第27話:〝信じてるから〟


 イングレッサ領――商業都市ラグナス。


 九番街のとある高級宿屋の一室。


「ふー、流石にグルザン往復は疲れたわ」


 そう言って、靴を投げ出してイリスがふかふかのベッドにダイブした。


「お疲れ様です。ようやく一息付けますね」


 アイシャが荷解きしながら、しっかりと襲撃された際の脱出方法や部屋の間取りを確認していた。


「ま、流石にこれだけ良い宿だと事前にチェックされてるのか、魔術的痕跡はないな」


 ヘルトも探知術式を使って盗聴や監視といった魔術が仕掛けられてないか確認したが、問題なさそうだった。


「メルドラス王やウィーリャ達は、二軒先の宿屋よね?」

「はい。アーヴィンド様が護衛に付いているので問題ないかと。そもそもメルドラス王も彼女も強いですし、必要ないとは思いますが」

「どっちかというとあいつらがアーヴィンドの護衛って感じだな、あの様子だと」


 そう言ってヘルトが笑った。


 グルザンでの騒動のあと、〝円卓〟に参加するべくラグナスへとやってきたイリス達とメルドラス達だったが、流石にここで共に行動すると怪しまれるので今は別行動だ。


 そしてメルドラスとウィーリャは建国の父であるアーヴィンドに付き纏い、あれこれと話をせがんでいた。アーヴィンドも最初は嫌そうな顔をしたものの、最後には自ら君主論を語り始めるなど、案外嬉しかったのかもしれないなとヘルトは思っていた。


「でも、ゆっくりできるのは今日明日ぐらいよ。そこからはしっかりと各国の代表に約束を取り付けて〝円卓〟前にある程度の情報をいれておかないと」

「その点については、ルイーズ様も水面下で動いてくれているようです。なんでもエルフ・ヘヴンには各国の外交官も出入りしているそうで」

「流石はルイーズね。本当に頼りになる」


 イリスがベッドの布団をばふばふと叩きながら嬉しそうに笑った。


「はい……」


 なぜかしょげた顔をしているアイシャを見て、ヘルトがその頭をはたいた。


「従者がそんな顔をするな。お前も良くやってる。それぞれに仕事があって、それを全うしたらそれでいいんだ。あんまり他者と自分を比べるなよ」

「……貴方に慰められるのは心外です」

「素直に、ありがとうぐらい言え」

「別に落ち込んでいません」

「落ち込んでいるなんて誰も言っていないが?」


 ヘルトの意地の悪い笑顔を見て、アイシャが思わずパンチを繰り出すが、ヘルトが霊体化して回避。


「残念でした~霊体には物理攻撃は効きませ~ん」

「……殺す」


 殺気を纏ったアイシャがアルヒラールを抜こうとするが――その時、荷物から取り出した小型の魔力通信機から音が鳴った。


「――アイシャです。どうされました?」

『イリス様は!? 緊急事態よ!』


 そこから聞こえてきたのはレフレスの留守を守る宰相の声だった。すぐに駆けつけたイリスが声を上げた。


「イリスよ。どうしたの?」

『い、イングレッサ軍が陣を! しかもあの、〝白騎士〟が率いる本隊が……ざっと見ても……数は一万は超えています』

「マリアが動いた!? このタイミングでか?」


 ヘルトもその言葉に驚いて声を上げてしまう。ミルトン亡き今、イングレッサ王を支えられるのは間違いなくマリアしかいないと思っていただけに、この動きは予想外だった。


「どういうことだ? てっきりイングレッサ王と共にこのラグナスに来ると思っていたが……」

「……そう思わせて、先にレフレスを潰しにきたのかもしれないわ」


 イリスはある意味、それが最も有効な手である気がした。そもそもどれだけここで外交に精を出そうと、レフレスが落ちてしまえば全て水の泡だ。


「ヘルト、護りは?」

「万全だ。だが相手がマリアとなると……少し不安が残る上に、今、救出した民がそっちに移動しているだろ? 鉢合わせたらマズイことになる」

「やられたわね……このタイミングは痛恨かもしれないわ」


 しかし、ヘルトには引っかかる部分があった。確かに、今レフレスを攻めるのは有効かもしれない。だがあまりにリスクが多過ぎる気がするのだ。


 もし、レフレスの攻略に失敗したら……あの愚王を一人で、イングレッサに極めて不利な状況となる〝円卓〟に行かせることになる。ミルトンのせいで、外交的危機に陥っているイングレッサに、そこまでの賭けに出られるのだろうか?


 しかも今、ミルトンが腐敗させたせいで、あの宮廷でまともな意見を出せるのはマリアぐらいだ。融通が利かず、真面目過ぎるのが欠点なあのマリアが、こんな策を考案し実行するとは思えない。


「となると……王の暴走か、もしくはマリアの……。あるいは両方か」


 頭の中でまとまった推察をヘルトは口にするが、イリスは理解できず首を傾げた。


「反乱? このタイミングで?」

「このタイミングだからこそだ。宰相、向こうの動きは?」

『それが、陣を敷いたまでは良いのですが、その後は一向に動きがありません。降伏勧告も使者の派遣もありません』

「やはりか」

「どういうこと? まさか攻める気はないってこと?」

「その通り……だったら良いんだが、おそらくは違う。今は攻める気はないという感じだな。この〝円卓〟の動きによって、どうするか決める気だろう。もしイングレッサ側に傾けば……マリアは攻めてくるかもしれない」


 その言葉を聞いて、さてどうするべきかとイリスは考えた。


「なんとか、あんただけでも戻れないかしら。そしたら少しは安心なんだけど。この時期のラグナスで荒事は起きないでしょうし」


 その言葉を聞いて、ヘルトは冷静に答えた。――感情が、本音が、見えないように。


「……可能は可能だ。だが――

「リスク?」

「ああ。実は【英雄召喚サモン・サーヴァント】について、アーヴィンドに色々と話を聞いてな。基本的に俺達喚び出された英雄は術者からは数キロ程度しか離れることができないし、それ以上離れるとなると、魔力の供給が届かなくなる」

「そうね。それは知っているわ。でもそれを解消する方法があるのね」

「ああ。要するに――魔力が供給できれば良いんだよ。だから英雄を独立行動させるためには、予め魔力を貯めておける魔力貯蔵の術式をこの霊体に組み込み、魔力を注ぐ必要がある」

「あら、それならいくらでもするわよ。なんせ魔力だけは捨てるほどあるし」


 イリスが気軽に言うので、ヘルトはため息をつき、煙草を吸いだした。


 そして、テーブルの上にあった杯を手に取ると、それに表面すれすれまで水を注いだ。


「そう、簡単な話じゃない。良いか、この身体は言わば意思をもち動く魔術式と思ってくれていい。俺の人格やら

記憶やらは後から付けられた情報で本体はそっちなんだ。だから、ここに更に魔力を貯める術式を追加するにはそれかの術式を捨てなければならない。この杯と一緒だ。既に水で満ちている中に、何かを入れるならば――」


 そう言って、ヘルトが皿の上の葡萄の果実を一つ取ると、それを杯へと落とした。当然、杯から水があふれ出す。


「――何かを捨てなければならない」

「理解したわ。それで、どの術式を捨てればいいの? それはまた元に戻せるの?

 

 その言葉に。ヘルトはすぐに答えずに煙を吐いた。


 紫煙が揺れるのを数秒見て、口を開く。


「結論から言うと、俺の性能を最大限に生かしつつ、捨てられる術式があるとすれば――使だけだ」

「……そう」

「勿論、また使役の呪縛を付ける事ができる。が、少なくとも独立行動している間は――イリスの支配下から外れることになる。それが――リスクだ」

「ふふ……」


 なぜか小さく笑うイリスを見て、ヘルトが戸惑う。この反応は予想外だぞ?


「何よ、勿体ぶって大仰に言うわりに――。すぐに、組み替えるからさっさとその魔力貯蔵の術式を教えなさい」

「お、おう。いや、でも……おいアイシャ、お前従者だろ? 主人が暴走しているぞ!? 少しは止めろよ」


 思わずヘルトはそうアイシャに言葉を投げるが、アイシャはニコリと笑うだけだった。


「イリス様が、そう仰るなら……私に反対意見などありません」

「はい、というわけで、さっさとやるわよ。んで、ばっちりレフレスを護ってきなさい――大丈夫、私はあんたを信じてるから」


 そのイリスの言葉をまっすぐに受けて、ヘルトは思わず口に咥えていた煙草を落としてしまう。


 全く……少しは疑えよ。そう口にしかけて、思いとどまった。


「ちっ……忘れてるかもしれないが……俺は元イングレッサ側の人間だぞ? しかもお前らの国を亡ぼした魔術を作った張本人だ」

「そうね。でも今は違うわ。今はエルヘイムの女王イリスを守る、素晴らしい英雄よ。だから、疑う気持ちはこれっぽちもない」


 その根拠なき言葉に、ヘルトはもうため息をつく以外に何もできなかった。


「……はあ。分かったよ。じゃあとっとと始めるぞ。術式はこうだ――」


 こうして、ヘルトとイリスは別行動を開始することになった。


 ヘルトはレフレスの防衛に。

 イリスはここラグナスで、〝円卓〟という名の戦場へ。


 それぞれの戦いが始まる。

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