第19話

「ふう」


 小峰こみねと劇を見に行った、その日の夜。

 風呂を出て一息ついた僕はリビングのソファに腰を下ろし、物思いにふけった。


 ――さっきまでここに小峰が座ってたんだよな……。


 革の座面ざめんを撫でていると、なんだか自分が変態みたいに思えてきた。

 でも、初めてだったのだ。

 女子と一対一で出かけ、あまつさえ家に招くなんてのは。

 これまで男女混合でカラオケに行ったり、ファミレスで遅くまで駄弁だべったりという経験なら何度かあった。

 中学まで通っていた書道教室の面々や、高校に入ってからは生徒会のみんなとだ。

 時には、誠司せいじが「合コン」と称して連れてきた他学年や他校の女子生徒と遊ぶこともあった。結果は散々だったが。

 まあ、そんなんでも僕は結構楽しんでいた。

 男子だけで遊ぶのもそれはそれで楽しいが、女子を混ぜて遊ぶのはまた別の快感がある。


 だが、今日はそのどれにも及ばないくらいの達成感と充実感があった。

 僕と小峰の二人きりだったからだろうか。

 それとも――相手が小峰だったからだろうか。

 そんな風にたった数時間前のことを思い出していると、


 テレテテレレレー♪


 ソファの正面に設置されたテレビから軽快な音楽が響いてくる。


「姉さーん! 始まったよー!」


 脱衣所に向けて言うと、「ちょっと待ってー!」と返ってきた。

 いや僕に待ってって言われても……。

 ちなみに僕が風呂上がりなのに姉さんが脱衣所から出てこようとしている理由は……まあいろいろと察してほしい。


 しばらくして、姉さんがバタバタと足を鳴らしてやって来た。僕の隣にドカッと座り、テレビの音量を二つ上げる。

 漫画原作の恋愛ドラマだ。今日はその最終回。

 最初は姉さんの付き合いで見ていただけだったが、思いのほか面白く僕もあっさりとハマってしまった。


 内容は、女子大学生の主人公が一癖も二癖もある男に一目惚れされてしまい、最初は嫌々だったもののなんだかんだ恋に発展していく――というものだ。


『俺、最初会った時からノゾミのこと好きだったんだよ!』

 ドラマは冒頭から男が主人公に告白しているシーンだった。


『ごめん……わたし、ソウジのことは嫌いじゃない。でもわかんないの……自分でも、自分のことが……だから、ごめん』


 そうして、主人公は再び男の告白を断ってしまう。

 諦めたような顔で去っていく男の映像に、主人公のモノローグが入る。


『もしかしたら……彼はもう、二度とわたしに声をかけてくれないのかもしれない……』


 劇中で、男は何度も主人公にアプローチをしているが、主人公は歯牙しがにもかけてこなかった。

 しかし今回は主人公の気持ちが決定的に揺らいでいた。

 出会った頃は毛嫌いしていた男。しつこくまとわりついてくるストーカー。そのくせ別の女にも声をかけたりしていて、彼の言葉が本気かどうかもわからない。

 だけど、たまにああやって真剣な表情で告白してきたりする。男と一緒にいて楽しい時もあったし、つらい時は励ましてくれた。

 主人公は、とっくに彼のことが好きなのだ。

 でもそれを素直に表現するには複雑すぎる感情が渦巻いて、どうしたらいいのかわからない。そんなところだろうか。


 姉さんは食い入るように画面を見ていた。

 邪魔しちゃ悪いと思い、僕はCMに入ったタイミングで訊ねる。


「姉さんは一目惚れとかしたことある?」

「んー、お姉ちゃんはないかなー。ふとした瞬間に『あ、この人好きだな』って思うことはあるけど」

健吾けんごさんの時もそんな感じだったの?」


 訊くと、姉さんは柳眉りゅうびを寄せた。


「あいつの話はしないで。いくらユウくんだからって、お姉ちゃん怒っちゃうんだからね」


 機嫌を悪くしたらしい姉さんは、報復ほうふくなのか知らないが、こてん、と倒れて僕の膝に頭をのせた。


「……これはなに?」

「お姉ちゃんを不快にした罰です。この番組が終わるまでお姉ちゃんを膝枕しなさい」

「へいへい。わかりましたよ」


 僕は適当に姉さんの額を撫でてやりながら、テレビ画面に向き直る。


 「健吾さん」とは姉さんの元カレの名前だ。高校の時から付き合い始めて、二年前に破局した。向こうの浮気が原因らしい。それが一因となって姉さんは〝魔法少女まほうしょうじょ〟になってしまったわけだから、彼の罪は重い。


 ちょうどCMが明けて、ドラマが再開した。


『やっぱりわたし、もう一度ソウジに会いたい』


 そうして主人公が男の家を訪れる。

 しかしそこには入居者募集の貼り紙が。

 必死に男に連絡を取ろうとするも、どの手段でも繋がらない。

 主人公は悲しみに暮れ、その時初めて、男のことが好きなのだとはっきり自覚するのだった。


「……好きって、どこからが好きなんだろう」


 独り言のつもりだったが、漏れ出てしまっていたらしい。


「なあに、ユウくん。好きな子でもできたの?」


 姉さんはごろんと寝返りを打つように頭の向きを変えて、僕の顔を下から覗き込む。


「あ……いや……それは……」

「ふうん……」


 姉さんはなにか勘繰かんぐるように僕を見て、それから言った。


「どこからが好きとか、そういうのはあんま関係ないんじゃない? 現実はドラマみたいにロマンチックじゃあないから、知らないうちにぬるっと好きになってることだってあるのよ。だから、ユウくんも今の自分の気持ちに素直に向き合ってみたら?」


 そう言われ、僕はあのタッパのあるクラスメイトのことを思い浮かべた。

 男子よりも身長が高くて、ボーイッシュな顔立ちと抜群の運動神経から女子の間では「王子様」と呼ばれている。


 最初から気にはなっていたのだ。

 自分にないものを全部持っていて、どこか遠い存在だと思っていた。

 しかし実際は違った。

 彼女は「王子様」でも「かっこいい系女子」でもなんでもない。奥手で自分をさらけ出すのが苦手な、普通の女の子だった。

 そんな彼女に、今まで何度も好感を抱いた瞬間はあったはずだ。

 だけどそれは、恋愛感情から来るものではなかった。

 同じ悩みを持つ、『同盟』としての好感。


 ――その気持ちが変化したのは、一体いつからなんだろう。


 ドラマはもう終盤に差し掛かっていた。

 男が音信不通になって一年が過ぎ、主人公は高校を卒業していた。

 親元を離れ地方の大学に進学した主人公。

 年の瀬に帰省した彼女が、男と初めて出会った公園を散歩していた時だ。


『もしかして……ソウジ……⁉』


 見慣れた後ろ姿に思わず声をかける主人公。

 ゆっくりと振り返った男は、困ったように笑った。


『久しぶり、ノゾミ』


 主人公は男に駆け寄って、その胸に飛び込んだ。


『ごめんなさい。わたし、勝手なことばかり言って……でも、気づいたの。わたし、ソウジのことが好き! ずっと前から好きだったの!』


 そうして、男は主人公を優しく抱きしめる。

 灰色の空の下、カメラはだんだんと抱き合う男女から離れていき、エンディングテーマが流れた。

 その後、彼女らがどうなったかはわからない。付き合い始めたのか、それとも離れてしまったのか。だけど少なくとも、主人公は自分の気持ちにケジメをつけることはできたようだ。


「んー! 面白かったー!」


 姉さんが僕の膝の上で伸びをする。

 テレビを消してそろそろ寝る準備をしようと思ったが、姉さんがなかなかどいてくれない。


「姉さん、僕そろそろ歯磨いて寝たいんだけど」

「お姉ちゃん、今日はここで寝るわ」

「僕寝れないじゃん……」

「じゃあ今夜は一緒に寝ましょう」

「嫌だよ」

「なんでーーー! 恋愛モノみたせいで人肌寂しくなっちゃったのよーーー! ユウくんが一緒に寝てくれないとやだやだやだやだ!」


 駄々っ子のように暴れ、どさくさに紛れて僕の股間に顔を埋めて深呼吸する姉を床につき落として、僕は洗面台へと向かった。


 シャコシャコと歯を磨きながら、先ほどのドラマについて想いをせる。

 あのドラマの主人公は、自分でも気がつかないうちに男のことが好きになっていた。

 たぶん、僕もそうなんだと思う。

 一体いつからそうなったのかわからない。

 だけど僕は、いつの間にか、自分でも気づかないくらいぬるっと、小峰こみねのことが好きになっていたのだ。

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