第14話 悪魔の棲む家

 帰り道、私は突然あの言葉を意味に気づき、足を止めた。

 ヒガン=彼岸。つまり『あの世』。

「……死んでないっての」

 そんな風に呟いてはみるものの、私の心は大矢先生を否定できないでいた。だって、いなくなってもうすぐ丸6年なのだ。普通に考えれば、死んだと思った方が自然だろう。

 それよりも、兄の夢が医学部ではない方がショックだった。私は長男代理として、今まで必死になってその夢を肩代わりしようと頑張って来たのに。

 なぜ兄は、両親に言えなかったのだろう。『人間失格』とはどういう意味だろう。

「『まだ早い』の意味も分かんないよ」

 もやっとしたものを抱えながら、夕方でもなお照りつける太陽を見る。そのすぐ下には、そそり立つ土手が闇のような濃い影を落としている。

 ――この向こうで兄が消えた。

 私は背筋に冷たいものを感じ、誰もいない農道を早足で帰った。




 もう少しで帰宅というところで、私の家の門を覗く見知った人影が目についた。

 私は我が家の危機を察知して駆け足になった。向こうも私に気が付き、慌てた様子で手招きした。

「双葉ちゃん、ちょっとこっち」

「新畑のおばちゃん」

 私は新畑のおばちゃん――家の向かいに住んでいるおばさん――の手招きに従って、私もこっそり門の影から中を伺った。玄関口では、母と、母と同い年くらいの地味な女性が話し込んでいる。

「あれ、宗教よね」

 確かに『天』だとか『宿命』とかいう単語が聞こえてくる。

「宗教ですね」

「美津子さん、結構聞いちゃってるのよ。でも止めようかどうしようか迷ってて」

 新畑のおばちゃんは、私にとって貴重な大人の味方だ。我が家に事件があった時は、私に必ず知らせてくれる。しかし両親はこの人を下品な出歯亀だと毛嫌いしており、おばちゃんも直接は助け辛いらしい。

「ありがとう、追っ払ってきます」

 私は立ち上がって背筋を伸ばし、そのまま玄関に向かった。足音に気づいた母が顔を上げた。――最悪。泣かされてんじゃん。


「ああ、双葉おかえり。ちょうどあなたの話をしてたのよ」

 怪訝な顔をする私の腕を、母は強い力で掴んで引き寄せた。

「これが私の娘ですのよ。長男のように立派な人間にしようと、一生懸命育てているのですけど」

 私は顔を伏せたまま、かっと頭に血が昇った。――担任の前でグズグズ泣くような弱虫の、どこが立派だよ!

「私たちの信じる教えを学んでいけば、どんな未熟な子でも真っ直ぐと成長いたしますよ」

 招かれざる客は、演技臭い慈悲深さでうそぶく。

「それだけでいいんです、この子が、いなくなった長男のようになれば」

 母の声が湿っぽくなり、それから嗚咽が聞こえた。――馬鹿馬鹿しい、いい加減にしろ。

「入りませんよ」

 私は顔をしっかり上げて、相手の顔を見据えた。相手は虚を突かれたのか腑抜けた顔をしている。

「宗教の勧誘ですよね。何教か知りませんが、うちはれっきとした神道です。父から絶対にどこにも改宗するなと言われていますので、帰ってください」

 私は、母を無理やり玄関の中に押し込んだ。何やら悲鳴を上げていたが、今はそれどころではない。

「ああなんと、娘さんには悪魔が取り付いていらっしゃる! 奥様、これは早急に入信なさいませ!」

 私は察した。この宗教はかなりヤバい。下手すると粘着される。


 私は玄関の内側に手を伸ばし、父の護身用に置いてある木刀を掴んだ。

「いいから出てけって言ってんだ!」

 私はその木刀を、相手の鼻先に突き付けた。鞄を捨てて両手で木刀をしっかり構える。

「お嬢ちゃん、女の子がそんな物騒な物など」

 舐めた態度の相手の足に向かって、私は思いっきり木刀を振り抜いた。

「いだぁ!!」

 相手はしりもちをついて、むこうずねを抱えた。

「お嬢ちゃんじゃねえ、『長男代理』だ!」

「ひいい!!」

 私が更に振りかぶると、相手は地面を這いずる様に後退った。一歩強く踏み込むと、大慌てで転げるように逃げ出した。

「悪魔! この家には悪魔がいますう!!」

 私はへたり込み、木刀を杖にしてすがった。いくらでも叫べ。そんな悪評、この地域一帯では常識だ。

「双葉ちゃん! 双葉ちゃん!」

 新畑のおばちゃんが駆け寄ってきて、私を抱き起してくれた。

「おばちゃん、もう大丈夫。なんとかした」

「嘘、震えてるじゃないの!」

「あはは、本当。笑える」


 何言ってるんだ。笑えねえだろ、私。

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