第15話

「「「お疲れ様でしたー!」」」


 運動部もかくやというような威勢のいい挨拶をして、クラスメイトたちが三々五々空き教室を出て行く。


 今日も今日とて、僕たちは奥平おくだいら監督の熱烈な指導をたまわっていた。

 おかげで肩はくたくた、出るため息もなまりのように重たい。

 なんてったって奥平のやつ、レッスン中は常に背筋を伸ばせとか、休憩以外はずっと立ってろとか、返事ははっきり大きな声でしないとバケツを持って廊下に立たせるとか、昭和の体育教師じみた指導をしてくるのだ。


 最初は「かったるーい」「文化祭だし適当でよくね?」と声を上げる生徒もいたのだが、そんななまっちょろい意見は即座に圧殺された。今では演者たちはみな、鍛え抜かれたソルジャーのように鬼監督の意向に従うまでだ。


「ウチの演劇部は超スパルタだから生半可な覚悟じゃ入部しない方がいい」という噂を聞いたことがあるが、あれは間違いなく彼女のせいだろう。現役演劇部員たちには崇敬すうけいの念を抱かずにはいられない。


 とまあ、僕含めみんな文句タラタラではあるが、そんなスパルタレッスンのおかげで技術の方はメキメキと上達している。

 疲労感とともに確かな手ごたえを感じながら空き教室を出ようとすると、奥平から声がかかった。


片桐かたぎりくん、小峰こみねさん、ちょっといい?」

「ひっ……な、なにかな奥平サン……」


 僕がギギギ、と首を捻って振り向くと、奥平はいぶかしげな表情をする。


「なによ片桐くん。緊張しちゃって」

「べ、別に………………ただ、また怒られるのかなーと思って」


 ちらりと横を見ると、歩みを止めた小峰も顔を強張こわばらせていた。表層には出ていないが、たぶんビビってる。

 奥平はやれやれとかぶりを振って言った。


「レッスン外だったら辛辣しんらつに当たらないわよ」

「そ、そっか……」


 レッスン中は辛辣に当たってる自覚あるんだ……。ちょっと安心。


「あなたたち主役でしょう。だから、プロの演技を見てもらうことにしたの」

「プロの演技?」

「そ、これあげるから」


 そう言って、奥平は二枚の紙きれを手渡してくる。

 書かれている内容から、どうやら劇のチケットらしかった。


「これは……?」

「私の親戚がいる劇団のチケット。これ見て勉強してきて」

「ああ、わかった……けどお金は? いくらした?」


 見た感じ無料招待券というわけではないっぽい。劇のチケット二枚となれば、一万円はいかないにせよ、そこそこいい値段になるはずだ。

 僕が財布を出そうとすると、奥平は手のひらを突き出してそれを制止する。


「いいの。これは必要経費よ。私が勝手にやってることだから、気にしないで」

「でも……」


 小峰も遠慮がちに奥平を見る。

 だが、彼女の眼鏡の奥にある瞳は揺るがなかった。


「三年生になったら受験もあるし、こんな大々的に文化祭に参加することもなくなるでしょう? それに今年のクラスにはあなたたちのような逸材いつざいがいる。来年になったら、このメンバーでお芝居することはきっとないわ。私はね、今年の出し物に全力を尽くしたいの。そのためだったら、いくら貯金を切り崩そうが構わないわ」

「奥平……」

「奥平さん……」


 そうだ。

 彼女だって、この演劇を成功させたい思いで監督の立場を請け負っているのだ。たしかに指導はスパルタだけど、それだってみんなのためにやっていること。厳しく当たるのだって、その想いの表れなのだ。

 そう思うと、先ほどまでのレッスンがどれだけ有意義ゆういぎだったか思い知らされる。


「じゃあそういうことだから。片桐くん、劇場の場所はわかるでしょう?」

「ああ。駅から街道を歩いたところだろ? 陸橋りっきょうの近くの」

「ええ、小峰さんを案内してあげて」

「わかった」

「二人とも、日程は大丈夫?」

「僕は平気。生徒会の仕事もないし」

「わたしも、この日は部活オフだから」

「それはよかった。しっかりプロの技術を学んできてね。見終わってからも前と変わらない演技したらぶちのめすから」


 去り際にそんな物騒な言葉を残して、奥平は颯爽さっそうと教室を出て行った。


「前にさ」


 他のクラスメイトたちが全員引き上げたことを確認し、小峰が切り出してくる。


「わたし、練習テキトーにやって主役降ろしてもらおうみたいなこと言ったじゃない?」

「言ってたな」


 その時ばっかりは僕も彼女の意見に賛同したのだ。


「やっぱりダメだね、そういうのは。奥平さんみたいに全力で取り組んでる人がいるんだから。役が気に入らないからってテキトーにやってたら、ああいう人たちに失礼だ」

「だな」


 僕は彼女の横で頷いた。


「僕も最高の演技ができるよう努力するよ。このチケット、無駄になんないようにしよう」

「そうだね」


 そうして、僕らは教室に戻りがてら当日の予定を決め、その日は終わった。



     *



 ――のだが、考えてみれば、これは僕にとって驚天動地きょうてんどうちの出来事なのだった。


 そんなことに、家に帰って、夕飯を作って食べて、テレビを見て、風呂に入ろうと思ったら姉さんが乱入してきて追い返そうとしたけど結局押し切られてなんだかんだ一緒に入ることになって、風呂を出てドライヤーで順番に髪乾かして「暑いしアイス食べたくない?」って姉さんが提案してきて「食べたい」って僕も答えて、一緒に近所のコンビニまで行ってアイスを片手にまたリビングでテレビ見て、いい時間だしそろそろ寝るかってなって歯を磨いて部屋の電気を消してベッドに潜り込んだところで。


 ようやく気付いた。


 僕には彼女がいない。

 できたこともない。

 つまり、プライベートな用事で女子と二人きりで出かけたことがない。

 あー、そういえば来週の土曜日一緒に劇を見に行く約束したなーと、天井の模様を眺めながら思い出す。


 ……これってデートとかいうやつなんだろうか。


 でも付き合っていない男女が一緒に出かけるのってデートって言うのか?

 女子と一緒にお出かけ。

 エスコートとか、した方がいいのだろうか。

 そもそもなにを着て行けばいいんだろう。

 気合いの入った服なんて持ってないぞ。僕が服を買う時はいつも姉さんが一緒についてくるから、めちゃくちゃダサいってことはないだろうけど……。

 悶々もんもんと思考が巡り、なかなか寝付けない。


「まだ焦る時間じゃない、か……」


 そう自分に言い聞かせて、僕は布団をかぶった。

 別にそんな気負う必要はないじゃないか。


 ――だって僕は小峰のことを特別視してるってわけじゃ……。


 次第にドロリとした睡魔すいまがやってきて、僕は眠りについた。

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