべはくっきりとした黄色。庭園で異常なほど存在感を放つ花だ。これも希少種で、実際私もここに来て初めて目にした。

 バルバリエラの花は薬には出来ない。むしろ毒の王様として有名で、そのことから絶滅品種にもなっている。それを説明するとデライドは驚いていた。

 

「香りを嗅いでるのは危険?」


「大丈夫。香りに毒はないの。だけど花や葉、根なんかを口に入れなければ問題ないわ」


「よかった……」


 胸をなで下ろしているデライドは、本気で命に関わるのかという恐怖から解放されているようだった。


 またある日、いつものように別れ際、デライドがベンチから立ち上がったがすぐに座り直した。そして彼は少しの沈黙の後、小さな声でお願いをしてきた。


「二人の秘密の言葉、決めていい?」


「秘密の言葉?」


「うん。二人だけが知ってる大切な言葉」


「いいわね、何がいいかしら?」


 二人でう~んと考えていると、デライドと目が合う。


「ルビー」


「アメシスト」


 ポツリと呟いた二人の声が重なる。お互いの瞳の色を同じタイミングで口にした。私はアメシストのような紫の瞳で、デライドはルビーのような真っ赤な瞳だからだ。


「フフッ、息ぴったりね」


「気が合うね。じゃあ僕達の合言葉は『ルビーとアメシスト』だ」


「素敵な合言葉だわ」


 特に何か隠し事をしているわけでもないのに、二人だけの秘密の言葉を作った。それがとても嬉しくて、家に帰ってから一人で何度もその言葉を呟いた。


 別の日は刺繍をしたハンカチを渡した。以前鼻血を出したときに借りたハンカチは洗って返そうと思ったのにデライドに取られてしまったので、お詫びに彼の名前の頭文字を刺繍をしたハンカチをプレゼントしたのだ。受け取ったデライドは頬を染めて、とても喜んでくれた。


「ありがとう!大切にするね!すっごい嬉しい」


 ハンカチを胸に当ててギュッと抱きしめるように、私に感謝の言葉を何度も繰り返した。最初にあったときの彼とは別人のように、明るい表情がいつも見られるようになっていた。


「ルビーと」


「アメシスト」


「……ふふっ」


「僕、この言葉を寝る前に口にするんだ。アンジェリーナを思い出すんだよ」


「そうなの?私も同じだわ!すっごく元気になるわ」


「ねぇ……アンジェって呼んでもいい?父上からそう呼ばれているんでしょ?」


 おずおずと、私のことを上目遣いで見ると共にお願いをしてきたデライド。急な彼のお願いに、なぜか私の鼓動が早くなるのを感じた。呼んでくれることは嫌じゃない。むしろ嬉しくて、ドキドキと緊張した。

 でもそれなら……。


「じゃあ、リーナでもいいかしら?まだ誰にも呼ばれたことがない愛称だから、デライドが初めに呼んでほしいな」


「い……いいの?じゃあそう呼ぶ!リーナ、リーナ?」


「なあに?」


「呼んでみたかっただけ!リーナ?」


 頬を染めたままこちらを見て、私の名を何度も呼ぶデライドはずっと笑顔だった。そして私も嬉しくて嬉しくて、心の中が温かかった。


 そうやって王城に何度か足を運んで2年、私は8歳になった。


 いつものようにデライドと話をしていたが、どうにも様子がおかしい。時々息が苦しそうになり、咳込んでいた。


「デライド、大丈夫なの?」


「……」


 返事がない。体調が悪いのか、咳の止まらない彼がとても心配だった。

 薬にしか興味のない私にはなかなか友達が出来ず、デライドだけが唯一の話し相手だった。とても優しくて、笑顔が素敵で、真っ赤な瞳で見つめられると吸い込まれそうだった。そんな彼に想いを寄せていくのは自然の摂理だった。


 そんな彼が咳きこむのだから、私は必死で背中をさする。ようやく咳が落ち着くと、黙っていたデライドが大きく深呼吸して口を開いた。


「リーナ……。僕、しばらく君とは会わない……」


「そう、なの?……寂しいわ。でもまたいつか会えるのよね?」


「わからない……。僕、勉強するために家にこもるんだ。リーナに会えなくなるの寂しい……でもそうするしかないんだ。今はそれしか方法がなくて……」


 咳をしながら涙を浮かべるデライドを見て、私も堪えていた涙をこぼしてしまう。デライドと会えなくなることは、私の中でも相当大きなショックだった。

 やっぱりどこかの高位貴族の令息なんだわ。私が彼の冷たい手を握ると驚いたように目を真ん丸にし、頬を染めたデライド。


「リーナ……。僕、リーナのこと大好きだよ……」


「わっ、私もデライドのこと大好き!また必ず会えるわ!私、あなたのこと絶対忘れないから」


「僕のこと、忘れない?」


「もちろん!」


 潤ませた瞳で私を見た彼は、決意を込めた声でこう言った。

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