チケットは要らない

 高校生の頃、劇団に所属しているという友人に誘われて、小さな劇場の舞台演劇を見に行った。「嗚呼、友よ! ボクが主役の劇、是非君に観て欲しいんだ!」友人は演技だか本音だかわからないほど大袈裟に語った。「もちろんチケットは要らないよ」そう言って、俺がイエスとかノーとか言う前にチケットとパンフレットを渡す。あまりの強引さにぼけっとしていたら、突き返す暇もなく当日になってしまった。


 パンフレットの地図に従って劇場に向かうと、これまた小さくて怪しいビルだった。人通りの少ない路地に立つビルは暗い雰囲気で窓も少なく、もしかしたらヤクザの事務所でも入ってるんじゃないかと怖くなる。不安を抱えながらも薄暗い廊下を渡り二階へ上ると、扉の前に受付、その傍には自分の持っているパンフレットと同じものが貼ってあった。ここでようやくちゃんと劇場へ着けたことを確認して安心できた。

 受付を済ませて中に入ると、人、人、人。そこまで広くない空間にぎっしりと詰め込まれたパイプ椅子。それでも座れているのは一部で、後ろの方は椅子もないから立ち見だった。狭い室内で身を寄せて、舞台の上にみんなで注目する。演劇というから想像していたのは映画館だったが実際は違った。これはライブハウスに喩えた方が近いだろう。やがてすべての照明が落とされてゆっくりと幕が開ける。観客たちはまるで訓練してきたみたいにすっと静かになった。

 このときの劇ではっきり印象に残ったシーンがある。それは劇中最大の見せ場の殺陣たてのシーンだった。友人の演じる主人公が、それとはっきりわかる悪趣味なメイクをした敵役と戦うのだ。スポットライトに照らされた二人が眩しくて、剣が風を切る音が耳朶に響く。後ろの方で観劇していた俺が舞台上の空気を肌で感じられたのは小さな劇場ならではだろう。

 やがて舞台の幕が閉じる。しかし感動に浸っている暇など無かった。客席の皆が立ち上がって拍手喝采。演者たちもこちらへ降りてきてファンと直接交流する。それは舞台を客席に移して行う、観客さえも巻き込んだもう一つのフィナーレだった。俺は友人に駆け寄って、いの一番で握手を求めた。


 大人になって久しぶりにこの時の友人と会った。「久しぶりの主役さ! もちろん来てくれるよね?」そう言っていつかのようにパンフレットとチケットを渡そうとするが、俺はパンフレットだけを受け取った。「チケットは要らない」そう言うと友人に悲しそうな顔をされる。相変わらずオーバーリアクションな奴だ。このまま黙っとくのも面白いが、舞台当日に俺を見て驚いてミスでもされたら困る。「チケットはもう予約してるんだ」実は俺、お前が思っているよりも舞台が好きなんだよ。

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