第2話 侍女時々幼馴染み

 ペティアを侍女にしたい。

そう決めてからのコルザの行動は早かった。

翌日、早々に起き抜けたコルザは、朝食の準備の手伝いをしていた家政婦長を訪ねると、ペティアを侍女に決めたと報告し、手続きを行わせた。

家政婦長は全女性使用人のトップではあるが、侍女となるとその立場は変わってくる。

主人にのみ忠を尽くす侍女には部下もなければ主人以外に従うべき相手もいない。あるとすれば有事の際に家令へ報告する程度だ。そういう屋敷の中でも特殊な立場への手続きをさせたコルザは、午前中のうちに父公爵を訪ねると当主への報告も終わらせてしまった。

「……相変わらず、行動派ね……。嫌だって言ったのに……」

 月夜の宣言から半日と待たずにすべてを終えてしまったコルザの行動っぷりに、部屋に戻ってきたペティアは呆れたように呟いた。いくら彼女を傍に置いておきたいからとはいえ、朝のうちにそれを実現させてしまうなんて早すぎる、とでも言いたげだ。

「まぁね。でもこれでペティアは正式に俺の侍女だ。決まったんだから傍にいてよ?」

「分かってるわ。その代りひとつ、約束してくれる?」

「約束?」

 そんな心内を胸にしまいつつ、長椅子に座って無邪気な笑み浮かべる彼の満足げな表情を見返しながら、ペティアはどこか観念したように息を吐くと、そう切り出した。

「私は自分の正体を他人に知られたくない。だから、人前で私の名前を呼んだり、正体を明かしたり、そう言うことは絶対にしないでほしいの。お願いよ?」

「なんだ、分かったよ。大丈夫、ペティアを困らせるようなことはしないさ」

「ほんとかしら……」

 そう言って自信満々に笑うコルザの、あまりにもあっさりとした返事に、彼を真剣に見つめていたペティアはどこか不安げに呟いた。というのも、コルザは昔から嘘がものすごく下手なのだ。家族や友人だと思っている人には何でも正直に話してしまう性格が、この五年で治っているかは分からないが、不安要素であることは間違いない。

「大丈夫だって。信用を取り戻したいのに、それを損なうようなことしないって。……それより、さっきメイドにティーセットをもらっていたみたいだったけれど、それどうしたの?」

 ペティアの怪訝な表情に構わず、ニコッと笑ったコルザは、不満そうな彼女をよそに話題を切り替えた。コルザが座る長椅子から少し離れたところに置かれた給仕用カートの前にいる彼女は、茶葉の入った瓶を持ち、少しだけ呆れたように説明する。

「どうって…あなた朝食を終えてからずっと動いてばかりだったでしょう? 休憩にお茶でも入れようと思って、用意してもらったのよ」

「え。そんな、いいのに。給仕なんか他の使用人にやってもらいなよ。きみがすることじゃ…」

「私を侍女に決めておいて何言ってるのよ。主人のお世話は侍女のお仕事。他の人にやってもらったのでは、侍女を決めた意味がないでしょう」

「そ…そうなんだけどさ……」

 茶葉をティーポットに入れ、お湯を注ぐ彼女のまっとうな反論に、思わず長椅子から立ち上がって驚きを見せていたコルザは、同意ながらも申し訳なさそうに呟いた。

確かに主人の世話は侍女の仕事だろうが、ペティアは仮にも元侯爵家のお嬢様だ。

自分の一番傍にいてもらうために侍女と言うポジションを選んだだけで、実際に仕事をしてもらおうだなんて微塵も思っていなかっただけに、給仕をする彼女を見るのはどこか複雑だった。

「私があなたの侍女である以上、仕事はちゃんとするわ。ほら座って」

「……ん」

 そんな彼の心情とは裏腹にペティアはコルザを促すと、ルビー色の紅茶を淹れた美しい装飾のティーカップをそっとローテーブルに置いた。

あくまで侍女として振る舞う彼女の動きに無駄はない。それを心苦しく思いながらも、せっかく淹れてくれた紅茶を頂こうと、コルザはローテーブルに視線を移した。そのとき。

「ペティア……左手の、それ……」

「……!」

 視線の先で紅茶を置く彼女のすらりとした手首に見えたのは、古い傷跡だった。

袖口と左手にだけはめられた黒の革手袋に覆われ、ちらりとしか分からなかったが、彼女と最後に会った五年前、ここに傷なんてなかったはずだ。つまり、これは……。

「ダメよ。こんな醜いもの…あなたに見られたくないわ……」

 一瞬見えた傷に思わず目を見開くコルザの視線に、ペティアはばつが悪そうな顔をすると、右手で隠すように左手を抱きしめた。ぎゅうと手を握る彼女の表情は暗く、悲しげだ。

お嬢様として育ち、身に付けてきた美意識が、肌に刻まれた傷を否定してしまうのだろう。

この傷を否定する必要なんて、本当は全然ないのに。

「醜いだなんて、全然そんなことないよ」

「あ……」

 彼女の心情に心を痛めながら、俯くペティアの傍まで歩み寄ったコルザはそう言うと、そっと彼女の手を取った。そして、体を強張らせて手を引こうとするペティアに構わず、左手にはめられた革手袋を外して見せる。

そこには、コルザの予想通り、手の甲と指にかけて大きな火傷跡が広がっていた。

「……っ」

「怖がらないで、ペティア。全然醜くないよ。だってこれは、ペティアが生き抜くことを決めた証だもの。それに、傷なんてあろうがなかろうが、きみは綺麗さ」

 苦しげな表情で傷から視線を逸らすペティアの手に、そっと自分の手を重ねたコルザは、真正面から彼女を見つめると優しい笑みを浮かべて言った。

彼の性格からして、これが慰めではないことは明白だったけれど、だからそこ彼の言葉にペティアは目を丸くすると、照れと困惑を入り混ぜた声で呟いた。

「……そう言うこと、真顔で……」

「?」

「いいえ、何でもないわ。ありがとう、コルザ」

 自分の発言が密かに波紋を呼んでいることなど微塵も分かっていないコルザのきょとん顔に、ペティアはどこか諦めた顔で頭を振るとこの話題を終わらせた。

どうせ彼に他意はないのだろうし、言及は無意味だと思ったのだろう。

「……あ、そうだ。なら手袋も新調しようか。明日制服と一緒にね」

 すると、僅かな表情の変化を繰り返すペティアを見つめていたコルザが、手袋を返しながら唐突に切り出した。何の脈絡もなく紡がれた言葉にペティアは困惑を見せたが、一方でコルザは楽しそうに笑うと、勝手に決めていた予定を話し出した。

「あれ? まだ話していなかったっけ? 明日はグランディアーナの店まできみの制服を新調しに行くよ。俺の侍女に相応しい、格好良くて可愛い素敵な制服を作ってもらうんだ」

「えっと……その予定は初めて聞いたわ。それに、新しい制服なんて私には必要ないわよ。今のままで十分。オーダーメイドはお金も時間もかかるし……」

 無邪気な子供のように笑う彼に、ペティアは困惑しながらも否定的な言葉を返した。

自分の正体を、これ以上誰かに気付かれないようにするためにも、できるだけ屋敷の外に出たくない。それが本心だった。

「俺がペティアに新しい制服を贈りたいんだからいいの。それに、朝店に行ってその日のうちに作ってもらうよう言っておいたから、時間は大丈夫。ま、料金は二割増しだったけどね」

「でも……」

「まだ気乗りしない理由があるの?」

 彼女の否定的な発言を否定してなお、肯定してくれないペティアの様子を、コルザはちょっとだけ不審に思いながら尋ねた。

すると彼女は少し迷った後で、制服を作りに行きたくない本当の理由を告げた。

「……グランディアーナはアルクのお家が経営しているところだから、万が一……」

「あー、なるほど」

 困り顔で言う彼女の言葉で、コルザはようやく彼女の心情を理解した。

彼が明日行くと言った被服店は、かつてペティアの両親とも交流のあった、侯爵家が経営している店だった。そして何よりペティア自身、その家の次男とは幼馴染みなのだ。

コルザのときみたいにあっさり気付かれるとは思わないが、万に一つも出くわすことだけは避けたいのだろう。

「大丈夫だよ。あいつは騎士団の仕事が忙しくて、滅多に店には来ないから。ね? それとも、正体を知られたくないどころか、アルクに会いたくもないわけ?」

「……アルクだけじゃないわ。私は、昔の友人たちを含め、上流階級の人間にはできるだけ会いたくないし、正体は絶対に明かせない。それに……」

 何気ない口調で問うコルザの質問に、ペティアは表情を曇らせながら小さく言った。

「万が一、私の正体が知れたら、あなただってどうなるか……」

「……?」

 最後に囁かれた言葉は、コルザの耳には届かなかった。

それでも、彼女が友人たちとの再会を、心から望んでいないことにコルザは気付いた。

ペティアが人を信じられなくなっているのは昨日の話で分かったけれど、結局それが、かつての友に会いたくない理由とどう繋がっているのか、それは未だに分からない。

信じられない、会いたくないと言うほど、彼女の過去に一体何があったのだろう……。

「……会いたくないならしょうがないね」

理由を聞かないと決めておきながら、答えの出ない疑問にもどかしさを感じつつ、何とかそれを飲み込んだコルザは、ペティアを見つめると、できるだけ何気ない口調を装って言った。

「じゃあ明日はアルクが店に来ないよう、祈っておこうか」



「コルザ、アスコットタイが曲がっているわよ。髪にも寝癖、ついているわ……。もう、大人なんだから外に出るときくらい身だしなみはきちんとして。ほら……」

「わっ、いいよペティア。自分で……」

「出来ないからやってるんでしょう? じっとしていてちょうだい」

「う……」

 翌日。結局コルザに押し切られる形でグランディアーナの店に出向くことになった二人は、朝からバタバタと外出の準備をしていた。

いくら侍女とは言え、ペティアに着替えの手伝いをさせるわけにはいかないコルザは、しばらく一人で頑張っていたが、いい年して微妙に身だしなみがなっていない彼に、ペティアがしびれを切らしたように声をかけた。身に纏ったお洒落な衣装の美しさを半減させるように彼のタイは斜めに歪み、髪もどう言う訳か一房だけ思いっきり重力に逆らっている。

「……どうしたらこんな風に跳ねるとのかしら? 不思議な髪ね……」

「ほんとだよね。毎日毎日よく跳ねる髪だよ」

「それ自分で言う? ……ほら、できたわよ」

 曲がったタイを直し、彼の跳ねた髪を丁寧に梳いてあげたペティアは、握っていたブラシをドレッサーに置くと、満足したように手を離した。

その一方で、彼女に触れられたコルザは、軽口をたたきながらも、どこか照れたような淡い表情だ。侍女の仕事だと頭では分かっていても、相手が幼馴染みだと思うと、なんとなく気恥しさがあるのだろう。

「馬車はすでに表に留まっておりますわ。そろそろ参りましょうか。コルザ様」

「……そうだね、ティア」

 そんな彼の心情など露知らず、ペティアは座ったまま動かないコルザを見遣ると、侍女の口調で声をかけた。二人の関係性を隠すため、部屋の外ではあくまで主人と侍女。

互いの呼び名を確かめつつ、部屋を後にした二人は、使用人と薄曇りの空に見送られながら、目的地へと向かった。


「ようこそおいでくださいました、コルザ様」

「悪いね、朝早くから」

 二頭立て四輪馬車に揺られ、街中にある被服店・グランディアーナに出向くと、店の前では店主と職人が二人の到着を待っていた。

いかにも職人風と言った仕立ての良い服装をした彼らは、コルザを恭しく迎えると、彼の後ろに控える使用人に目を向けながら依頼内容を確認した。

「そちらの方ですね、本日制服をお作りするのは」

「ああ。早急に取り掛かってくれ」

「かしこまりました。どうぞ、コルザ様はこちらへ」

 店の中に入ると、ペティアは早速職人たちに連れて行かれ、オーダーメイドの制服作りが始まった。一方で客室に案内されたコルザは、店主と最終的なデザインについて話を始めたようだ。紙に描かれたデザイン画を見ながら、店主が現状を説明する。

「大まかなデザインは先日お伺いした通りに作成しております。こちらは今回お作りする制服のデザインを描き起こしたものになります」

「うん。さすが、イメージ通りだ。あとは細かな装飾だね」

「はい。コルザ様のご要望に合わせてお作りさせていただきます」

 そう言って店主が差し出したデザイン画にコルザは満足したように頷いた。

紙に描かれているのは、襟元と袖のみ白のブラウスになっている黒基調のシンプルなドレスに、ダブルスーツのようにボタンが二列に並んだ黒いジャケットだった。

それらをじっくりと眺めていたコルザは、やがて頭の中にあるイメージを話し出した。

「じゃあまず、ドレスの襟元にレースを付けてくれる? あとリボンにも。それから、袖口はこう…ドレープを付けた感じに。あとは、派手過ぎない程度に刺繍を入れてほしいな」

「かしこまりました。ではこのようなものはいかがでしょうか? ドレス自体はシンプルな型になりますので、シックな雰囲気を壊さず可憐なイメージを追加できるかと」

「うん、いいね。じゃあ今回はこれで作ってくれ」

「かしこまりました。早急に準備をさせていただきます。コルザ様には申し訳ございませんが今しばらくお待ちいただくことになります。何卒ご容赦を」

 コルザの要望を聞き、デザインを決定した店主は、デザイン画を小脇に抱えると、メイドに紅茶を用意させ、慌ただしく部屋から出て行ってしまった。

その忙しない様子を笑顔で見送ったコルザは、窓から入り込む朝日を背に、淹れてもらった紅茶を飲みながら、持参した本を片手にのんびりと時間を潰した。


「……それではこれより縫合に入ります。中でコルザ様もお待ちですので、しばらくこちらに」

「……!」

 店主が客室を去ってから四十分ほど経っただろうか。

椅子に座ってのんびりと読書を続けていたコルザは、部屋の外の会話にふと顔を上げた。

どうやら職人に連れて行かれていたペティアが戻ってきたようだ。

「終わったの?」

 その様子を眼鏡越しに見つめていたコルザは、職人が去ったことを確認すると、部屋に入ってきたペティアに声をかけた。すると、本を片手にこちらを見遣る彼に向かって頷いたペティアは、外出先と言うこともあり、あくまで侍女の口調で答えた。

「ええ、採寸と型紙を取り終わりましたので、しばらく待つように、と」

「そっか。きみもこっち来て座りなよ。紅茶飲む?」

「いいえ、私は侍女ですから」

 周りに誰もいないと分かっていながら、使用人としての立場を貫くペティアに、コルザはちょっとだけ呆れたように笑った。二人きりの部屋の中でよそよそしい振る舞いをされるのはなんだか落ち着かない。

「―――!」

「……なんだ?」

 傍に立つペティアを見上げながらそんな感想を抱いていると、不意に部屋の外から騒がしい声と足音が聞こえてきた。街中の人気店とはいえ、ここは貴族御用達。

こんなところで客室にまで聞こえるような声を出すなんて何かあったのだろうか?

部屋の外のざわめきを気にしながら、ゆっくり紅茶を飲んでいると、足音はどんどんと近付き、気付くと、軽いノックと共に勢いよく扉が開いた。

「よぅ、コルザ! 聞いたぞ~」

 そう言って顔をのぞかせたのは短い赤毛に、精悍な顔つきをした青年だった。

黒い騎士団の軍服に身を包んだ青年は、がっしりした体格とは裏腹のあどけない笑みを見せると、呆気にとられるコルザの傍までずんずん歩み寄ってくる。

その遠慮のない青年の姿に、若草色の瞳を見開いたコルザは、思わず立ち上がって叫んだ。

「アルク!」

「!」

「え、なんでここに……?」

 現れたのは、ペティアが最も危惧していた幼馴染み、アルク・グランディアだった。

随分背が伸びているものの昔と変わらない彼の姿に、ペティアは一瞬目を見開いたが、すぐに俯くと、驚いて椅子から立ち上がったコルザに半ば隠れるようにして様子を窺った。

一方、無邪気な笑みを見せるアルクは、どこか焦ったように言うコルザを見返しながら、一切悪びれた様子もなく、店に顔を出した理由を説明している。

「いやぁ、お前がわざわざ侍女の制服を作りに来るって職人に聞いてさ~。笑いに来た」

「仕事は大丈夫なの?」

「今ちょうど街中を巡回中だからな。それに、こんな面白れぇモン見ない手はないっしょ」

小馬鹿にしたように豪快に笑ったアルクは、ここでコルザの傍で小さくなっている侍女を見遣った。怪しまれないよう、あくまで使用人らしく振る舞うペティアは、コルザの陰に半ば隠れながら大きく一礼して見せる。

「この子だな。お前が惚れ込んだ侍女は」

「そうだよ」

「……」

 視線を合わせないようにほんの少しだけ俯くペティアの姿を、アルクはしばらく興味深そうにじーっと見つめていた。彼のまっすぐな視線に、どきどきと嫌な緊張を感じる。

だが、顔には一切出さずポーカーフェイスを装っていると、不意にアルクが顔を上げた。

そして、コルザに向かって頷いた彼は大真面目な顔で、

「ふーん、可愛いじゃん」

「!」

 素直に感想を述べるアルクの予想外の反応に、ペティアは思わず声を上げそうになるのを必死でこらえていた。いくら月日が経っていて、正体に気付かれなかったとはいえ、子供のころ一緒に遊んでいた幼馴染みに、可愛い、なんて言われるとは思ってもいなかった。

しかし、そんなペティアの心情とは裏腹に、満面の笑みを浮かべたコルザは、まるで自分のことのように胸を張って言った。

「あたりまえじゃん? だって彼女は……」

「お、そう来るか。随分ご執心だなぁ」

「そう言うんじゃなくて……」

「ま、俺は笑いに来ただけだし、詳しいことは聞かねぇけどさ。まさかコルザがあの子以外に興味を持つ日が来るなんてな。ほんと、いい兆候だと思うぞ~」

「………」

 自信満々に言うコルザの発言に、アルクはやっぱり小馬鹿にしたような笑みを見せると、そう言って説明も聞かずに頷いた。一方的な納得の仕方に、コルザは何か言いたそうな表情で彼を見ていたが、懐中時計に目をやっていたアルクには気付かれなかったようだ。

その証拠に顔を上げたアルクは、扉の方にとって返しながら来たとき同様、唐突に言った。

「じゃ、俺行くわ」

「え、もう?」

「ああ、そろそろ戻らねぇと団長に怒られそうだし。じゃあな~」

「……何しに来たんだろ、あいつ……?」

 台風の如く去って行く幼馴染みの背中を呆気にとられたように見つめたコルザは、座っていた椅子に再度腰を落ち着けると、困惑したように言った。

同じく彼を見送ったペティアも、怪訝な表情を崩せない様子で首を傾げている。

「本当に、あなたをからかいに来ただけのようですね……」

「暇か? 暇なのか、騎士団員……」

 滞在時間数分の割に疑問を残していったアルクの行動に、未だ困惑しながらコルザはしばらく頭を悩ませていた。だが、しばらくして悩むのをやめると、今度は傍に立つペティアを見上げ、もう一つ気になったことを口にした。

「……にしても、気付かれないもんだね。きみのこと」

「それが普通ですわ。なのにコルザ様ったら私のこと、仰ろうとしておりませんでした?」

 どこか残念そうにこちらを見上げるコルザに、ペティアは無表情のまま問いかけた。

今回は偶然アルクが話を遮ってくれたからいいものの、あのまま言葉が続いていたら確実にコルザはペティアの正体を明かしていただろう。あまりにも危うい会話に、いっそ彼の口を両手で塞いでしまおうかと、ペティアは半ば本気で考えたほどだ。

しかし、当の本人はそのことを全く分かっていないようで、彼女の静かな怒りを前に不思議そうな表情をしている。

「え? あ! そっか。ダメだったね、ごめん、ごめん……」

「今度私の正体を言おうとしたら絶交です。私は本来、いないはずの存在。普通にしていれば気付かれることもないでしょうから」

「月明かりの下でも、俺はすぐに分かったけどね」

「……それは……。本当に不運としか言いようがないですね……」

 注意のつもりで言った言葉に自信満々の笑みを見せるコルザの屈託のない表情に、ペティアは小さく肩をすくめると、毒気を抜かれたように小さく息を吐いた。

どちらにしろ、正体を隠したい理由をコルザは知らないのだ。下手に追求して墓穴を掘る結果になるくらいなら、無事に乗り切った窮地にひとまず胸をなでおろすべきだろう。

そう自らの中で納得することにしたペティアは、彼の笑顔を見遣ると、そっと話を切り替えた。

主人と侍女、外での立場を貫きながら、二人はしばらく他愛のない会話を続けた。


「お帰りなさいませ、コルザ様。いかがでしたか、お出かけは」

 三時間後。縫合とサイズ調整を終えた二人はトレフィーヌ公爵邸へ戻って来ていた。

時刻は正午を回り、気温も徐々に下がり始めていると言うのに、二頭立て馬車が敷地内に入ると、家政婦長・パスキーをはじめとした使用人たちが出迎えてくれていた。

馬車を降りてそのことを確認したコルザは、彼らに言葉を掛けると、続いて降りてきたペティアを見遣りながら満足そうに笑って言った。

「うん、よかったよ。ティアに素敵な制服を贈れたもの」

「まぁ……っ」

 彼の視線を追うように馬車を降りる侍女に目を向けてみると、彼女は黒いドレスに同じ色のジャケット、レースを施した桜色リボンが目を引く、洗練された新しい制服に身を包んでいた。

そのシックでありながらどこか可愛らしさを含んだ姿は、本来彼女が持つ凛とした雰囲気と相まってペティアをより美しく魅せている。

「なんて素敵な制服。さすがコルザ様のオーダーですね。本当によくお似合いですわ」

 そんな彼女の姿に、先頭にいたパスキーは感激の声を上げ、他の使用人たちも好意的な眼差しを侍女に向けていた。彼らの様子から制服の好評を悟ったコルザは、嬉しそうに笑って、

「ね、やっぱり新調して正解だったよ。……さて、じゃあお披露目も終わったし、そろそろ部屋に戻ろうか。今日の仕事もあるしね」

「はい。ではお仕事の資料をお部屋にお持ちしますね」

「うん、頼んだよ、ティア」

 短いやり取りを終え、屋敷の中へと戻って行く二人をメイドたちは頭を下げて見送った。

コルザがいなくなったエントランスは静かで、他に家人の姿も見当たらない。そのことにメイドたちはほんの少しだけ緊張の糸を解くと、持ち場に戻りながら呟いた。

「……コルザ様、楽しそうでしたわね。よほどティアリーを気に入ったのかしら?」

「相当お気に入りらしいわよ。聞いた話だけど、ティアリーはこのお屋敷に来る前からコルザ様が目を付けられていて、それでいきなり侍女にご指名されたんですって」

 年齢はおそらくペティアたちと同じくらいか。

若いメイドたちは、そう言って知り得た情報を楽しそうに交換し合っていた。

まだお屋敷に来て一ヶ月のメイドが侍女に選ばれたこともあり、使用人の間では二人がどのようにして出会ったのか、この話題で持ち切りだった。もちろん真実に辿り着く者はいなかったが、噂が噂を呼び、たった一日で様々な憶測が飛び交っているのも事実だ。

「そう言われれば私、お屋敷に来て四年になるけど、あんな笑ってるお顔は初めて見たわね」

「確か、コルザ様は何年か前に想い人を亡くして、それ以来あまりお元気がないのよね。……あ、もしかしたらその想い人にティアリーが似てるとか。だからあんなに親しそうに!」

「あはは、なるほど。でも侍女っていう立場は羨ましいけれど、常にコルザ様のお傍にいるわけだもの、ティアリーも大変よね。コルザ様ってほら、天真爛漫というか、天然だから……」

 そう言ってメイドたちは、侍女に対し、まるで仲の良い友人に話しかけるようなコルザの声音に気になったような様子を見せた。

他の使用人とはどこか違う、そんな空気を無意識に感じているのかもしれない。

「ほら、あなたたち、おしゃべりはそこまでよ」

「わ、すいません!」

 結局、彼女たちの邪推は家政婦長の声で終いとなったが、おそらく噂話はまだ続くだろう。

困ったようにため息を吐いたパスキーは、二人が去って行った方を見つめ、肩をすくめた。


(……お預かりした今日のお仕事は確かこれで全部ね……)

 その頃、使用人の噂話なんて知る由もないペティアは、仕事の書類を取りに行くため一旦コルザと別れると、屋敷の奥にある使用人たちの宿舎へと戻って来ていた。

四畳程の部屋にはベッドやチェストといった最低限の家具が置かれ、使用人の暮らしの程度がよく見て取れる。そんな、どこか閑散とした印象の自室に入ったペティアは、部屋の隅にあるシンプルなデザインの机に置かれていた紙束を持ち上げた。

毎朝公爵様の従者から貰い受ける、コルザの仕事に必要な書類たち。

それらの束を軽く検め、不備がないことを確認する。

(……コルザの仕事……)

 と、その途中でペティアの手がぴたりと止まった。

何かに思い当たったような思案顔を見せた彼女は、自分の持つ紙束を見下ろすと独りごちた。

(確かコルザは、王国の内務大臣をされている公爵様のお仕事を少しずつ引き継いでいると言っていたわね。なら、もしかして、ここに何か…手がかりがあるかもしれないわ……)

 気付いた事実に心持ち緊張しながら、紙束に手を伸ばす。

しかしここで、ペティアの手が再び止まった。

どこか躊躇したように視線を彷徨わせた彼女は、紙束を机に置くと自分に言い聞かせた。

(他人の書類を勝手に見るなんて、本当は嫌なのだけれど……。目的のためには手段を択ばないと決めたのは私なんだから、躊躇っては、ダメ……)

 そう言って自分の中の良心と葛藤しながら、伸ばした手のひらをぎゅっと握りしめる。

これは限られた好機なのだ。侍女としてコルザを必要以上に待たせるわけにはいかない。

早く覚悟を決めて中身を検め、彼の待つ部屋へ戻らなくては……。

正体を隠してまで探しているそれの手掛かりを求め、ペティアはやがて意を決すると、慎重に中身を検めていった。


「お、エルヴ~。一人で寂しかったか~?」

「にゃー」

 そのころ、一足先に自室へ戻ったコルザは、部屋に入った途端すり寄ってきた白い毛玉を見下ろすと、嬉しそうに声をかけた。エルヴはコルザが屋敷で飼っているペルシャ猫で、モフモフとした長毛と青い瞳が可愛らしい猫だった。普段はベッドの上で寝ていることが多い彼は、主人の帰りを待っていたか、じーっとコルザを見上げ、ごろごろとのどを鳴らしている。

「よしよし、お前は冬でも温かそうでいいなぁ。外寒かったから羨ましいよ」

「にゃー」

「失礼致します、コルザ様」

 愛猫の長い毛を撫でながら侍女の到着を待っていると、やがて仕事の書類と共に、途中で受け取ったらしいお菓子とティーセットが乗った給仕カートを持参したペティアが戻ってきた。

コルザの仕事内容を勝手に検めたうしろめたさなどおくびにも出さず、平然とした態度を見せた彼女は、両手の荷物を落とさないようゆっくり部屋に入りながら使用人口調で報告する。

「こちらが本日のお仕事になります。また、パティシエにお願いしておりました菓子ができておりますので、まずはご休憩なさってはいかがですか?」

「ありがとう。そう言えばお昼を食べてなかったな……」

 扉が完全に閉まるまで使用人口調をやめない彼女の姿を目で追いながら、コルザはふと思い出したようにお腹をさすってみせた。ペティアの制服を新調する、と言う目的に気を注いでいたせいか、空腹など気にも留めていなかった、と言うような表情だ。

「そうなるだろうと思って、今朝、出発前に頼んでおいたのです。準備するから座って」

「さすがペティア」

 部屋の中央辺りまで来たこともあり、彼女の口調が徐々に侍女から幼馴染みに変わっていく声を聞きながら、コルザは言われるがまま長椅子に腰を下ろした。

そして、ローテーブルに移されたお菓子とルビー色の紅茶の用意ができたところで早速、マフィンを無邪気に頬張る。優しい甘みにバターの香りが絶妙なハーモニーを奏でるマフィンと、心が落ち着くような香り高い紅茶に、コルザは幸せそうだ。

「ペティア、きみも座りなよ。外出は疲れたでしょ」

「ええ、ありがとう」

 そんな彼の様子を立ったまま見るともなしに見ていると、コルザが口元をもぐもぐさせながらペティアを促した。立場を気にしているときとは違い、ペティアはコルザの言葉に素直に頷くと、持っていた白磁器のティーポットをテーブルに置いた。

そして、彼の向かいにある長椅子に腰を下ろそうと足を進める。

「にゃー」

 と、そのとき。今までコルザの足元にいた毛玉が、今度はペティアの傍に歩み寄って来た。

彼女を見上げたエルヴは、可愛らしい鳴き声をあげ、無邪気に毛づくろいを要求して来る。

そんな彼の青い瞳を見返したペティアはエルヴを抱き上げると、白い毛を撫でながら言った。

「あなたもここにいたのね、エルヴ。よしよし」

「エルヴはペティアには懐いてるよね。警戒心が高すぎて使用人どころか父上にだって懐かないのに。この家でエルヴに触れるのは俺と、母上ときみくらいのもんさ」

「そうなの? 不思議ね。昔何度かこの家に遊びに来たとき、会っているからかしら?」

 マフィンや他のお菓子を頬張りながら、コルザはそう言ってペティアと愛猫を眺めていた。

エルヴを撫でる彼女の表情は心持ち穏やかで、その姿はどこか昔の彼女を彷彿とさせた。

彼女と再会してからと言うもの、苦しみや寂しさを湛えた表情ばかり見てきたせいか、たったそれだけのことにコルザは無性に嬉しくなった。

やっぱり、ペティアは明るい表情をしている方が可愛い。

そんな思いを胸に長椅子から立ち上がったコルザは、彼女の傍まで行くと抱っこされている愛猫の喉元を撫でてやった。ペティアに加え、ご主人様になでなでされたエルヴは嬉しそうだ。

「エルヴ、今日はあなたに置いて行かれたから、寂しかったのかもしれないわね」

「俺よりきっとペティアに甘えてるんだよ。分かってるなぁお前~」

 満足そうに喉を鳴らすエルヴと、それを見守るペティアを交互に見つめながら、コルザはしばらくなでなでを繰り返していた。だが、やがて、撫でられることに飽きたのか、顔を上げたエルヴが突然ペティアの腕からぴょんと飛び降りた。

「お、どうした?」

「エルヴ?」

 二人の困惑など素知らぬ顔でモフモフと駆けていく愛猫の気まぐれに驚きながら、視線で毛玉を追うと、彼は奥にある暖炉の傍で伸びをしたあと、そのまま敷かれていたカーペットの上でくるんと丸くなってしまった。傍では暖炉の火が轟々と燃え、部屋を暖めている。

「!」

「なんだ、眠くなっただけかー」

 自由過ぎる愛猫の姿に小さく笑みを見せたコルザは、暖炉の傍で丸くなった毛玉を追って行った。

しかし、同じようにエルヴと暖炉に目をやっていたペティアは動かないままだ。

それどころかゆっくり足を引くと、何かを恐れたように表情を失くしている。

「どうしたの、ペティア。きみもこっちおいでよ」

「………」

「ペティア?」

 そんな彼女の変化にコルザは首を傾げると、不思議顔で彼女を手招きした。

だが、それでもなおペティアはその場から動こうとせず、視線を逸らしたままだ。

「……?」

 あまりにも長い沈黙に、エルヴの傍にしゃがみ込んで彼女を見上げていたコルザは、いよいよ何かがおかしいと思ったのか、ゆっくりペティアの傍に歩み寄った。

「……! どうしたの?」

 両手のひらをぎゅっと握りしめ、部屋の一点を見つめたまま立ちすくむ彼女は、震えていた。

何があったのかは見当もつかないが、彼女は怯えた顔で、口もまともに利けない様子だ。

「……なんでも…ないの。気にしないで。エルヴと遊んでていいから」

「でも……」

(……一体、何がどうなってるんだ……? なんで急に、こんな……?)

 その事実に目を見開いたコルザは、あまりにも唐突な出来事に戸惑うと、頭を悩ませた。

まだ再会してから日が浅いとはいえ、彼女がこんな反応を見せるのは初めてだ。

(今の今までにエルヴと仲良くしていたのに、あいつが暖炉の傍に行った途端、一体……っ? ………暖炉? もしかして……!)

 何も語ろうとしないペティアを見つめたまま、今までの行動を振り返っていたコルザは、そこである可能性に気が付いた。彼女の境遇を考えれば必然に思えるその可能性に、彼は小さく息を呑むと、震える彼女に単刀直入に問いかけた。

「火が怖いの?」

「……違う…わ……」

 瞳を伏せながら否定の言葉を呟くペティアの声は、とても弱々しかった。

それだけで十分答えを言っているように聞こえたが、そのとき、暖炉の火が爆ぜる音にびくりと肩を震わせる彼女を見て、コルザは自らの考えに確信を持った。

彼女の態度が急変したのは、エルヴのせいじゃない。傍で燃える暖炉の火のせいだ。

(それもそうだ。彼女は五年前の大火事で家族を失い、自分も一生消えない傷を負った。火が怖くないはずがないよね……。でも……)

「!」

(……なんでそれを隠そうとするのさ。怖いなら怖いと言えばいいのに。それとも、信用のない俺には、弱さすら見せられないの……?)

 恐怖に耐えようと顔を蒼くして俯くペティアを、どこか寂しそうに見つめたコルザは、声に出したくても出せない言葉を飲み込むと、そっと彼女に手を伸ばした。

そして、慰めるように優しく抱いて、頭を撫でてやる。

こうしていると震える彼女はとても小さくて、脆く思えてならなかった。

 ……姿をくらましていた五年間、ペティアはどんな思いで生きていたのだろう。

突然何もかも失って、こんな小さな炎にさえ怯える彼女が、何のために正体を隠し、何をしているのかはやっぱり分からなかったけれど、それはとても悲しいことのように思えた。

寄りかかる相手も、華やかな生活も捨てて、一体彼女は何を求めているのだろう……。

「……コルザ、ごめんなさい、私……」

 答えの出ない疑問をもどかしく思いながら優しく抱きしめていると、しばらくして、平常心を取り戻したペティアが落ち着いたように長い吐息をついた。

そして、心配そうにこちらを覗き込んで来るコルザを見上げ、謝罪する。

きっとコルザは、ペティアが炎を恐れて震えていたことに気付いただろう。

それでも、そのことを正直に言えないことや、咄嗟に違うなんて嘘をついてしまったこと。

口には出さないけれど、そんな意味を込めて謝ると、コルザは小さく笑って言った。

「気にしなくていいよ。それよりほら、仕事を始めようか。夕食前には片付けないとね」

「……うん」

(……やっぱり何も言ってこない……。コルザはどうしても触れられたくないことだけは、絶対に詮索しない人だから……。昔からそう。本当に、変わらず優しい人……)

 あえて何も追求してこない彼の背中を見つめながら、ペティアは迷うような表情を見せた。

彼の優しさや態度は昔のまま。仕事内容も、ペティアが探しているそれとは違う。

ならこれ以上、彼に隠し事をする必要はないのかもしれない。

もう一度彼を信用して、昔のように素直になれるかもしれない……。


(……でも、本当に?)

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