第3話

<”He who moves not forward, goes backward.”>



「やっぱり入れちゃったんですね」

 背中に掛けられた声に、視線を向ける。

 廊下の壁に寄りかかって居たのは、直属の部下であるライエルだ。彼が山ほど耳に付けているピアスが照明を反射している。当の本人は、今にも溜息を吐きそうな顔をしていた。彼が言わんとしているのは、レオのことだろうというのはすぐに知れて、まあな、と返しておく。

「アイツの素性を解らないまま入れるなんて、どうかしてますよ」

「口うるさい仔犬なだけで、害があるようには見えなかったんだよ」

「貴方本当にこの世界には勿体ないくらい人が良すぎるから、心配してるんです」

 視線を前に戻した先の分厚い防弾ガラスの向こう側で、今話題に出ている人物が拳銃の扱いを部下の一人に教えてもらっている。その横顔は今まで見てきた誰よりも熱心に見える。拳銃の扱いもままならない青年が、何処かのスパイとは考えにくい。自慢ではないが、直感は鋭い方だ。まあ本当に命を狙われようものなら、返り討ちにしてやるつもりではあるけれど。

 大きな溜息が後ろの方で聞こえて、ライエルがノクスの隣に並んだ。

「まだアイツの素性は解ってません。それでも此処に置くんですか?」

「帰る家がないといわれたら、放り出すわけにも行かないだろう」

「本当に貴方は甘いですね」

「否定はしないけどな。でも僕の甘さ故にお前も此処に居る。そうだろう?」

「そうだからこそ、追っ払えって言えないんですよねぇ」

 はぁ困ったな、とさして困ったように見えない口調でライエルは笑った。

 一度こうだと決めたら余程の事が無い限り態度を覆さない。そんな性格であるノクスの下に長年居るからこそ、言っても無駄だと知っているのだろう。まあいいや、とライエルは肩を竦めた。

「貴方が決めた事なので、元から反対するつもりはないんです」

「文句は死ぬほど垂れてるが?」

「文句くらい言わせて下さいよ。心配してるってさっきも言ったでしょ?」

「そんなに心配か」

「あのねえ、笑い事じゃないですよ」

 くつくつと喉で笑ったら、心底呆れたような声が横から飛んでくる。悪かった、と口先だけで謝って視線をライエルへと向ける。不満げな顔だ。昔はもっと薄っぺらい笑みしか浮かべなかったのに、彼も随分と表情が豊かになった。一番古い仲間と言っても過言ではないくらいに長い付き合いで、ライエルの助言がどれほど的確かもよく解っているつもりだ。何の根拠もなく、新入りを追い出したいだけの忠告でないこともよく知っている。

「解ってるさ。万が一脅かす奴だと解ったらきちんと元の場所に返してくるよ」

「…………多分貴方はしないと思いますけどね」

 安心させるように肩を叩いたノクスに、少しの沈黙を使ったライエルは乱暴に後頭部を掻きながらそっぽを向いて何かをぼやいた。しかし、ノクスの耳には届かない。

「悪い、聞こえなかった。何て言った?」

「いいえ何も。とにかく素性が解るまでは、注意して下さい。貴方は貴方が思っているよりも、いろんな人間に目を付けられてるんですから」

「情報通のお前が言うんだからそうだろうな」

「……本当に解ってるんですかねぇ」

 呑気な声が不満なのか、溜息交じりにライエルは肩を下げた。

「心配ならお前がレオの世話をしてくれたらいい」

「ええ? また俺の仕事増やすんですか?」

「お前は仕事が出来るし腕が立つからな」

「……珍しい、ノクスさんが俺の事褒め殺しするなんて」

「僕は事実しか言わない」

「だからこそ珍しいってことですよ」

 照れるじゃないですか~、と肩をつつかれる。その指先をぱっぱと払ってやれば、仕方ないと言わんばかりに、ライエルは肩を竦めながら射撃専用の防音室へと入っていく。

 今まで居た部下と何か言葉を交わすと、少し困惑したままの部下がこちらへと戻ってくる。突然役割を交代されたらそんな顔もしたくなるよな、なんて心の中で笑っていたノクスに、防音室から出てきた部下は不安げに言った。

「ボス、ライエルさんで大丈夫なんですか?」

「ふっ、その大丈夫はライエルに教えられるのかっていう意味か?」

「ええっと、はい。ライエルさんはあの、あまり教えるのは得意な方ではないから」

「そうだろうな。ライエルは天才型だから、擬音が兎に角多くて、同じ感覚じゃないとついて行けない」

「だから、俺に任せたのかと思っていたのですが」

 残念だと言わんばかりに肩を落とした部下の背を撫でる。

「今までのアイツを見ていて、ライエルと同じタイプじゃないかと思ったんだ」

「レオがですか?」

 ああ、と頷いて、二人に視線を戻す。

 ライエルは言葉少なに、その組織の中でもピカイチの腕前を見せている。それを見つめるレオの様子を見るに、ライエルと同じく読み込みの早いタイプで、尚且つ感覚型だろう。理論や原理も勿論大事だが、まずは慣れてもらうところから始めた方が良い。そして、習うときは同じタイプの人間から教わる方が、覚えが早い。

「お前が教えている話も勿論聞いていたが、手元をジッと見つめてる事が多かったから。丁度ライエルが居たから、ちょっとお試しみたいなものだよ」

 あんまり気を落とさなくて良い、と言ってやれば、ホッとしたように部下は二人の様子を見守ることにしたらしかった。ライエルが数発撃っているのを見てから、ノクスは部下の横を抜けて出口へと向かう。

「ボス、見て行かれないのですか?」

「ああ。でも、三〇分くらいしたら戻ってくる」

「わかりました。二人に伝えておきます」

 特に伝える必要はない、とは思うもののわざわざ否定する必要も無い。ひらりと手を振ってその場から離れた。



 ***



 銃弾が的を抉っていく。急所と呼ばれる場所にほぼ外すことなく撃ち込んだ。

 イヤーマフを外すと、ヒュウ、と口笛が投げかけられて振り返る。ライエルがニヒルな笑みでレオを見ていた。ちりちりと彼が着けているピアスが揺れて、蛍光灯を反射した光が目を刺してくる。それをジッと見返してから、元の場所にイヤーマフを置いて、持っていた拳銃を渡した。

「なかなか良い腕してんだな」

「どうも」

「誰かに習ったのか?」

「いや。今日初めて触った」

 今までは人を殺すための道具を持たされたことはなかった。いつ命を狙われても可笑しくない環境にいたのに一度も、だ。それがあの傷を負ったことにも関係しているが、別段目の前の男に言う必要性は感じない。そもそもこの男の軽薄さを、レオは警戒している。

 へらへらと媚びへつらう人間は、すぐに手の平を返す。まるで御伽噺に出てくるコウモリのように。

「初めてでこの腕か。すごいな」

 伸びてきた手が肩に掛かる寸前で、サッと躱した。じっとこちらを見つめてくる瞳を見つめ返す。相変わらずの薄い笑みだ。

「何で避けるんだよ。親睦を深めようと思ったのに」

「俺に"さっさと失せろ"と言ったアンタが?」

「だって、ノクスさんがお前に"此処にいて良い"って言ったんだろ? じゃあ仲良くしないと」

 ハッと鼻で笑ってやる。

「アンタ、記憶力悪いのか?」

「いいや? 組織の中でもダントツ良い方だけど?」

「じゃあアンタが俺を殺そうとしたことも勿論覚えてるんだよな?」



 レオの脳裏に浮かぶのは、ノクスの代わりにライエルが様子を見に来た時の事だ。

「ノクスさんが来られないから、今日は俺が様子見に来たぞ」

 目を覚ました時、そう投げかけられた。レオにとっては誰が来たとしてもどうでも良いことで、その時もただジッと相手を見つめただけだった。言葉を返すことなく男を見ていれば、ライエルだ、と名乗った。

「随分気難しいのを拾ってきたんだなぁ、あの人」

 後頭部を掻いたライエルがベッドの脇に来ても、レオは一言も話さないままスッと視線を逸らすだけに留まった。

「お前、ノクスさんに対してもその態度か?」

「……だったらどうした」

「……へえ、」

 そんな声が聞こえた刹那。

 ベッドが嫌な音を立てた途端、鋭利な刃が喉元にあった。冷ややかな、しかし奥に怒りが浮かぶ瞳が見下ろしていた。

「その傷治してさっさと失せろ。此処はお前のような奴がいる場所じゃない」

 抵抗なんて与える隙も無いまま、彼はそう言い放ったのだ。



 あの時のライエルは間違いなく、自分を殺す気だった。

 未だに、喉に突きつけられたナイフの切っ先の冷たさを覚えている。

 まだ傷が完治していなかったせいで、反応が遅れた。否、もしかしたら全快の状態でも彼の動きには追いつけなかったかも知れない。会話の途中でいきなりナイフを突きつけてきた人間に、仲良くしよう、なんて言われて、はいそうですか、なんて言える人間がいたら教えて欲しい。

 それを忘れたのかと睨んでも、ライエルはどこ吹く風だ。

「理由もなく殺しなんてしないさ。俺は殺しに快楽を覚える質じゃないし」

「じゃあ理由があるってことか? 俺はアンタになんかしたか? ただ傷を負って寝てただけだろ」

 小さく笑ったライエルが、ぐっと顔を寄せてきた。

「ただ傷を負って寝てた? 冗談止めろよ。お前こそ忘れてないよな? お前があの人にとった態度」

 顔を覗き込んでくる、冷ややかな黄色を帯びた茶の瞳。その奥に見えたのは明らかな敵意だった。ナイフが手元に在るわけでも無いのに、確実に命の綱に刃を押し当てられている心持ちにさせた。

「ああ確かにお前は寝てたな。腹の傷を癒やすために、あの人が運んでくれたお陰で。なのに、お前は恩を仇で返した」

「それはアイツが感謝する必要も良いって言ったからだ。アンタにとやかく言われる筋合いは、ッ!」

 言い終わるか否か、胸ぐらを掴まれて柱に叩き付けられる。

 腕を使って鎖骨と肩を封じられているせいで、抜け出そうと藻掻いても無駄だった。息苦しいのが腹立たしくて睨み付けても、その腕の力が緩むことはない。細腕に見えてそうではないライエルの腕の力が、十分な酸素すら与えないと強まった。

「だとしても、だ。その選択をしたのはお前だ。人の所為にするな」

 意味が分からなかった。

 そうする必要が無いと言ったのはあの、ノクスという男だ。なんならあの場で死んだって構いやしなかった。だというのに何故こんなことをされなければならないのか。

 憎くて仕方の無いギャングなんかに。

「何でアンタにそんなこと言われなきゃならない? 俺の事を何も知らないくせにッ」

「知らないに決まってるだろ。語ろうともしない、警戒心だけ人の百倍もあるようなお前のことなんて」

 馬鹿にしたような笑みが、ライエルの口元に浮かぶ。

 奥歯を噛み締めたところで彼の力に勝てるわけもない。本調子であったとしても、きっと勝てないだろう。経験値も場数も知識も比べものにならないと、直感で分かるほどに力の差は歴然だった。

「言葉にしなくても心を察してくれ、なんて傲慢にも程がある。理解して欲しいなら、理解して貰える努力をお前がすれば良い。違うか?」

「笑わせるな。言った所でアンタは俺の言う事を信用するのか?」

「さあ? お前次第だな」

「だろうな。だったら、言ったところで変わらない」

 本心を言ってどうにか出来るのなら、今こんな状況になっていない。

 嫌いなギャングの根城にいるなんて、最悪な状況になってないはずだ。あんな最悪な出来事も起こらずに済んだはずだ。

 睨み付けてそう言ってやれば、ライエルは息だけで笑って、瞳に滲ませていた険を引っ込めた。哀れとも言いたげな瞳が、レオを見ていた。

「呆れた奴だな。お前はただ人の所為にして、その場で足踏みしてるだけだ。進めないことを他人の所為にして、自分の意思が通らなければ駄々をこねて、自分で動こうともしない。此処に来て、お前が一つでも自分で提示して決めた事があるか? 此処に留まることも、あの人が提案してくれたんだろ?」

 何も言い返せなかった。確かに、ライエルの言う通りだからだ。

 命を助けられたのも、此処で治療を受けたのも、此処に留まることを決めたのも、全てノクスの提案だった。その間、自分は何一つとしてやっていない。行動をしようともしていない。出されたモノから選んだだけだ。

「分かってないようだから教えてやるよ」

 ゆっくりと腕を外された。一気に肺に入ってきた大量の空気に、座り込んで咳き込む。

「言い訳したってどうにもならないし、待ってたって何も起きない」

 耳の奥をざらりと撫でられるようなその言葉に、レオの顔は更に歪んだ。そんなこちらの気も知らず、ライエルは踵を返す。

「あの人が良いと言うまでお前を追い出すつもりはないが、生き残りたいんだったら、それを胸に刻んでおけよ。言い訳を吼えたところで、この世界ではただの負け犬だ」

 大きな音を立てて扉が閉まっても、ずっと睨み付けた。背中を睨み付けたって彼に見えやしないのに、レオはその背中が見えなくなるまで睨んでいた。この眼光が槍になってアイツの背中をさせれば良いのに、なんて思う程に、ずっと。

 姿が見えなくなった頃、思い切り拳を柱に叩き付ける。

 何も知らないくせに。そう言おうとして、止めた。

 ライエルの言葉全てを己の行動が肯定してしまうような気がしたから。

「クソッ!」

 頭を思い切り掻き毟ってもう一度柱を殴る。湧き上がった怒りをどうすることも出来ない。

 説教なんて出来る立場じゃないだろ、と言ってやりたかった。ギャングなんかが、俺の生き方に文句を付けるのか。よほど汚いことをしているだろうに。どうこう言われる筋合いなんて、これっぽっちも無い。

 そう思うのに、どうして何も反論出来なかった。

 あの男が口達者だったからか。

 それとも、図星だったからか。

 分からない。分かりたくもない。ギャングの言う事なんて、全部デタラメのはずなのに。

「随分荒れてるな」

 どれだけそうしていたか、扉の開いた音と共に聞こえた声に顔を上げる。

 少し離れた場所に、ノクスが立っていた。相変わらず、何を考えているのか分からない微かな笑みを口元に乗せている。

 レオはこの男があまり得意ではなかった。

 他の奴であれば、レオの事をどう思っているのか、態度や表情で分かる。しかし、このノクスという男だけは、全くもって腹の底が見えない。それが”あの男”を脳裏に呼び起こして、とても気分が悪いのだ。

「安心しろ」

 一体何を安心しろというのか。腹の底が読めない男を目の前にして、安心しろなんてどだい無理な話だ。その言葉を使われて安心できた試しなんて一度も無い。不幸ばかりを連れてくる"安心"という言葉が、大嫌いだ。

 ジッと見遣ったレオを気にすることもなく、彼は続けた。

「ライエルに口で勝てる奴は、この組織にいない」

「…………、は?」

 予想外の言葉に、ぽかんと口が開いた。そんな反応が彼にとっても予想外だったのか、首を僅かに傾げられる。

「ライエルに何か言われて憤ってたんじゃないのか?」

 間違ってはない。間違ってはないが、今此処でそれを言うか? もっと他に何かあるだろ。

 そう思うのに、言葉は全く出てこないままノクスを見つめてしまった。

 気遣うようなマヌケな言葉を投げかけて油断を誘う魂胆だろうか。否、でもそんな様子は全く見えない。魂胆があるのなら、何かしら嫌な感じがする筈だ。今までならそうだった。レオは直感というモノがズバ抜けていて、そのお陰で何度も命を繋ぎ止めてきた。だと言うのに、ノクスにはその直感が無反応だった。

 初めからずっとそうだ。命からがら逃げ果せたあの日も、ノクスを前にして意識を落としてしまった。

「? 違うのか?」

「いや、違わないけど」

 肯定すれば、そうだろう、とノクスは頷いた。

「口で相手を負かすのがライエルの趣味みたいなものさ。気にするな。根は悪い奴じゃないし、頭も切れる。この町での生き延び方も一番よく知ってる。存分に教えを乞うと良い」

 一体この男は何なのだろう。

 何度不遜な態度をとろうとも、ノクスの態度は変わらない。今だって床に座り込んでいる自分に、手を差し出してくれる。気遣うような言葉を投げてくるばかりで、ライエルのように敵意を露わにしてくることもない。

 一体、何なんだ。”あの男”と同じなんじゃないのか。組織の上に立って、ただあぐらをかいているだけの奴じゃないのか。

 レオには分からなかった。

「レオ、どうした」

「……いや、なんでもない」

 ゆっくりと立ち上がる。真正面から見たノクスは、真っ直ぐにこちらを見つめていた。

 見下すような視線でも哀れむような視線でもなく、ただ真っ直ぐに深い緑がこちらを見つめていた。

「なんだ、僕の顔に何かついてるか?」

 この人は違うかも知れない、なんて甘い幻想を抱くほどもう子どもではない。でも、少しだけ様子を見ても良いのかも知れない。彼が言ったようにするのは癪だけれど、全てを否定する必要は無いのかも知れない。

「何も。アンタは本当に変な人だって思っただけだ」

「……なんだそれは。悪口か?」

 やれやれと顔を歪めてから踵を返したノエルを、追いかけて足を動かす。

 まだ彼の事を信用したわけじゃない。しかし、前に進まなければ活路は開かれない。

 此処でじっと生きていくしかない。

 自分の目的を果たす、その日まで。



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