小田急恋物語

おなかヒヱル

第1話

わたしは忍者になりたかった。

手裏剣シュッ。

お母さんといっしょにおりがみでつくった手裏剣。

他にも鶴とか飛行機とか、手先が器用なお母さんはわたしにたくさんのおりがみを教えてくれた。

熱中しすぎたお母さんは家事も忘れて黙々とおりがみを折っている。

いつの間にかわたしは炬燵で眠ってしまい、気がついたら布団の中で朝になっている。

キッチンからは朝餉の匂い。

「顔を洗って歯を磨きなさぁ〜い。朝ごはんできてるわよ」

「は〜い!」

音速で顔を洗って歯を磨く。

できたての朝ごはんをテーブルに運ぶ。

テレビのスイッチをオン。

おはスタを観ながら大好きなお母さんと味噌汁を啜り玉子焼きを頬張る。

朝七時五十分。

「行ってきまぁーーーすっ!」

わたしは世界を滅ぼすぐらいのデカい声で小学校に登校する旨をお母さんに伝える。

「行ってらっしゃぁ〜〜〜いッ!」

お母さんも市営住宅を叩き割る勢いでわたしを送り出す。

いつもの何気ないやりとり。

これが、お母さんと交わした最後の言葉だった。

「小田坂、ランドセルを持って駐車場に来なさい。大至急」

担任の先生がわたしを促す。

昭和気質で普段はとても厳しい先生が、その時はとても優しく思えた。

優しいというか、わたしを心配しているような眼差しだった。

病院だった。

無機質な階段と白い壁。

看護師さんが案内してくれた部屋には一人の女性が横たわっていた。

「交通事故だそうです」

仰向けになった顔には白い布が掛けてある。

服装も病院が用意したものだった。

それでもわたしはそれがお母さんだとすぐにわかった。

細長い指先、朝いっしょにおりがみを折ったきれいな手がそこにはあった。

「おかあさんどうしたの? おからだがわるいの?」

ベッドに横たわる女性が母親だと気付いたわたしに、先生は少し驚いた様子だった。

わたしはランドセルをおろしてお母さんに近づいた。

そして体操服のポケットに仕舞ってあったおりがみの手裏剣を取り出して、お母さんの手に握らせた。

とても冷たい手だった。

「おかあさんげんきだして。これあげる。きんのしゅりけん」

五十枚入りのおりがみに一枚しか入っていない金色の紙。

その紙で折った金の手裏剣。

わたしの宝ものだった。

「おかあさんはやくよくなってね。またおりがみやろうね」

葬式は親戚の家で執り行われた。

突然のことだったから簡易なものになった。

「かわいそうにねぇ、まだ小学校二年生でしょう? お父さんもいないし、これからどうするのかしら。え、うち? まぁひと月ぐらいなら面倒を見てもいいけど、そんな何年もねぇ……お金もかかるし……」

イヤな世界だと思った。

お金のはなしばかりだった。

誰も泣いている人はいなかった。

親戚一同の反対を押し切って駆け落ちをした母に、誰も同情はしなかった。

わたしに父はいない。

他の女性と浮気をしてわたしとお母さんを捨ててどこかへ行ってしまったから。

わたしは隅っこで体操座りをして一言も発しなかった。

親戚の誰もが好きではなかったし、何より人が死ぬということが理解できなかった。

人は死ぬ、そして死んだ人には二度と逢えない。

わたしがその事実を知るのはもう少し先のことだった。

親戚の家を転々としたわたしは孤児院に辿り着いた。

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