外伝:僕らのリスタート(佐野先生目線)
――やっばいことになってないかなあ。
僕は数学準備室でタバコをスパスパやりながら、必死で不安を紛らわせていた。今日一日で一体何箱吸うんだろう。そのたびに一番大きい硬貨が羽根を生やして飛んでいくっていうのに、本当にどうにも止まらない。
駐車場で彼女が出勤してきたのに出くわした途端、僕の両腕がぶわっと粟立った。
「東さん、その恰好!?」
「おはようございます。これ、佐野さんの真似です」
東さんはニコリともせず答えた。ぎちぎちのお団子ヘアはいつものこととして、ハリウッドのアクション女優のような強いメイク、襟を強調した硬そうなブラウス、かっちり感の強いパンツスーツ。もう全身から戦うオーラが立ち昇ってる。
「僕、こんなんだったんすか」
正直近づきたくない。こんな人間を演じていた僕を、黒歴史として葬り去りたい。
「私、今日は決戦の日だと決めました。敵はもう渡辺双葉だけじゃありません、生徒全員です」
「いや、生徒は敵じゃなくて」
「それくらいの意気込みでなくては、生徒の掌握なんてできないでしょ」
東さんは大きなバッグを広げ、そこから銀色に光る指示棒を取り出した。ボールペンサイズから1メートルくらいに伸縮する、ポインターにするアレだ。
「佐野さんの使う木の棒は無骨なので、女の私はこれで戦いますね」
やっと笑った東さんだが、その笑い方は正直怖かった。まるで鬼が牙を見せつけるようで、今日と言う日に込めた狂気のほどを感じさせた。
今までの僕なら、きっと彼女にエールを送っただろう。
だけど僕はもうやめたんだ。力に頼る教育を。いや、教育の面をした恐怖政治を。
「東さん。僕はもう、木の棒は使いません。だから東さんもやめましょう」
「は?何を言ってるんですか、あれは佐野さんのシンボルじゃないですか。――そういえばスーツは?メガネはどうしたんです?」
「だからやめたんですってば。あんなもので武装したって、手負いの人間には意味がないんです。生徒が暴れるのには理由があるんですよ」
「理由って、それはその子の問題でしょう?」
東さんは鼻で笑い、僕を哀れむように眺めた。
「生徒が30人もいるのに、問題児1人にいちいち時間を割けと?ていうか、効率重視の佐野さんらしくないですよ?生徒に反撃でもされて、びびっちゃいました?」
びびっているのはあなたでしょう、とは言えなかった。
そんなことは一目瞭然なのだ、強張った顔に巻き気味の口調、肩にかけたバッグを握りしめる手。何もかもが怖いと叫んでいる。
「今日はね、手始めに持ち物検査をする予定ですの。ビシビシ厳しく指導して、生徒に私の怖さを完全に植え付けます」
「いやだから、それはやめましょうって。考えて下さい、このやり方を教えてくれた『師匠』だって、結局は教師を辞める羽目になったんですよ」
「佐野さん」
東さんは、すうっと表情を険しくした。
「あの人は、私だけの『教師のやり方』を教えてくれた恩師です。あなたが、いえ誰が何を言おうとも、教師の力が生徒を導くのだと私が証明します!」
東さんは、ふいっと顔を背けて職員室へと去ってしまった。僕は何も伝わらないもどかしさにいらついたが、それ以上説得することは叶わなかった。登校当番として、校門に立たなくてはならなかったからだ。
そして。登校日の行事が行われるこの時間、僕はここでタバコに逃げているのである。
このタバコだって、最初は怖い教師を演じるための小道具だったのに。もう完全にニコチン依存症じゃないか。道具に呑まれるとかバカか。
「大丈夫だ、うん。渡辺、かわいくなってたし」
前に見た、狂犬のような彼女とは別人だった。自然な表情で笑い、僕に驚き、持ち物検査に慌てていた。かわいらしいほど表情が豊かになったってことは、心に余裕が生まれた証拠だろう。
一体、この夏休み中に何があったんだろう。大矢さんはどこまで関わっているんだろう。
「僕もお友達になりたいな、と」
僕と同じ匂いがするんだよな、あの子。奥底に暗いものを持っているというか、真っ直ぐな道を歩んできていないというか。
その時遠くから救急車の音が聞こえ、こちらに近づいてきた。
――なんだろ。
タバコを灰皿で揉み消し、急いで数学準備室を出る。そのまま小走りに新校舎へ入ると、数名の教師や養護教員がばたばたと駆け回っていた。職員室に入った僕は、僕の隣の席で腕組みをしている大矢さんに近づいた。――大矢さん、めっちゃ怖い顔してる。
「あの。何かあったんすか」
「一年二組で、生徒が倒れたそうです」
東さんのクラスだと思った途端、僕の脳内は嫌な予感で占められた。
「今日は何をやったんでしょう」
「決めつけは良くないですよ。でも――」
大矢さんは胸のポケットにあるタバコを無意識に探り、舌打ちをして手を離した。
「そう考えてしまう要素は揃っていますね」
救急車がサイレンを鳴らして去っていった。それからしばらくして、林先生に抱えられた東さんが戻って来た。化粧は剥げていないのに、激しくやつれて見える。
林先生は、東さんを席に座らせた。
「少し休みなさい。話は落ち着いてからでいい」
林先生の言葉に東さんは何も反応せず、ぐったりと椅子に崩れている。糸の切れた操り人形みたいだ。
異様な雰囲気に戸惑っていると、林先生がこちらを向いた。
「大矢先生、ちょっと」
「はい」
大矢さんは、林先生と共に職員室から去っていった。僕はしばらく迷ったが、意を決して自席から離れた。給湯室の冷蔵庫にある麦茶をグラスに注ぎ、それを持って東さんに近づく。
「大丈夫ですか」
麦茶を差し出すと、東さんは小さく頷いた。だけど何かを言う様子はなく、ずっと下を向いている。そっとしておくべきか悩んだが、結果を知りたい気持ちが勝った。
「どうしたんですか」
あえて『何をしたのか』とは聞かないようにする。僕は、僕の忠告を聞かなかった結果が知りたいだけだ。彼女を責めたいわけじゃない。
「私、人として欠陥なんでしょうか」
「は?」
帰って来た返事は、予想の斜め上をいくものだった。
「欠陥じゃあ、ないと思いますけど」
「もう、自信がない。頑張るほど失敗するし、人も離れていくし」
僕は返事をしなかった。彼女は会話をしているわけではない。これはすべて独り言、自分の非を受け入れるための作業。
「教師としてだけじゃない、大人として、いや人間として」
東さんは大きく息を吸い、少し震える声で続きを口にした。
「人間失格なんです、終わってるんです」
「それだけはない」
僕はきっぱりと否定した。
「あなたは本当に頑張ってる。ただ、まだ手探りしてる状態なんです。どうやってモチベを保とうかとか、どうやって生徒を正そうかとか、誰にも教えてもらえない部分をトライ・アンド・エラーしてるだけなんです」
「でも、佐野さんはすぐ『できる』人になったじゃないですか。スタートは同じだったのに、私は未だに何もできてない」
僕は、彼女の劣等感に触れた気がした。本来の彼女は、きっと完璧主義者だ。だからいつまでも『できた』と思えなくて、安易で過激な方法に頼りたがるのだ。
「――僕だって、失敗したから木の棒を捨てたんですよ」
東さんはわずかに顔を上げた。僕は思いっきり、情けなさい感じで笑って見せた。
「渡辺に反撃されたんです。あの棒を奪われて、殴りかかられたんですよ」
「えっ」
東さんの顔が強張った。強張ったけれど、さっきよりも確実に生気が戻った。
「いや、未遂で終わったんで。僕が調子に乗って、あの子をからかったのが原因なんですよ」
「すみません、私の監督不行き届き――」
「待って、東さん。これは僕と渡辺の問題です。東さんが責任を感じる事はないです」
「でも教師として」
すがりつかん勢いの彼女に、僕は哀れを感じた。
「東さんって超頑固ですよね。大矢さんにもそうやって食い下がって、余計に怒らせてた」
「いや、あれは――恥ずかしいんですが、渡辺に嫉妬して、その」
秘密ごとのように囁く彼女を見て、僕は思わず噴き出した。
「いやそれ、バレバレですから」
「えっ、嘘っ!?」
慌てる彼女が面白くて、僕の口の端が意地悪に歪んだ。
「大矢さんも気付いてますよ。ホント東さんって恋に必死過ぎて、なーんにも隠せてないんだもん」
「ひぃぃ……」
真っ赤になって悶える東さんは、まるで初々しい乙女のようで、なんていうか、もう。
「マジ、かわいいなあ」
「やめて下さいっ!やだもう、もう、もう!」
僕は腹を抱えて笑った。東さんはしばらく怒っていたけど、そのうちおかしくなったのかやっぱり笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます