第4話

豪徳寺くんに声をかけられた。

「今度の日曜日、豊島園に行かない?」

「えっ、いきなり? わたし? なんで?」

青春を絵に描いたような豪徳寺くんの笑顔はポカリスエットのテレビコマーシャルのようだった。

断わる理由などあるわけがない。

というわけで翌々日。

午前十時、新宿駅西口。

「緊張する」

口から肝臓が飛び出しそうだった。

手汗がすごい。

ワキ汗もナイアガラのごたるドバドバ出てくる。

おちつけおちつけおちつけおちつけ。

よけいに緊張してきた。

しかも日曜だというのに制服で来てしまった。

私服は五年前にユニクロのワゴンで買ったボロいやつしか持っていない。

もっとオシャレしたかったけどまぁいいや。

たぶんこのほうが見つけやすいだろう。

「おはよう。ごめん、待たせちゃって」

「あぁあゔッぐ、ご、ご、ご、豪徳寺くん、おおおおお、お、お……おは、よゔっ、うごッごッ」

豪徳寺くん、いきなりこんな至近距離で。

敵対する組のヒットマンに狙われる極道の気分だ。

どうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう。

「とりあえず大江戸線で豊島園まで行こう。向こうに着いたらなにか食べようか」

わたしは壊れた首ふり人形のごたる何度も首を縦に振った。

満面の笑みを意識したが、ただ引きつっただけのキモい笑顔だったにちがいない。

そして大江戸線には誰もいなかった。

日曜日だからかな、それにしても人の気配がない。

東京の最下層を通る地下鉄に豪徳寺くんと二人きり。

わたしはそれだけで満足だった。

ずっとこのまま、豪徳寺くんと二人だけでいたかった。

豊島園に着いた。

まるで映画のセットのような正門は夏の陽を浴びて森閑としていた。

入園料は豪徳寺くんが払ってくれた。

「おなか空いてない? なにか食べる?」

「ううん、まだ大丈夫。朝ごはんしっかり食べてきたから」

もう緊張はしていなかった。

いつものわたしだった。

「じゃあさっそくあれに乗ろう」

と、豪徳寺くんが指を差した先には海賊船があった。

フライングパイレーツ。

豊島園が誇る巨大アトラクションのひとつだ。

しまった。

わたしは重大なことを思い出した。

高所恐怖症なのだ。

豪徳寺くんのことで頭がいっぱいで自分が高いところが苦手な事実をすっかり忘れていた。

「これに乗るのかぁ」

わたしはフライングパイレーツを見上げて茫然と立ちつくした。

公園のすべり台ですら恐怖で足がすくむ。

そんなわたしがこんなバケモノに乗れるのか。

乗れる。

乗ってみせる。

愛はすべてを超越することを証明してやる。

着席。

となりには豪徳寺くん。

微かな香水の匂い。

ドキドキする。

でも落ち着いてる。

豪徳寺くんとならなんだってできる。

どこへだって行ける。

動き出した海賊船。

振り子のように前後に揺れる。

夏の風が気持ちいい。

もう恐くはなかった。

この海賊船で、夏の財宝を奪うのだ。

「楽しかったね。次はあれに乗ろう」

豪徳寺くんはわたしの手をとって次のアトラクションに向かった。

大きな手だった。

Tシャツの袖口から伸びた白い腕は、うっすらと汗を帯びて光っていた。

わたしは「うん」と言って、豪徳寺くんの手を強く握った。

コークスクリューで練馬の町を見渡してサイクロンでポニーテールがほどけた。

マサラでカレーを食べてミラーハウスで迷子になった。

そしてお化け屋敷で豪徳寺くんの胸に飛び込んだ。

夜が訪れた。

「豊島園て十七時までだったよね。もう夜の九時を過ぎてるのに、まだ居ても大丈夫なのかな?」

「大丈夫、なにも心配はいらない。僕がついてる」

闇の中にメリーゴーランドがあった。

夜に佇むアールヌーヴォー様式の回転木馬はとても幻想的だった。

「さぁ、これにも乗ろう。もう最後だから」

豪徳寺くんに誘われ、わたしは外側の木馬に跨った。

豪徳寺くんはそのとなりに腰を降ろした。

エルドラドはゆっくりと回転をはじめた。

「今日はありがとう。いきなりさそったのに、来てくれて」

「ううん、わたしのほうこそありがとう、さそってくれて」

「授業でわからないところとか、よく教えてくれたりするからさ。なにか、お礼をしたくて」

「そんな、気にしなくてもいいのに。わたしも豪徳寺くんに話しかけられるとすごく嬉しいから」

涙が出そうだった。

ほんとに嬉しかった。

このまま、ずっとこのままでいたかった。

ずっとずっと、このまま、このままで。

「これ、僕からのプレゼント」

いつの間にか豪徳寺くんはタキシード姿になっていた。

わたしは純白のドレスに身を包んでいた。

豪徳寺くんはなにか言いたそうだった。

「タキシード、すごく似合ってるね」

少し照れたような横顔だった。

「小田坂も、そのドレスとても似合ってる」

回り続けてエルドラド、ずっと二人でいたいから。

豪徳寺くんと二人で、いつまでもずっと。

たとえ世界が終わったあとでも。

「忍法、時間を止めてください」


ジリリリリリリリリッ


木造アパートの天井。

鳴り続ける目覚まし時計。

「なんだ、夢か」

カーテンの隙間から射し込む朝のひかり。

また、忙しい一日が始まった。

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