第27話 女の子に戻してください
ドアを開けると、カランカランとベルが鳴った。
店内は木目調で、あちこちにツタの観葉植物が飾られている。オレンジのライトがとてもオシャレだ。
「いらっしゃいませ」
カウンターの向こうで、女性の店員さんが微笑んでいた。長い髪をまだらなグレーに染め、お人形みたいなメイクをした若い人だ。
――場違い過ぎるって!
「あ、あの」
気後れして口籠っていると、康人が私の背中を押した。
「姉貴の髪を切ってください」
「康人っ」
――バカ、引っ込みがつかなくなったじゃない!
店員さんは驚いたように康人を見て、次にその笑顔を私に向けた。
「ご予約はされておりますか」
「え、あ、ごめんなさい! してないです!」
どうしよう、予約がいるなんて知らなかった!
慌てる私に、店員さんは優しい声で言った。
「大丈夫ですよ。そちらにかけて、少しお待ちくださいね」
手で示されたところに、オシャレな椅子がいくつか置いてあった。図書室で読んだ、モダンアート図録に載っていたものにそっくりだ。
ますます場違いだ。私は自分の背が縮こまるのを感じながら、促されるまま椅子に腰を乗せた。康人は何を気にする様子もなく、私の隣に勢いよく座った。
待たされたのは、ほんの数分程だった。私は鏡の前に置かれた椅子に促された。腰かけると、目の前に『ヘアカタログ』と書かれた雑誌が3つほど置かれた。
さっきの店員さんが、私の後ろで小さくお辞儀をした。
「本日担当いたします、小池と申します」
この人、美容師さんだったのか。
私も小さく頭を下げると、小池さんは鏡の向こうから尋ねてきた。
「どのような髪型になさいますか」
「えっと、あの子と同じような髪に――」
そう康人を指さした途端、康人が立ち上がって首を振った。
「違います!女の子に戻してください!」
「康人!」
戻すってなんだよ!私は長男代理だぞ!
「あらあ。女の子の髪型は嫌な感じですか?」
小池さんに尋ねられて、私は答えに窮した。
「いや……私は男顔だし、似合わないんで……」
「そんなことはありませんけど。じゃあ、ボーイッシュな感じにしましょうか。こんな感じの」
小池さんはヘアカタログの一つを取り上げて、中の1ページを広げて私の目の前に差し出した。女の子としては短いけれど、父が私を切った時よりは長い。
「もっと短くもできますよ。こんな風に、おでこも生え際まで出して」
次に見せられたページには、男子と同じくらい短い髪の女性が並んでいた。私はその一つを指さそうとして、手が止まった。
――傷が見えちゃう。
私は、額のガーゼに手をやった。傷を見られることを躊躇うなんて、女々しいのは分かっている。だけど、醜い顔についた醜いものを、晒して回りたいわけじゃない。
「おでこは、出したくないです」
思い切ってガーゼを外した。うっすらとした傷が、汗ではりついた髪の中から露わになる。
「この傷が、見えない長さにしてくれますか」
小池さんは特に驚きもせず、変わらない笑顔で言った。
「なるほど、分かりました。前髪は少し厚めにして、あとはバランスを見ていきましょう」
私は「お願いします」と頭を下げた。
初体験の美容室は、戸惑うことばかりだった。髪を洗ってもらうだとか、ケープに手を通すだとか、何も知らなさ過ぎて恥ずかしかった。
だけど小池さんはにこやかな表情のまま、私の髪を切ってくれた。
「とってもキレイな髪ね、つやつやしてる」
そう褒められた時は、お世辞と分かりながらも嬉しかった。
「これでどうですか」
小池さんが大きな鏡を持って、私の後ろを映してくれた。私は目の前の鏡を見ながら、少し呆然としながら答えた。
「ありがとう、ございます」
鏡の中には、ショートヘアの女の子がいた。私と同じ顔をしているけれど、きちんと清潔感のある、ブスでも不細工でも出来損ないでもない女の子が。
――私が、見苦しくない。
「じゃ、あちらでお会計お願いしますね」
促されるままカウンターの方に向かうと、椅子で待っていた康人が私を見て目を丸くした。
「すげえ! 姉貴、本当に女の子になってる!」
「いや、あ、もうバカっ」
私は康人の言葉が嬉しかった。だけど、素直にありがとうという言葉が出てこなかった。
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