第10話 心に舞う雪風

「……コルザ…様、が?」

「ええ。今しがた、グランディア様とご一緒にご帰宅されたのですが……」

 読書室の整理をしていたペティアの元に飛び込んできたのは、彼女が最も恐れていた知らせだった。

時刻は午後十時を回り、月のない空には真っ白な雪と漆黒の闇があるのみだ。

そんな闇に紛れるようにして、それは現れたという。

「とにかく、あなたを呼んでくるようパスキーさんが……あっ、ちょっ、ティアリーっ?」

「……っ」

 侍女を探しに来たメイドの話を遮るように、ペティアは持っていたはたきを投げ出すと、すぐさまエントランスホールへと駆けていた。

本当は屋敷の中を走るなんてはしたないことだと分かっていたけれど、そんなこと、今はどうでもよかった。

とにかく、彼に会いたかった。

(……コルザ…そんな、嘘でしょう…っ?)

「…はぁ、はぁ…、コルザ様…っ!」

 一階の廊下を駆け、エントランスへ出ると、そこには既に数名の使用人が集まっていた。

彼らはコルザとアルクを囲むように立ち、皆、困惑した様子を見せている。

「あぁ、なんてこと……」

 そんな使用人たちになど目もくれず、一直線に二人の傍に駆け寄ったペティアは、その姿に悲愴な声をあげた。

宮殿でのパーティに参加していたはずの二人は、華やいだ場所にいたなんて思えないほど、ぼろぼろだった。豪奢な衣装は泥と血に汚れ、切られたような破れも確認できる。

それに、コルザは意識がはっきりしていないのか、使用人に支えられ蒼白な顔をしていた。

「……これは、一体…何があったのですか……?」

「ティア…ああ、よかった。無事みたいだね……」

「私のことより…コルザ様が……」

「大丈夫、何でもない。これくらい平気だよ…。アルクが、助けてくれたからね……」

 今にも泣きそうな声で問いかけるペティアに、コルザは苦しげな笑みを見せると、強がるように答えた。絶対何か、悪意に曝された結果だと分かっているのに、そんな笑顔を見せられると、それ以上追及の言葉が出てこない。

それでも、身を斬られるような苦しさだけが、ペティアの心に溜まっていくようだった。

「………」

 そうしているうちに二人は近くの部屋に運ばれ、専属医の治療を受けることになった。

二人とも傷は浅いようだが、精神的な疲労と傷のせいか、コルザはぐったりとした様子でソファに背を預け、青白い顔をしている。

(……普段なら、良いことも悪いことも、コルザは何でも話してくれる。さっきみたいに誤魔化すような言い方は絶対にしないわ。……私のために、無理して……)

「……少し、いいか?」

「!」

 そんな彼をショックを隠せない様子で見つめていると、同じように治療を受けたアルクが躊躇いがちに切り出した。

自分がいかに平静でなかったかを示すように、気付くとコルザは執事に支えられて部屋に戻り、アルクの計らいで使用人は誰もいない。

今夜の出来事を話すために彼がわざわざ残ってくれたと悟ったペティアは、精一杯気丈に振る舞うと、改めて彼らの身に起きた事態を尋ねた。

「……宮殿から帰る途中、突然十五・六人の賊が襲って来たんだ。奴らは金目の物をよこせって叫んでたけど、全然そんなそぶりはなくて、ただ俺たちを…コルザを痛めつけてるように見えた。で、しばらくすると、どっかに消えちまったんだ。……ごめんな、ペティア。俺がついていながら、コルザに怪我をさせて……」

「ううん、アルクのせいじゃないもの、謝らないで。それに、悪いのは……。……っ、それにしても、こんなに早く仕掛けてくるなんてね……」

 落ち込んだ表情で謝意を示すアルクに、ペティア首を振ると心苦しげに呟いた。

コルザたちに探りを入れ、調査の現状を問い質すくらいのことはしてくるだろうと予想していたが、まさかこんなに早く仕掛けてくるなんて彼女にとっても想定外だった。

自分の甘さと、相手の手段を択ばない非道な心を改めて認識していると、アルクは一瞬押し黙った後で小さく問うた。

「やっぱ、これってあいつらの刺客なんだよな?」

「そうね。刺客で間違いないと思う。狙いは…私への警告かしら」

「……オリヴィエも宮殿で似たようなこと言ってたな。ラスターがあんまりにも堂々と調査のことを聞いてくるのを見て、相当ヤバいと思ったらしい」

 淡々とした様子で賊の目的を予想するペティアに、アルクは不安げな顔をすると、そう言って数時間前、宮殿でオリヴィエが語った話を聞かせてくれた。


 数時間前――。

「もしかすると彼らは…我々が思っている以上に、大変危険な相手なのかもしれません」

「どういうことだよ、それ……?」

 いつになく険しい表情を浮かべたオリヴィエに連れられ、人気のない場所へと移動した二人は、彼からそんな言葉を聞いていた。ラスターの行動を見て何を感じたのかはまだ分からないが、オリヴィエは相当不安そうな顔をしている。

「おそらく、彼らにとって“本当に証拠を握られたかどうか”というのは些末な問題なのだと思います。逆に言えば、自分たちが疑われている可能性を見出した時点で敵とみなされ、消される可能性を否定できないと言うことです」

「……つまり、俺と彼女があの家を訪れたと彼らが知った時点で、少なくとも俺たち二人は、彼らの抹殺対象に入っているかもしれない、ってこと……?」

 オリヴィエの言う可能性に、コルザは背筋が寒くなるのを感じながら尋ねた。

確固たる証拠もなく断罪するなんて馬鹿げているとしか思えないが、彼らは秘密を知った侯爵を亡き者にするために、屋敷ごとすべてを焼き払った連中だ。なくはないのかもしれない。

「ええ…疑わしきは罰する、とでも言うのでしょうか。おそらくラスターは、コルザたちの行動の可能性を予測し、それを裏付けるために、私たちが候補に挙げていなかった家の調査を検討しているかどうかを聞き出したかったのでしょう。そしてそれが分かった今、あの家を訪れたという事実からあなたたちを警戒し、直接的な行動に出るやもしれません」

「それって、二人を殺すってことか? そんなことしたら……」

「いえ、コルザは仮にも公爵家の嫡男ですからね。彼らが直接手を下せば、それはそれで大事件に発展してしまうので、ないでしょう。ただ、何か仕掛けてくる可能性は高いと思うのです」

「……?」

 顎に手を当て、不安そうに俯くオリヴィエの言葉に、彼の心配事を把握しきれないでいるアルクは首を傾げた。コルザたちに対し、直接的な行動に出るかもしれないと言うことには同意するが、殺さないのであれば調査は続行できる。のに、なんでそんなに不安そうなのだろう?

「オリヴィエ、奴らが他に何をどうしてくるってんだ? 思うとこがあるなら話せよ」

「……彼らが最も望んでいるもの、それはほかでもない彼女と、持ち出されたかもしれない証拠を始末することでしょう。しかし、彼女自身は傷つくことも、死さえも恐れてはいません。であれば、あなたならその二つをどう始末しますか?」

「え、っと…。そうだな……」

 そう言って、状況をいまいち飲み込めないでいるアルクに、オリヴィエは諭すような声音で問いかけた。調査を中止して資料をすべて返却しないと殺す、そんな脅しでは屈しない彼女をどうすれば止められるだろう?

「……彼女の弱みを利用して、彼女自身にそれを差し出させる、かな……」

 唸るアルクをよそに答えに気付いたコルザは暗い表情を見せると、嫌に静かな声で答えた。

ペティアの性格をよく知っているからこそ、コルザには答えが容易に予測できた。

復讐にすべてを注ぐと誓う彼女の弱み、それはほかでもない。

「彼女は自分以外の人が傷つくのを恐れてる。悪意に触れて家族を亡くしたからこそ、もう誰も傷つけたくはないんだ。だから、それを傷つければ多分……」

「……!」

「ええ、私もそう思います。彼女にとって大切な者を傷つけ、身と証拠を差し出さねば、周りの人間から殺すと彼女に警告する。それを聞けば優しい彼女はきっと、自ら望んでそれを差し出すでしょう。たとえ目的を果たせなくても、大切な存在を守ろうと、して……」

 導き出された推論に、その場にいた全員が押し黙った。

これらはすべて憶測でしかない。だが、彼女の性格やラスターが敵方であることを踏まえると、自分たちが想像し得る最悪の事態を向こうが思いついても不思議ではない。

そして、これが早々に実行されたとしても不思議ではないのだ。

「……しばらく外出は控えようか」

 重すぎる沈黙を破るように、コルザが小さな声で呟いた。

ペティアに最悪の選択をさせないため、自分たちにできるのは、調査を続けて証拠をもっと集めることではない。彼女の身を守るため、自分の身を守ることだ。

「屋敷の中にいれば、さすがに直接的な何かを仕掛けてくる可能性は低いと思う。賊を使うのも確実性の面で疑問が残るし、使用人に捕まって目論見が露見する危険性もあるしね。復讐を果たしたいと願う彼女には悪いけれど、今はそうするしか……」

「ええ。私も賛成ですよ、コルザ。今日も早々に引き揚げ、しばらくは大人しくしていましょう。彼女のために」

 苦しげに呟くコルザの肩にそっと手を置きながら、オリヴィエは優しく同意した。

彼女の助けになりたいと願いながら、彼女を傷つける原因になってしまうかもしれない、そう思うとやり切れないのは皆同じだった。特にコルザはずっと彼女を想い傍にいたんだ。

彼女に対する申し訳なさも人一倍大きいのだろう。

「……アルク、万全を期し、コルザを屋敷まで送り届けてくれませんか? 敵が狙ってくる可能性が最も高いのは、彼女の一番傍にいるコルザでしょうから」

 辛そうなコルザをなだめるように優しく声を掛けたオリヴィエは、そう言うと今度はアルクに目を向けた。相手がいつ動き出すかは不明だが、用心に越したことはない。

腕の立つ彼が傍にいてくれれば安心だろう。

「分かった。コルザのことは任せとけ。…でも、お前も気を付けろよオリヴィエ。お前もコルザと同じで、剣術なんて最低限しか知らないんだから」

「ええ気を付けますよ。彼女を悲しませないためにも、必ず無傷で帰宅します」

「じゃあみんな、無事でね。落ち着いたら今後について手紙を出すよ」

 こうして三人は、王子殿下の誕生パーティを楽しむことなく、帰途に就くことを決めた。

大広間にはまだまだ多くの貴族がいて、大層な盛り上がりを見せていたが、もうそんなものに興ずる余裕なんてない。とにかく、一刻も早く安全なところへ…屋敷へ帰らなくては。


「……てなわけで俺はコルザの護衛を請け負った。でも、結局、こんなことになっちまって……ほんとごめんな、ペティア……」

 宮殿での出来事を一通り説明したアルクは、そう言って口を閉じた。

ある程度事態を予測しながら、結果的にそれを防ぐことができなかった事実に心が痛んだ。

「……ありがとう、アルク。話してくれて」

 しかし、その一方で話を聞いたペティアの表情は、とても落ち着いているように見えた。

いつもと同じ…いや、いつも以上に凪いだ表情をする彼女の声には、賊や敵方に対する怒りも恐れもない。そのやけに静かな様子にアルクは不安を覚えると、念を押すように言った。

「ペティア、気に病むことなんて全然ないからな。コルザの傍に、いてやってくれよ」

「……玄関まで見送るわ。アルクも、帰り道には本当に気を付けて……」

「ああ。お前たちも、屋敷で大人しくしてるんだぞ」

 願うように絞り出すアルクの言葉は、届いているのか。

どこか曖昧な表情をしたペティアは、そう言って帰っていくアルクを見送った。

外ではまだ大粒の雪が舞い、凍てつくほどの寒さが彼女の心をさらに冷やしていった……。


「………失礼いたします」

 心に永遠と溜まっていく苦しみに耐えながら、屋敷の中へと戻ったペティアは、無意識にコルザの自室を訪ねていた。療養のため、執事たちの手で自室へと戻っていたコルザは、部屋の奥にあるベッドに横たわり、眠っている。

「ああ、ティアリー。グランディア様はお帰りになって?」

 そんな彼の代わりに声を掛けてきたのは、コルザの傍に寄り添っていたパスキーだ。

彼女は痛ましげにコルザを見つめるペティアに優しく微笑むと、いつもと変わらない穏やかな口調でペティアを迎えてくれた。

「はい、今しがたお見送りをしてまいりました。……コルザ様の容体はいかがですか?」

「大丈夫、痛みも引いたのか、ちょうど今お休みになったところよ」

「そう、ですか……」

 頭に包帯を巻いたコルザの痛々しい姿を見つめたペティアは、傷ついた心を必死に隠そうと気丈に振る舞い続けた。

そんなペティアをパスキーは心配げに見つめていたが、やがて彼女はまるで労わるように告げた。

「ティアリー、あなたも今日はお休みなさい。コルザ様のお世話をするあなたがそんな顔では、コルザ様もお辛いでしょう? きちんと休んで明日に備えること、いいわね?」

「………」

「私は先に戻っているから。ちゃんと、休むのよ?」

「……はい」

 そう言いつけたパスキーは、彼女の心情を察したように立ち上がると、部屋を出て行った。

パスキーが去った部屋はとても静かで、今耳に届くのは穏やかに眠る彼の微かな寝息と、時折窓を揺らす風の音だけ。そんな部屋の中で彼の寝顔を見つめていたペティアは、やがてベッドに近付くと、そっと彼の手に触れながら心の中で呟いた。

(……ごめんなさい、コルザ。あなたをこんな目に遭わせたのは全部…私……。本当にごめんなさい……。あなたのこんな姿…できることなら見たくはなかった……)

 腕や頭に巻かれたいくつかの包帯と、細かく残る傷を見つめる。

(叶うならもう一度、あなたの元気な姿を…いつもと変わらない笑顔を見たかった……。でも、私はこれ以上この屋敷にはいられない。たとえ彼らの思うつぼになったとしても、これ以上あなたを…みんなを傷つけるようなマネは、絶対にさせないから……)

 彼の姿を目に焼き付けるように眠る彼を見つめ、ペティアは心の中で別れを告げた。

本当は初めから、こうしなければならなかったのに。

彼の優しさに甘え、協力してもらった結果、招いたのはとんだ災難。

私が彼に見つかりさえしなければ、協力を断って早々に姿を消していれば……。

思うとことなんて、いくらでもあった。

もちろん彼がペティアとの再会を喜び、大事に想ってくれていることも分かっていた。

そして、今ここで自分が彼の元を去れば、五年前と同じような苦しい思いをさせてしまうかもしれないのも分かっていた。

それでもペティアは、五年と言う歳月が経ってなお、想ってくれていた彼を失いたくなかった。

どうしようもなく自分勝手なわがままなだ。

そんなこと痛いほど分かっていたけれど、こんなわがまましか言えない自分を、別れさえきちんと告げられない自分を、どうか許してほしかった……。

(……さようなら、コルザ。今まで、本当にありがとう……)

 そして、空に舞う雪が、風をはらんで荒れてきたころ。

彼女はもう二度と逢えない幼馴染みを想うように、そっと近付くと彼の頬に口づけた。

心からの謝罪と感謝を乗せた、別れの口づけ。

これで本当に、コルザとはお別れだ。

寂しいような苦しいような、でもどこか覚悟の宿る瞳でもう一度彼を見つめたペティアは、そのまま振り返ることなく、部屋を出て行った。



「ん……」

 何かの気配に気付いたように目を覚ますと、闇に沈んだ部屋の様子が目に入った。

賊の奇襲を受け、なんとか家に帰り着いてから、どれくらいの時間が経っただろう。

辺りはまだ暗く沈み、夜が明けた様子はないが、天気が荒れるだけの時間が過ぎたことを示すように、吹きすさぶ風と雪が窓に当たってはカタカタと小さく音を立てている。

「ペティア……」

 外の様子を気にしながらゆっくりと起き上がったコルザは、無意識に彼女の名を呟くと、自分のすぐ傍で丸くなるエルヴを撫でながら、沈んだ表情で手元を睨みつけた。

話し合いを重ねて、彼女を傷つけないためにも己の身を守らねばと決めた、矢先だというのに。敵方の根回しの速さを想定しきれなかった自分たちにも非はある。

自分の怪我に、彼女が責任を感じてしまっていないだろうか。

それだけだ、とてつもなく気がかりだった。

「んにゃぁ……」

「おっと、起こしてごめんよエルヴ。お前はまだ寝てていいよ。俺は少し出てくるけど、お前は朝ごはんまで大人しくしているんだぞ」

 エントランスで見た彼女の悲愴な様子を想うほど、心をざわつかせるような不安感だけが溜まっていく。今が夜中だと分かっているのに、それでも彼女が傍にいないことがどうしようもなく不安で、コルザはベッドを抜け出ると、そのまま部屋の外に飛び出した。

医者には安静にしているように言われたけれど、この気持ちを抱えたまま眠ってなんかいられない。

どうしても彼女に会いたかった。

「こ、コルザ様…っ?」

「……!」

「どうなされたのですか? このような時間に、一体どちらへ……」

 そんな思いを胸に部屋を出た瞬間、コルザは思いがけない人物と出くわした。

突然飛び出てきた自分を驚いたように見つめているのは、燭台を手にしたパスキーだ。

彼女はこんな夜中に見回りでもしていたのか、制服姿のまま驚いた顔で立ち尽くしている。

「パスキー、ティアは部屋にいるか? 少し…話があるんだ」

 そんなパスキーの姿にほんの少しの違和を感じながら、コルザは彼女の質問を遮ると、単刀直入に問いかけた。自分のことなんかより、とにかく今はペティアの居場所を知りたかった。

「……それが」

 すると、強い意志を宿す彼の瞳を見つめたパスキーは、しばらく間を置いた後で躊躇いがちに切り出した。

「私も今彼女を探していたのです。先程の様子が少し、おかしいように思えたので……」

「え、じゃあ……」

「はい。別棟の彼女の部屋にはおりませんでした。なので、もしやまだコルザ様のお傍におられるのではと思い、伺いに参ったのですが……」

「……っ!」

 パスキーの言葉に、コルザは目を見開くと、すぐさま部屋へ取って返した。

そして、掛けてあった上着と外套、さらに護身用の剣を手に、屋敷を飛び出て行こうとする。

「い、いけません、コルザ様! 安静にしておりませんと……!」

 彼の唐突な行動を呆気に取られたように見つめていたパスキーは、コルザがエントランスに向かって駆けていく姿を見ると、焦ったように声を荒げた。

ただでさえ怪我を負っている公爵家のご子息を、こんな夜中に外出させていいわけがない。

しかし、彼女の言葉に耳を貸すことなく廊下を駆けたコルザは、玄関の錠を開けると、吹雪に荒れる外へ一歩踏み出した。

そして、心配そうな眼差しを向けるパスキーに短く告げる。

「パスキー、俺が屋敷を出たことは誰にも言わないでくれ。必ず彼女を連れて戻るから」

「おやめください、コルザ様…っ、こんな荒れた天気の中、外に出るのは危険です!」

「……だからこそ、行かなきゃ。彼女を一人になんて、しておけないもの」

「……っ!」

 そう呟いたコルザの声は、どこか怒っているように聞こえた。

大切な侍女を心配している言葉とは裏腹に聞こえるその声音に、パスキーは思わず押し黙ると、玄関先に立つ彼の後ろ姿を見つめた。彼を心配する気持ちは痛いほどあると言うのに、覚悟を決めた彼の姿に、言葉が出てこなかった。

「じゃあ、俺は行くよ」

「……コルザ様…、どうかご無事で……」

「うん、必ず彼女と一緒に帰ってくるから」

 深々と首を垂れて無事を祈るパスキーにそれだけ告げたコルザは、雪風に荒れる屋敷の外へと歩みを進めた。

ペティアがどこに行ったかなんて、今のところ見当もつかなかったけれど、必ず見つけたい。その想いだけを胸に、コルザは雪の中を進んで行った。


 同じころ。

屋敷を飛び出したペティアは、吹き荒れる雪風に抗いながら、とある場所を訪れていた。

城の周囲に広がる街から少し離れた、広々とした場所。

人通りもなく、すっかり雪に覆われたここは……かつてスリージェル侯爵家の屋敷があったところだ。

燃えてしまった屋敷の残骸はとうに撤去され、今残っているのは敷地を囲む塀と、美しかった庭園の残り香、そして…侯爵亡き後に建てられた墓標だけ。

その、家族三人が眠ると書かれた墓標の前に辿り着いたペティアは、ふっとその場にへたり込むと今はもういない両親に、心の中で語り掛けた。

(……お父様、お母様……。私、もうダメかもしれない……)

 祈るように両手を握りしめ、心の奥にある本音を告げる。

ここを訪れるのは、もうどのくらい振りだろうか。

残骸となったこの場所を訪れるたび、ペティアは家族をこんな目に遭わせた奴らへの復讐を、強く誓っていた。だが、復讐のため、幼馴染みたちを巻き込んで情報を得た結果、もたらしたのはコルザとアルクに怪我を負わせてしまうと言う災難。

それを目の当たりにしてなお、彼女の復讐心が続くことは…もうなかった。

(これ以上誰かを傷つけてまで復讐するなんて…もうできない……。こんな気持ちを抱えるくらいなら、やっぱり私もあのとき一緒に死んでしまえばよかった……。そうすれば、こんな苦しい気持ち…なくて済んだ。みんなを…コルザを巻き込むことも、なくて済んだのにね……)

 心の中で思いを吐露する彼女の顔は、外套も羽織らずに飛び出してきたせいもあって、とても蒼白だった。髪や服は雪にまみれ、染み込んだ雪が身も心も冷やしていく。

しかしペティアは、そんなことなど微塵も気にした様子なく墓標を見つめると、石に刻まれた両親の名にそっと触れた。

(……ごめんなさい…弱い私で……。私はお父様の意志を継ぎきれなかった……。散々復讐するなんて息巻いて、結局…こんなことになってしまって、本当に…ごめんなさい……)

 後悔したように表情を歪めるペティアの瞳から零れたのは、涙だ。

泣いたって時は返せない、絶望的な現実を突きつけられ、それを理解したからこそ、もう二度と泣かないと決めていたのに。

まるで、決意に反するように零れ続ける涙を、それでも今だけは、止められそうになかった。


(……ここにもいない)

 そのころ。ペティアを探して屋敷を飛び出したコルザは、焦燥感を滲ませていた。

いつの間にか荒れていた雪風は治まり、白く細かな雪がはらはらと舞う今は、闇に慣れた目もあって辺りを遠くまで見渡すことができた。

だが、どこを探しても彼女の姿は見つからなかった。

(昔遊んだ公園や広場にも行ってみたけれど、見つからない。足跡は吹雪で消えていたし、手掛かりを探そうにもこんな夜中に人通りなんて……)

 はちきれそうな心配と不安、そして焦りと苛立ちにコルザは表情を曇らせると、懸命に頭を働かせた。彼女がいつ屋敷を出たのかは分からないが、この時間じゃ馬車を拾うこともできないし、さっきまでの荒れた天気を見るに、そう遠くまでは行けないだろう。

屋敷の近くにいるのは間違いないはずなのに、なんで、どうして見つからない……?

(考えろ、俺はずっとペティアと一緒に居たんだ。彼女の居場所くらい、見つけられるはずだ。彼女ならこういうときどこへ行く? 一人になれるところ? 帰る場所……? いや、そもそも、ずっとひとりだった彼女に頼る場所や、帰るところなんて……)

 大事な彼女を駆け回ってでも探したい衝動とむやみな行動は避けるべきだとだと諭す自分。

相反する二つの感情がコルザの心を波立たせ、まとまらない考えにさらに焦りが滲む。

(……帰る、場所……)

 そんな悪循環の中で悩み続けていたコルザは、不意にある可能性に気付くと、大きく息を呑んだ。

(まさか……)

 家族を失くした彼女に帰る家はもうない。

でも、彼女にとっての帰る場所は、ずっと昔からあそこだけだったはずだ。

もし彼女が目的を持って屋敷を出たのだとすれば、彼女はきっと、あそこに……。

思い当ったその場所に望みをかけたコルザは、彼女を想うと一直線に駆け出した。


(待っててペティア。必ずきみを見つけ出して見せるよ……!)

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