第六章・私という姫になる

第38話 夏空の朝

38話から夏の章の終わりまで、全て修正いたしました。

ラストなどは大きく変わっております。

修正前をご覧になった方は、新たな『或るサバ』をお楽しみください。

修正の多さにお叱りを頂くかも知れないが、反省はしていない!!

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お盆が明けて、2回目の登校日がやってきた。


 私は丁寧にアイロンをかけた制服を着て、洗面所の鏡の前で念入りに髪を整えていた。

「ま、こんなもんか」

 鏡の中の自分に満足をした私は、床に置いた鞄を持ち上げた。玄関で白いスニーカーを履いて外に出ると、真新しいプラスチックの鉢に植えられた紫色の桔梗に目がいった。

「おはよー。今日もかわいいねー」

 そんなことを呟きながら、じょうろを持ってきて水をやる。花が返事をするわけがないが、なんだか嬉しそうにしている気がして心が和む。

 ニコニコとラッパ状の花を眺めていたが、時間がなかった事を思い出し慌てた。

「やっば、いってきます」

「気を付けろよ」

 父の声が返ってきて、駆けだそうとしていた私は思わず振り返った。父から挨拶が返って来るなんて、初めてのことだ。

 玄関からは、家の中は見えない。だけど私には、無表情を演じきれないぎこちない父の姿が想像できた。それがなんともこそばゆく、私は少しだけ浮かんだ笑顔のままで通学路へと小走りに向かった。


 ふと見上げると、夏らしい青空に入道雲がモクモクと育っている。夕方には影になっている土手に朝日が当たり、濃い緑の草が生い茂っている。田んぼの稲穂は頭を垂れ始め、サトイモの大きな葉の上を、水晶玉のような水滴が転がっている。それらの上を、トンボがスイスイと飛んでいく。

 そんな風景の中を学校に向かい進んでいたら、背後から雄たけびが近づいてきた。

「ふーたーばーちゃーん!」

「河野さん!?ふぎゃっ!」

 全速力に近い突進のまま抱きつかれ、私は倒れないように慌てて踏ん張った。危ない、二人揃って派手に転ぶところだった!

「ちょ、もうちょっと普通に挨拶して? 前の登校日も飛びついてきたよね?」

「だってさ、会えない時間が長すぎて、会いたい気持ちが高まっちゃって」

 まるで恋愛小説の一説みたいなセリフを口にした後、河野さんは嬉しそうに顔をほころばせた。

「何かいいことあった?今日の双葉ちゃん、朝から幸せそうな顔してるよ」

「そう?うーん、そうなのかな。そう、なのかもな」

 私はまた空を見上げた。こんなに清々しい気持ちで風景を眺めるなんて、今までなかった事に気が付きながら。


 私は河野さんとおしゃべりしながら登校した。主に話しているのは河野さんだ。河野さんはこの土地の人なので、お盆には親戚の方が集まって来たらしい。

「お盆ってお小遣いの稼ぎ時じゃん。お年玉よりは少ないけどさ、それでも結構な額がもらえてさ」

「へえ、そうなんだ」

「あれ。双葉ちゃんは、親戚からお小遣いとかもらってないの?」

「うん。他の親戚、誰も来ないし」

「マジで?おじさん一人っ子なの?」

「いや、上に伯母さんがいるけど――あれ」

 学校まであと数分というところで、正門の前に男の先生が立っているのが見えた。どこかで見たような気がするけど、誰かが思い出せない。


「うげ、佐野じゃん」

 河野さんが渋い顔をした。佐野。聞き覚えはあるんだけど、誰だったっけ。

「3年の数学教えてるやつ。気を付けて、すっげえ乱暴っちゅうか、暴力的だって」

「あー、え?」

 いつか自分をからかってきた先生、というのは思い出した。しかし遠目に見るその人は、どうにも別人にしか見えない。

「――え。え?」

 近づくにつれて、私の疑問は余計に膨れ上がった。ビッチリ分けていた七三ヘアは、自然に下ろしただけの髪型に。真夏でもきつく締めていたネクタイは消え、ボタンを二つほど開けた夏向けのシャツに。暗い色のスラックスは、明るいチノパンに。冷たい印象だった銀縁眼鏡もなくなっている。

 本当に同じ人だろうか。やたら優し気な笑顔振り撒いてるけど。

 それでも私は、河野さんと同じように警戒しつつ進むことにした。外見が変わろうとも、中身はあの失礼な先生なのだ。

 しかし。すれ違うよりはるか手前で、向こうが私に気づいた。しかも私達の方に向かって、慌てたように駆け寄って来る。

「なになに、うちら何かマズいっけ!?」

 慌てる河野さんをよそに、その先生は私の正面に立った。そして、いきなり頭を下げた。

「渡辺、あの時はごめん!」

「は、はあ」

 佐野先生はそのまま顔だけをこちらに向け、真剣な表情でまくし立てた。

「渡辺のこと、よく知らないまま決めつけてた!東さんの話を鵜呑みにしてたし、生徒は僕よりバカだって見下してた!効率的なら何やったっていいって思ってた!」

「はあ」

 佐野先生はまた顔を下に向け、さっきより深く頭を下げた。

「本当にごめんなさい、すみませんでした!許してくれとは言いませんが、僕は変わります!本気です!」

 佐野先生の一方的な告白に、周囲の視線が集まっていた。河野さんも物問いたげに私を見ているが、私は何を説明すべきか分からない。

 私は一生懸命考えて、なんとか言葉を捻り出した。

「ええと、その。私は気にしていないので。だけど、変わってくれるなら嬉しいです」

「ホントに?!」

 がばっと肩を掴まれて、ビクっと私の背筋が固まった。佐野先生はそれに気づき、慌てて私から手を離した。

「ごめん、僕、また怖い思いさせちゃって。――あ、そうだ。渡辺、もしなんかヤバイ物持ってきてるなら、今日は気を付けてね」

「はい?」

「東さんがさ、持ち物検査するって張り切ってて」

「はい!?」

「僕はやめろって言ったんだけど、生徒に喝を入れるんだって……」

「ありがとうございます、助かります!!」

 私は大急ぎで走り出した。河野さんも後ろに続く。

「双葉ちゃん!今の話なに?!てかどうしたの!!」

「私、今日に限ってヤバいモノ持ってきちゃったんだよ!!」


 ――どうしよう、鞄の中の『アレ』どこに隠せばいいんだよ!

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