第4-2話


 エレベーターに乗り込んで、三階のボタンを押す。ガコン、と古くさい音を立てるそれが動き出す。

 日の高い時間だし、殆どのメンツは外に出ているだろう。レオには今日、確か休暇が与えられていた。であれば、部屋にいる筈だ。きちんと三階まで送ってくれたエレベーターから降りれば、まさか会うと思っていなかったらしい部下に頭を下げられる。楽にするように手で軽く合図して、目的の部屋へと足を進めた。

 扉の前に立って、ノックを三つ。

 はい、と気怠げな声が聞こえて、ガチャリと扉が開いた先。蒼の瞳が一度見開かれてから、嫌そうに歪んだ。

「元気そうで何よりだ」

「何しに来たんだ、アンタ」

「部下に泣きつかれて、お前の様子を見に」

 泣きつかれて、は大袈裟だが、困らせていたのは間違いない。眉を思い切り中央に寄せたレオを余所に、開いている扉に手を掛けて大きく開く。そんなことをされると思っていなかったのか、いとも簡単に大きく開かれた扉。体を滑り込ませて中に入り込んだノクスの背中に、おい! と怒りを孕んだ声が飛んでくる。当然無視だ。

「案外きれいに暮らしてるんだな」

「入っていいなんて一言もいってないぞ」

「見られて困るようなものでも置いてあるのか?」

「そっ、そんなものあるわけ無いだろ!」

「じゃあ問題ない」

 問題ないわけ無いだろっ、とまだ吠えているレオをそのままにワンルームの部屋を見回す。ベッドの隣の壁に大きなシミがある。これがガランが言っていた水漏れだろう。よくよく見れば、ベッドの上にも天井から染み出したらしい雫が垂れている。

 首だけで振り返って、目を三角にしているレオに声をかけた。

「昨日はベッドで寝なかったのか?」

「あ? アンタに関係ないだろ」

「あるさ。睡眠不足はいいシゴトの敵だ」

「…………、ソファで寝た」

 ぶすりと口先を尖らせたレオは、そう言って諦めたようにソファに座り込んだ。

 はあ、と吐かれた溜め息は、言葉よりも雄弁に鬱陶しいと言っていた。そんな態度を取られてたところで、ノクスの心を折ることは一切ない。最初に会ったときから随分と嫌われていると知っているから、今更その母数が大きくなったところで何の問題もないのだ。他の面々はきっと出鼻を挫かれて、それなりのダメージを負っていると思うが。

「此処が改修工事に取り掛かることは?」

「アンタの部下から聞いた」

「それじゃあ話が早いな」

 体の向きを壁からレオへ変える。怪訝そうな顔をしているレオに、少しの笑みを口元に置いたままノクスは言い放つ。

「改修工事が終わるまで、お前の家は僕の所になる」

「……、はぁ!?」

 理解に数秒かかったのか、少しの沈黙の後素っ頓狂な声を上げながらレオが立ち上がった。予想以上の反応だな、と思いつつも、口に出すことはしない。

「根無し草になったお前に、野垂れ死にされたら目覚めが悪い」

「だからってなんでアンタのところなんだよ!」

「不満か?」

「不満に決まってるだろ!」

「なんでだ?」

「アンタ、馬鹿なのか? 誰が好き好んでギャングの頭目の家に上がり込みたいって思うんだよ」

「沢山いるよ。僕の首を狙ってるやつとかな」

「……聞いた俺が馬鹿だったよ」

 顔を手で覆って大きな溜め息を吐いているレオに、思わず口元が緩む。

 多分だが、やはり直感通り彼はシロだ。これが演技だったら街を出て俳優になった方が良い、と思う程にレオには殺意がない。敵意は人並みにあるからこそ、問題がないと思っている。敵意もなく殺意もないのなら、流石のノクスでも警戒はする。自分が引き取るなんて言いもしないだろう。否、もしかしたら彼自身を囮にする可能性もあるが、そうするのなら誰かしら部下を近くに置く。

「自業自得だよ」

 そんな本心は口から出すことなく、言ってやる。ギロリと睨まれても全く怖くない。

「どういう意味だ」

「お前がウチの誰とも仲良くしないから、僕がお前を引き取ることになったんだ」

 心当たりがありすぎるのだろう、バツの悪い顔をしたレオから大きな舌打ちが聞こえる。

 これを期に少しは会話をするようになるだろうか、と思うが人の性格は一朝一夕で変わるものでもない。レオにも何かしらの目的があって、利害が一致しているから此処に居座っているのだ。好んで仲良くすることはないだろう。しかし、目的が遂げられる前に少しでも馴染んでいればいいと思う。

 仲間だけが自分の道を照らすわけではない。しかし、仲間がいて悪いことはない。人脈が己の身を助けてくれることもある。頼る気があるかは別だが、いざという時に自分以外の誰かがいるというのは、存外、利が多いものだ。

「アイツは許したのか?」

 不意にそんな声を投げかけられて、適当に部屋の中に投げていた視線をレオへと向ける。アイツ、というのが誰を指すのか分からなくて首を少し傾けた。

「アイツ?」

「アンタの番犬みたいなヤツのことだよ」

「番犬と言われても心当たりがないが」

「……ピアスがジャラジャラついたチャラいヤツ、いただろ」

「嗚呼、ライエルのことか?」

 こくりと頷かれて、なるほど、と声が出た。

 ノクスにとって、ライエルは番犬という枠には全く当てハマらないのだが、外からはそう見えるものなのか、と妙に感心してしまったのである。

「彼は僕から見たら鷹の方がしっくりくるけど、レオにはそう見えるのか」

「鷹? どう見ても番犬だろ。アンタのことになると目の色を変えるのに、違うのか?」

「普段はそうでもない。相手への敵意よりも、僕に対しての小言が多いからな。なるほど、番犬。言い得て妙だな」

 そんな見方をしたことがなかったが、レオが言うことにも一理ある。

 徹底抗戦の時は、必ずと言っていいほど、常にライエルがノクスの近くにいながら敵を屠る。そういう姿は確かに、番犬と言っても良いだろう。普段は飄々としているのに、逆鱗に触れた途端別人のようになるライエルを、ノクスは知っている。その鬼神の如き働きを大いに評価しているが、その矛先が向けられた相手は堪ったものではないのかもしれない。

「それでお前は、ライエルの雷が落ちるのが怖いのか」

「別に怖いわけじゃないっ」

 少しだけムキになっているところを見れば、その答えは知れる。怖いという言葉には当てはまらないのかもしれないが、出来る限り避けたい厄介ごとであることは確かなのだろう。元々ライエルは、根に持つタイプではない。だが如何せん、記憶力が良いために後から掘り返されることもある。それを考えれば、避けたいのも頷ける。

「心配しなくても、お前が思ってるような雷は落ちない」

「だからっ! 別に怖いわけじゃない!」

「分かってるさ。でもなるべく避けたいんだろう?」

 言葉に詰まったレオに、喉で笑った。

 図星らしい。案外わかりやすくて可愛いところもある。相変わらず態度は、全くと言って良いほどかわいくないけれど。

「それなら、僕の提案に乗るのが一番良いと思うが」

 不服です、というのが全面に出た顔だが、不平不満や反論は飛んでこない。それはイエスか、と問えば、ああ、と渋々同意が返ってくる。本当に雷を落とされたくないらしい。子どもっぽい一面が見られて、何だか微笑ましかった。

「交渉成立だな?」

 右手を差し出せば、少しの間の後、躊躇いがちに手を握られた。

 不本意を表すように未だに渋面は直っていない。しかしこうせざるを得ない理由には、察しが付く。追われている理由が何かは知らないが、追われている時には似た系統の組織に潜り込むのが一番良い。

 木を隠すのなら森の中。

 ギャングに追われているのなら、ギャングの中へ。ただし、隠れ蓑にするギャングはきちんと選ぶ必要があるのだけれど。そこら辺の勘の良さと悪運は持ち合わせているからこそ、ノクスに拾われることになったのかもしれない。

「この建物の向かいにあるカフェで待ってるから、最低限の荷物をまとめて来てくれ」

 踵を返して部屋を出ようとした時だった。

 なあ、と声を掛けられて首だけで振り返る。視線を床に泳がせていたレオの顔がゆっくりと上がって、小さく何かが呟かれた。

「? なんて言った?」

「……、なんでもない」

「そうか。あ、言い忘れてたが、ちゃんと帽子を被ってこい」

 なんでもないことはないだろうが、言いたくないのならわざわざ聞く必要も無い。そう自己完結したノクスはそれだけ言い残して、今度こそ部屋を後にした。



  ***

 


 陽の下を歩きながら、前を歩く男の背中を目深に被ったキャップ帽の下から見る。

 皺一つ無いスーツは、ブランドを殆ど知らないレオでも一発で高価だと分かる生地の良いモノだ。

 一体それを買う金はどこから出ているのか。

 考えたところで、やはりこの土地に住む人々から巻き上げたモノに違いない、という結論に辿り着く。

 この街は、水面下で抗争が繰り広げられている。

 近年は一強の組織が悪政を敷いていて、ギャングとそうでない者との生活格差は著しい。街の人から搾取した金でギャング達は豪遊し、更に金を巻き上げる。一強の組織が牛耳る前なら逃げることも出来たが、それも今では難しい。他の街に逃げたところで、その手の人間が追いかけてくる。

 弱者達は何処へも逃げ場がないのだ。そんな一角を担っている男の保護下にある自分が許せない。

 どうしてお前達ギャングは、こうも人を不幸にするのか。

 そう問い質したら、目の前のノクスは一体何と答えるだろうか。戯れ言だ、と笑うだろうか。それともまた、他人がどう生きるかは僕には関係ないことだ、と無責任な事を言うだろうか。

「アンタは、」

 何となく名前を呼ぶのは嫌で、そう呼びかける。

 僅かに首だけで振り返ったノクスは、なんだ、と言った。

「今着てるスーツを街の人間から巻き上げたカネで買ったのか?」

 その問いを、別の男にも投げかけたことがある。

 両手指に嵌まりきらないほどの大きな宝石がついた指輪をクローゼットに持ちながら、毎日あれこれと変えた上に金銀のアクセサリーを着けて葉巻を吸っていた男が、脳裏に浮かぶ。

 その男は笑いながら言った。

 だったら何だ、と。そんな些細なことを聞いてどうする、とも言った。

 あの時拳銃を持っていたなら、きっとあの男の頭を打ち抜いていた。

 目の前の男は一体、どう答えるのか、興味があった。

「自分で稼いだ金で買ったよ」

「ハッ、自分で稼いだ? つまり街の人から巻き上げたってことだろ」

「……嗚呼、お前は確かに僕たちの組織がどうやって成り立っているのか、知らなかったな」

 怒りが声に滲んだレオに構うことなく、ノクスは一人納得したように頷いた。足の速度を緩めることもなく、彼は滑らかに口を動かしていく。

「僕たちはそもそも、街の人から必要以上に金を巻き上げない。当然土地を貸せば多少の利益と金は取る。でも此処以外の街と殆ど変わらない値段だ。他の組織は違うだろうが、僕たちはそんなことをしなくても自分たちの副業で生活できる」

「……は?」

 彼の言葉が信じられなかった。

 レオの知るギャングは、これでもかというほど街の人々から金を吸い上げている。街の人々をボロ雑巾のように使い、自分たちだけは甘い汁を啜っている。そういう人間達だ。

 だと言うのに、彼は何と言った?

 街の人から必要以上に金を巻き上げない?

「信じられるか」

 噛み付くように言っても、ノクスは平然としていて淡々と言葉が返ってくる。

「信じるも信じないも、そういう組織だ。街の人々を搾取することは街の衰退に繋がる、と僕たちは考えてる。だから、価値に見合わない値段は付けないし、押し売りもしない。土地にプラスして提供して欲しいものがあると言われれば、その提案はするし値段交渉もするけど」

 そんなこと聞いたことがなかった。そもそもそんな考えの人間がいることが信じられない。

 やはりコイツは俺を油断させようとしているんじゃないのか。

 疑念が頭の中でぐるぐると回る。そんなレオを知ってか知らずか、ノクスは思い出したように小さく笑った。

「その所為か、別組織から喧嘩を売られることも多いな。まあ勿論返り討ちにするが」

「……じゃあアンタは何で稼いでるんだよ」

「簡単に言えば投資だ。他にも、不動産をやってる奴もいれば、情報屋、プログラマー、ハッカー、バイヤーなんかもいる。その証拠と言っては何だけど、お前に回ってくるシゴトも予想したようなものではなかっただろう?」

 言われて見れば確かに、と数日で回ってきたシゴトを思い出す。

 建物の窓の清掃やら、荷物の運搬の手伝いやら、廃棄区画の清掃やらで、想像していたような汚いシゴトはなかった。誰かを殺せとも言われていないし、日当もきちんと手渡される。金額が少なかったことは一度も無い。不当だと思う事もなかったように思う。

「部下からも必要以上の金は巻き上げない。忠誠心を見せろ、と金を巻き上げる奴も勿論いるだろうな。だがそういう構図が街の人々を搾取することになる。だから僕自身は、金よりも街へ還元されたものを見る。と言っても、組織の維持のために必要経費として集金することはある。だとしてもそれも、目が飛び出るほどの金額じゃない」

「何処かの組織を潰して得た利益は?」

「貢献度によって部下達に配るさ」

「アンタの分を差し引いた分を、だろ?」

「話を聞いていたか? さっきも言ったが、僕にとって金はさほど重要じゃない。受け取ったとしても、インフラの整備に使う」

 食い下がって横から顔を覗き込めば、呆れた顔を隠さないままノクスはそう言った。

 嘘を言っているようには見えないし、騙してやろうという空気もない。ただただ呆れた顔が目線の先にある。少しだけ喧しいと言いたげなのに、きちんと説明してくれるノクスがますます分からない。

「じゃあアンタは何のために、ボスになったんだ」

 だったら、何のためにこの組織のボスとして立っているのだろう。

 組織の頭目として立てば、諍いの矢面に立つ上に命を狙われる可能性だってある。そんな危険を冒すからこそ、ボスと呼ばれる者達は莫大な金を欲しがり、欲に溺れる。そういうものだと思ってきたのに、何故。

 小さく笑った声が聞こえて、レンガ畳を見つめていた視線を上げる。

 ノクスは口元に柔らかな笑みを浮かべていた。

「ボスになるつもりはこれっぽっちもなかったよ」

 レオとは違い、彼の深い緑の瞳は下がることなく真っ直ぐに、目の前よりももっと遠い所を見ているようだった。

「僕はただ、この街がどんどんと腐っていくのを見ているだけなのが嫌だった。否、見過ごせなかったっていう方が正しいな。完全に腐らせないために藻掻いていたらいつの間にか、みんなが集まってくれた、それだけの組織だ」

「……そんなの、綺麗事だろ」

 腐りきってしまった街は、不可逆だ。

 これ以上悪くなっても、良くはならない。街に蔓延る悪人共を一掃したらどうか分からないが、そんな無謀な事をする人間はいない。誰もが今ある富に執着する限り、その連鎖は途切れない。

 そう思うのに。

「そうかな。やってみなければ分からないだろ。誰もやったことがないんだから」

 どうしてこの男は、こうも簡単に言ってしまうのだろう。どうしてこうも簡単に実行してしまうのだろう。夢半ばで死ぬかも知れない危険な場所にいながら、どうしてこんなに潔い顔をしていられるのだろう。

 過去に囚われたままの自分と、どうしてこんなに違うのだろう。

 嗚呼でも、とノクスが不意に足を止めた。

 反射的にレオの足も止まる。

「確かに、今のままではレオの言う通り、綺麗事だな」

 そう言ってこちらを向いた彼は、清々しいほどの青を背に微笑んでいた。

 この街の憂鬱も闇も遠ざけるような、美しい笑みだった。


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