第31話

 翌日の月曜日は文化祭の片づけにてられた。

 でもうちのクラスは演劇だったから、やることと言えば小道具をバラして処理することだけ。しかもそれは小道具班の人たちがやるとのことで、わたしたち演者たちは特にやることがない。


 ということで、わたしは部活の後輩のクラスを手伝うことになっていた。

 普段より遅い時間帯の通学路を行く。

 今日は授業じゃないから、めちゃくちゃな遅刻じゃなきゃ別段とがめられることもないのだ。

 のんびりと校門に続く坂を上り、途中にあるコンビニの前で立ち止まって自分の姿を確認する。


「変……じゃないよね。うん」


 前髪をちょちょいといじり、良い感じのアングルで笑みを投げかけたりしてみる。

 悪くない。

 ガラス面に映った顔を見てそう自己評価。

 昨日空木うつぎさんに化粧の仕方を教えてもらったわたしは、早速今日からそれを実践し始めていた。

 彼女の手腕に比べたら70%くらいの出来だろうが、不器用なわたしとしては頑張った方だ。

 こんなにめかしこんで学校に行く理由なんて一つしかない。


 ――片桐かたぎりくんに、可愛いって思われたい。


 わたしの中にあるのはそれだけだった。

 昨日。


『僕は……小峰こみねのことが……!』


 その続きは聞けなかった。

 だけど、きっと悪いことじゃないはずだ。

 おそらくわたしの予想が正しければ――


「ふへ……ふへへへへへ……」


 想像しただけで、頬が落ちそうなくらいにやけてしまう。

 一生手に入らないと思っていたものが眼前にあるという事実に、わたしは浮かれに浮かれまくっていた。

 後夜祭の合間にわたしと二人きりになろうとする意味。

 それはたぶん、片桐くんにとって、わたしが特別な位置に置かれているからなのだろう。

 そうじゃなかったらあんな良い雰囲気にはならない。

 あのままいけば彼はその言葉を口にしていたはずだ。

 運悪くクラスの女の子に邪魔されてしまったが、わたしはそのことに関してそれほど怒っているわけでもなかった。

 この、一線を越えるか超えないかの絶妙な愉悦ゆえつをもっと味わいたい。

 廊下ですれ違ったり、グループ学習の班が一緒になったり、お昼ご飯を共にしたり、ちょっと身体が触れ合ったり、そういった些細ささいなことでお互いドキドキして、まだかな、そろそろ言ってこないかなって、その時を待ちわびたい。


 片桐くんに会いたい。

 片桐くんに、わたしが特別な人なんだって、もっともっと思ってもらいたい。

 暗黒の中学時代が嘘みたいに、今は世界の全てが輝いて見える。

 わたしが大好きな一人の男の子は、わたしのことを女の子として求めている。

 そう思うと、今のわたし自身すらも輝いているように思えた。



     *



 そんな輝かしい世界が陰りを見せたのは、登校してすぐのことだった。



 玄関で上靴に履き替えていると、


「おっす明日香あすか!」


 後ろからばしっとお尻を叩かれた。

 振り向くと、そこには健康的な小麦色の肌をした女子――同学年で部活仲間の、水島みずしま花梨かりんが立っていた。


「おはよ、花梨」

「よぉーーーやく今日から練習できるね! あたしもう待ちくたびれちゃったよ!」

「あはは。そんなに練習したがってるのなんて花梨だけでしょ」

「ああん? 舐めた態度取ってっとメニュー倍にしたるぞ? こちとら部長ぞ?」

「うー。それだけは勘弁」


 わたしが苦虫を嚙み潰したような顔をすると、花梨はいたずらが成功した子供みたいに無邪気に笑う。


「ま、メニュー倍は冗談にしても、ここいらで一気にチームの基礎力を上げてかないとね。目指すは春高はるこう優勝! そのためには練習あるのみでしょ!」


 そう言って、花梨はまん丸の双眸そうぼうに燃え盛るような闘志をたぎらせる。

 つい最近、三年生に代わって部長を引き継いだ彼女は、以前にも増して熱血スポーツ女子と化していた。


 二人で部活の話をしながら教室に向かう。

 途中、花梨はなにかに気づいたようにわたしの顔を覗き込んだ。


「あれ? 明日香、その顔どうしたの?」


 ファンデーションをはたいた肌に、花梨の視線がビシバシ当たる。


「あ、これ? たまにはいいかなって思って」


 言って、わたしは小首を傾げてみせる。

 気づいてもらえた嬉しさに語気は自然と弾む。

 花梨とわたしは、部活内外でも仲が良い。

 きっといい反応をもらえるだろう――と、思っていたのだが。


「あー……うん、良いと思うよ」


 煮え切らない彼女の反応に、わたしは「おやおやおやおや?」となってしまう。

 良いと思うよ。

 言葉のわりに、花梨のその言いぐさからはどうしても肯定こうていや好感といったプラスのトーンを抽出できなくて、わたしは戸惑う。


 だけど、そんな戸惑いはすぐに荒れた感情に取って代わった。

 きっと、花梨はこういう恋愛の機微きびにはうといんだ。

 甘酸っぱい色恋とは隔絶かくぜつされた、血気盛んな競技の世界に生きているから、わたしの変化にもあまり関心がないのだろう。

 ささくれた気持ちで、花梨の反応にそう決着をつける。


 ――ま、いいや。


 教室に行ったら昨日みたいにクラスのみんなが今のわたしを褒めてくれるはずだ。

 わたしは気を取り直して顔を上げ、廊下を進む。



     *



 花梨と別れて、ガラリと教室の戸を開けた時。

 ささくれが裂傷れっしょうになるのを感じた。

 わたしは入り口でピシリと凍り付いたように固まってしまって、それから少し遅れて、自分がなにか重大なミスを犯してしまったような感覚におちいる。


 ――あれ? なんか昨日と雰囲気違くない? 昨日はみんなもっとはっちゃけてて……。


 教室では、みんな輪になって駄弁だべったり、机に突っ伏してスマホをポチポチしたり、参考書を開いて首を捻ったりと思い思いの時間を過ごしていた。

 だけど、そこに昨日までの浮ついた空気はまるでない。

 そのことに気づいて呆然としつつ、わたしは自分の席に荷物を降ろす。


 室内をキョロキョロ見渡していると、近くを通りかかった女の子たちが、「小峰さんおはよー」と声をかけてきた。


「え、ああうん。お、おはよう……」


 空木さんとよく一緒にいる子たちだ。それはつまり、このクラスのカーストトップに位置しているということ。みんな、いかにも垢抜けてますといった感じで無個性な制服をオシャレに着こなしている。


「てか小峰さん、今日もメイクして来たんだねー」


 一人の子が言った。たぶん悪気とかはない。ただ単に、気になったから聞いただけ。そんなニュアンスだった。

 だけど、わたしは急激に臓腑ぞうふが冷えるような感覚に襲われて、絞り上げるような声で訊ねる。


「こ、これおかしいかな……」

「ううん。そういう感じも良いんじゃない?」

「でも小峰さんがガチでイメチェンするとは思わなかったなー」

「ねー。文化祭ん時の特別仕様だと思ってたー」


 彼女たちの言葉を聞いて、確信する。


 ――ああ、そうか。昨日までは文化祭で、つまり非日常だったわけで、だからあんなに髪盛ったり頬にペイントしたりしてたんだ。


 日常に戻ればまたスイッチを切るのは当たり前だ。

 それなのに、わたしはなにを勘違いしたのか、祭りが終わってもスイッチを入れっぱなしにしていた。浮ついた気持ちのまま登校したから、そのままこの教室で浮いてるんだ。


 それに気づくと同時に、わたしは果てしない理不尽さを感じる。


 ――え、でも待って。わたしがメイクして登校するってそんなに異常? 女子高生なんて大半がメイクして校則引っかからない程度に髪染めてんじゃん。そこは、「イメチェンしたんだね、良い感じだね」で済ましてくれていいところじゃん。てか、松木まつきさんも大橋おおはしさんも井場いばさんもガチガチにメイクして香水つけてフレグランスな香り漂わせてんのに、わたしは薄めのメイクしただけで疑問持たれんの?


 熱した鉄みたいな怒りが沸々と湧いてくる。


 みんなは許されてわたしだけ許されないなんて絶対おかしい。


 だけど、それを彼女たちにぶつけるのはどうしようもなく見当違いな気がして、ぶつけてしまったらわたし自身もひどく傷つくような予感がして、やり場のない気持ちを押しとどめて、わたしは教室を後にした。



     *



 予定通り後輩のクラスにたどり着いたわたしは、大勢の女子たちに囲まれていた。


「先輩! 昨日の劇、すごかったです! あたし感動しちゃって……」

「めちゃくちゃかっこよかったです! サインいただけますか⁉」

「小峰先輩、私と付き合ってください!」


 ものすごい勢いでそう迫られ、わたしはたじろいでしまう。

 劇で男装したおかげか、彼女たちの勢いは文化祭前のそれとは比べ物にはならなかった。


 その後ろでは、後輩の男子たちが「またやってるよ」「あいつらも懲りないね」みたいなことを呟いていた。

 わたしは、心が身体をすり抜けてどこかへ行ってしまうような虚脱きょだつ感に襲われながら、その男子たちに目を向ける。


 彼らの中に、わたしを女の先輩として見ているのは一体何人いるんだろう。

 男子って、先輩女子が自分たちの教室に訪れるイベントがあったら普通はドキドキするものなんじゃないだろうか。

 だけどわたしを見る彼らの目はすごく平坦で、まるで道端に生えた草が視界に入ったくらいの興味の無さで、淡々と片付けに取り掛かっている。

 対照的に、女子たちはキラキラした目でわたしを見つめていた。

 

 ――あー。そうだよね。わたしに求められてるのってこういう感じだよね。わかるわかる。王子様役がぴったり?うん、ありがとう。やっぱ可愛さとか女の子らしさとかメイク頑張っちゃお!とかそういうのじゃなくて王子様!かっこいい!みたいなやつの方がいいよねみんなも。世の女子高生たちが許されてわたしだけが許されないもの普通に考えてみれば全然納得いく話じゃん。こうしてみると本当に女としてのわたしって価値が無いんだなーっていうか、いやこの子たちはわたしをかっこいい同性として見てるわけだから決して女であることを否定されてるわけじゃあないんだけど、彼女たちが見てるのはわたしの中の王子様属性だからどのみちわたしが欲していて求められたい部分とはかけ離れているわけで、それはつまるところわたしの根幹を成す部分を否定されているのと同意義ということになる。っていうかそもそも高校入ってから自分でそんな感じのキャラ作っておいて今さら「女の子らしく」とか舐めてるんじゃない?この子たちはただ単に表面から受け取れるわたしを見て正しく評価しただけであって全くなんの非もないし、自分から自分の内側は晒さないしこう思ってもらいたいって思っても口には出さないでただただ察してほしいとかどこのメンヘラ女だって感じですよ。いやー恥ずかしいな。昨日あんなに褒められたからつい調子乗っちゃったよ。ついにわたしにも彼氏できるかもーなんて。片桐くんが昨日言おうとしてたこともたぶん大したことじゃないよね。本人がそう言ってたし。あのまま行けばコクられてたかもとかはしゃいじゃってバカみたい。片桐くんがわたしのこと可愛いとか綺麗とか言ってくれたのも全部お世辞でしょきっと。わたしが片桐くんのこと好きなのには変わりないけど向こうはそうじゃないよね。だって片桐くんモテるし真面目だし頭いいし女装似合うし。わたしとは大違い。わたしもあんな小さな身体に生まれたかったなー。なんて思うのは今回に限った話じゃないけど今より強く思ったことはないなー。だって背ぇ低くするとか無理くない?身体の真ん中部分切り取って抜き取るとか?グロいけどだるま落としみたいで想像するとちょっと笑える。いや笑えないわ。だって他に手立てないし。前に美理が言ってたみたいにわたしってもうドンキーコングみたいな人と結婚するしか道がな





















「小峰先輩……………………?」



 前から声がする。


 後輩の女の子。前髪がぱっつんと切り揃えられていて可愛い。


 だけど顔がぼやけていてよく見えない。


 なんでぼやけてるんだろうって思ったらわたしの目からボロッとこぼれ落ちるものがあって、目ん玉落っことした⁉って焦って下向いたら違くて、それは水滴。わたしの涙だった。

 ヤバいヤバい!わたし王子様キャラなんだからしっかりしなきゃって、


「うあぁぁぁぁ…………」


 気持ちとは裏腹に涙は滂沱ぼうだのごとく溢れ出て、嗚咽おえつも止まんないし、なんか知らないけど立っていられなくてその場にしゃがみ込んじゃう。

 なんとかしなきゃって思ってもわたしの冷静さを嘲笑あざわらうように指先がじんわりと痺れてきて、これはいよいよ尋常ではないなと感じ始める。

 わかっていたはずなのに。

 受け入れてたはずなのに。

 涙はどうしようもなく零れ落ちて、一向に止む気配はない。


 寄り添ってくれる人はいなかった。

 みんな、得体の知れないものを見るみたいに、周りを囲ってわたしのことを見下ろしていた。

 当たり前だ。

 今までずっと「かっこいい系女子」でやってきたわたしが、教室のど真ん中で泣き出すなんて、彼女らからしたら恐怖すら覚える行動だろう。


 そのうち通りすがりや他の教室からも生徒が出てきて、場は一層騒然となった。

 「先生呼んでこよう」といった言葉が聞こえてきて、わたしは慌てる。

 やめて。

 そう言おうとしたんだけどわたしの口からは悲痛な嗚咽が漏れるばかりで、それがますます周囲の動揺を搔き立てたらしくて、「早く! 誰でもいいから先生呼んで来いって!」生徒の声から逃げ出すように、わたしはよろよろと立ち上がり一年の教室を出る。


 途中、さっき声をかけてくれた女の子が「あ……あの……」と、なにか言いたげな顔をしていたが、わたしは無視して横を通り過ぎた。

 応えてあげられるわけがなかった。

 わたしはこんなにも中途半端で、情けない人間なのだ。


「ごめんなさい………………ごめんなさい………………」


 嗚咽の合間に漏れた謝罪は、誰に向かうわけでもなく宙をただよった。

 

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