第2話 手紙

佐藤がその右腕の事を知ったのは、彼らが今の国に訪れる、少し前の事だった。彼は馬車の中で一通の手紙を読んでいた。その手紙はアールが彼に手渡した物で、マギサから佐藤へ宛てられた手紙だった。


『親愛なるサトウ君へ』


その手紙はそんな書き出しで始まっていた。佐藤の持っている能力の所為か、それとも彼女がそうであったのか、真意はどちらか彼には分からなかったが、いつもの彼女の大雑把な言動とは想像もできないような、綺麗な字と、教養のある文章だと佐藤は思った。


「(研究者で論文も書いてるって言ってたし、当然と言えば当然か)」


手紙の内容は佐藤が気絶した後の状況説明で、アールが佐藤に話してくれた内容とほぼ変わりはなかった。最後の一文さえなければ、わざわざ手紙を出す必要があったのかと、疑問に思うほどだった。


『追伸――の内容は、青い鳥によって運ばれる』


最後の一文には、そんな言葉が添えられていた。何のことかわからず、佐藤が手紙を眺めたまま困惑していると、一羽の青く、頭身の透けた鳥が、彼の目の前を煩わしく羽ばたいた。荷台へ狙いすましたかのように入り込んだ鳥は、暫く佐藤の視界を占拠すると、口に咥えていた手紙を、佐藤の前に投げ捨てる様に放した。


「ん?――なんだこの鳥。人様の前で羽ばたきやがって」


そんな悪態を吐きながら(最も、本気で言ったわけではなかったが)佐藤はその手紙を拾った。先程、彼が読んでいた手紙は保護用の蝋封が施されてあったが、この手紙はただ一度折っただけの簡素な物だった。


「これがマギサさんの追伸……って事なのかな」


佐藤は落ちていた紙を拾った。紙は少し汚れて、端々は真っ直ぐに揃っていなかった。紙に付いたゴミを落としながら、佐藤は紙を広げて、中を読み始めた。


「前置き――さっきの手紙は一応正式な物として出していたから、堅苦しい文章で書いたけど、こっちに関してははそんな義務は無いし、正直気持ち悪いからいつもの感じで書こうと思う。


追伸 正直、前の手紙は読んでて退屈だっただろうけど、許して欲しい。賢者が出す手紙ってのは、他国と繋がる事を避けるために、基本的に全部チェックが入るから、こうでもしないと本当に言いたいことを言えないんだよね。ま、実際には言えちゃってる事は大問題なわけだけど、それはここでは置いておこう。


さて、私から君に伝えたいことは三つ、一つ目は君のその右腕についてだ。どういう経緯でそれが誕生したのかは分かっているだろうから、特にここでは触れるつもりは無い。(恐らく君もそれを望んでいるだろうし)とは言え、絶対正しいと言う保証は当然出来ないから、あまり真に受けず、風の噂程度にでも思ってくれればいい。


さて、君のその右腕だけど、端的に言うと、『絶対に傷つかない』右腕だ」


「絶対に……傷つかない……」


佐藤はその言葉を繰り返した。繰り返した所で、誰かが答えてくれるわけでも、反応してくれるわけでもないが、繰り返した。


「その事に気が付いたのは色々決着がついた後だったんだけど、どうしても君の右腕の中身が気になっちゃってね。そこで元々の君の右腕と、新しい右腕の血を比べてみようと思って、君が寝ている時に、こっそり血を抜こうと、針を刺してみたわけ。そしたらなんと、その針は通らなかったんだ。全くと言っていいほどね。ちょっと面白くなって、他にもいろいろ試したけど(私と君の今後の信頼関係のために内容は伏せておく)どんな手段を講じた所で、君の腕が傷つく事は無かった。恐らくこの星が破壊される事態になったとしても、君の腕だけはそこに残り続けるだろうね。


魔法的な観点から言わせてもらうと、ハッキリ言ってそれは簡単にできる事じゃない。魔法でどんな事をするにしろ、術者はそれにふさわしい魔力を消費しなければならない。これは魔法における鉄則だ。原始魔法ならそれは力に比例し、古代魔法なら可能性に比例し、現代魔法(錬成術と呼んだりもするが)なら重さに比例する。言いたい事は、何となく分かるかな?


『絶対』……つまり、過去のどんな存在よりも、今のどんな存在よりも、よりも――その全てに勝る『絶対の領域』にたどり着くためには、《《無限大の魔力が必要になる》》。


……しかし残念ながら、今日の魔法技術では、『祝福』を除いて、人類はその領域に達していない。勿論、君の腕が『絶対』に壊れない訳ではなく、ただの滅茶苦茶に硬い腕と言う可能性もあるが――まあ、それでも膨大な魔力を要求されるし、似たようなものだと思う。少なくとも、私が壊せないと判断したものを、魔力量の少ない彼女が生み出すというのは、到底考えられない話なんだよね(自惚れているように聞こえるかもしれないけど、事実として受け取って欲しい)


と言った所で、二つ目に君に伝えたいこと――シルワの力について、話そうと思う。賢者を圧倒し、『絶対の領域』にいとも簡単にたどり着いた、あの力。ひとまず確定しているのは、あれが『祝福』によるものじゃないって事かな。


『祝福』の力によって『絶対の領域』にたどり着いた者は何人かいるけど、『祝福』は絶対的な力で相対的な物じゃなく、成長や変化はしない。だから、変化したり、君の腕を作り出せた彼女の力が、『祝福』である可能性はかなり低い。それにもう一つ、証拠がある。


以前、君があの火を操る賢者と戦って負けた直後の事なんだけど、その時にシルワと少し話をしてね。それであの力を見せてもらったわけなんだけど、その時に私があの木の根っこみたいな触手を触ったらこう言ったんだ『くすぐったいから止めてくれ』って。


くすぐったいって事は、それはつまり、その触手には神経が通ってるって事なんだろうけど、有り得ない話なんだ。本来、神様から与えられた力の『祝福』は、本人の魔力によって動くんだ。君の能力みたいに、自動で効果がある場合に関しては別だけど、自分から意識して発動させる場合は魔法と使う時と同じような感覚で使うんだ。(実際に魔力を消費することは無いけどね)だから、彼女の力が本当に『祝福』なら、触られた感覚なんて感じるはずが無いんだ。一応、私も色々な文献や論文で調べてみたけど、やはりそれらしき記述は見つからなかった。


正体不明の彼女の力だけど、ただ、もしこれが人間側の技術じゃないとしたらどうだろうか。神に等しい力を得る方法を、人間以外の種族も持っているとしたらどうだろうか……?とは言っても、全部憶測だし、だったら人類はとっくに全滅しているだろうけど、実はこれには一つだけ心当たりがある。心当たり、と言うよりは、そういう情報をたまたま入手したと言った方が、正しいけどね。


その内容については、申し訳ないけど話せない。他人には話さないという前提の元、手に入れた情報だからだ。ただ、それが魔族の国での話という事だけしておく。だからもし、君が彼女の呪縛を取り除きたいと願うなら、魔族の国で色々調べてみるといい。何かヒントが掴めるかもしれない。君たちを魔族の国に送ったのは、そう言った意味も込められてある。(とは言え、これは君の最たる願いとは違うだろうからその判断は任せるけど)


さて、私が君に話したいことの三つ目は、その魔族の国についてだ。大体はアールから聞いたとは思うけど、そこで店を開く私の古い友人に、君たちの事を話してある。お国柄の問題で、君のその力が必要だと聞いてね。(魔術関連じゃなくて、純粋な理由で)君には、その友人の手伝いと、君に託した魔導書の解読を頼みたい。私は今、君達の手続きや何やらで忙しくてね。暫くして落ち着いたら、君達の方にも顔を出そうと思う。翻訳結果はその時にでも聞かせてくれ。


シルワもそうだけど、君も君で、『絶対の領域』に人為的にたどり着くためのヒントを持っている人間でもある。物が落ちる、太陽が昇る、生命が死ぬ。こういった抗いようのない、絶対の法則を書き換える事が出来る魔法を、君は使うことが出来るようになるわけだからね(実際に使えるかは知らないけど)そういった意味で君は可能性なんだ。君は早く元の世界に帰りたいのかもしれないけど、私としては、是非とも、君が人類の魔法技術を先へと進めてくれることを願っているよ。(ま、その本を解読することが、帰るためのヒントにもなるかもしれないし)そうそう、魔族の国には、まあ都市伝説みたいな話だけど、国を追われた人間が、亡命先として選ぶ事も多いらしいし、もしかしたら他の転生者に会えるかもね。


それから、魔族の国に行くためには、その手前の国、バイズの端にある海峡を超える必要があるんだけども、レグムと違って平和な国って訳じゃないから、気をつけてね。(一応こちらでも護衛は付ける予定だけど)」


「――敬具。愛は込めないけど、マギサより……か。何というかまあ、あの人っぽい手紙で安心したというか何というか……。それから、別にレグムはレグムで十分危険だったし……って何だこれ。追伸の追伸?」


その手紙の最後には、さらに追伸の一文が添えられていた。


「追伸の追伸、君に聞きたいことが一つある。恐らく君なら答えられるであろう質問だと思うから、次の機会までに答えを考えておいてくれ……か。えっと、質問は……」


佐藤がその質問を目の前にして、最初に思ったことは疑問だった。質問に対してではなく、彼女がどうしてこんな事が気になったのだろう。と言う疑問だった。専門知識とまでは行かなくとも、ある程度生物の勉強をしたことがある人間なら、十分に答える事の出来るレベルの質問だった。少なくとも、佐藤はその答えをすぐに用意できた。


(何でこんな質問を……。今の俺たちには、あまり関係ないように思うけど……)


そんな事を考えながら、佐藤は白い紙を折り目通りに畳んだ。


「サトウ君、手紙、読み終わった?」


突然、佐藤の隣から声がした。シルワの声だった。いつの間にか起きていた彼女は、眉間に軽く皺を寄せて、佐藤の手紙を覗き込むような体勢で、彼の隣に座っていた。


「シルワさん……起きてたんですか……えっと、お久しぶりです」


それは、佐藤の本心から出た言葉だった。実際の時間からすれば、大したものではないのだが、もう一か月は会っていない様な感覚だった。


「あれ、そんなに時間たってたっけ?」


不思議そうな顔をしながら、シルワが返した。


「あ……何というかその、そんな気がして、すみません」

「ふふ……何それ。変なの。でも、ありがとう。ちゃんと約束守ってくれて」


と言って、シルワは笑った。屈託のない笑顔で。


(やっぱり……あれは何かの……)


間違い。と、すんでの所で、佐藤は首を振ってその思考をかき消す。どう自分が良い訳をしようと、どう彼女が笑おうと、彼女が人智を超えた何かであるのは間違いのない事実で、そして、誰かを傷つける可能性があるのもまた、事実だった。


(……そうかもしれないけど、だけど、今はまだ……まだ信じていたい)


佐藤は何かに縋るように、手に持っていた手紙を強く握った。


「あ、ねえねえ、その手紙、なんて書いてあったの?私、読めなくて」

「あ、ああ……えっと」


佐藤は慌てて、いくつか皺の出来た紙を再び広げた。そこに書かれている内容を要約して――最も、シルワに関する内容は伏せていたが――シルワに説明した。彼女は、あまり理解していないのか、興味がなさそうな表情で、リズムを刻むかのように、一定の感覚で頷いていた。


「ふーん。じゃあ、今はバイズって国に向かっているんだっけ?」

「そういう事になりますね。……その、何というか、すみません。こんなことになるとは思わなくて」

「え?どうして、サトウ君が謝るの?」

「俺のせいで、シルワさんにまで危険が及ぶかもしれない状況になってて……だから、何というか、謝るべきかと思って……」

「何で?」彼女は即答した。「サトウ君に付いて行くって言ったのは私だし、それで仮に危険な状況に、それこそ、命が危ない状況になったとしても、それは私の責任だよ。サトウ君が背負うべきものじゃない。だから、気にしなくて大丈夫」

「……そう、ですよね。すいません……何か、謝ってばっかですね、俺」

「良い事なんじゃない?」

「良い事……ですか?」


佐藤は驚く。彼女が自分の事を、そんな風に言ってくれるとは思わなかったからだ。


「うん。サトウ君はきっと、誰かが傷つくのが嫌いなんだよ。だから、誰かの代わりに自分が傷つこうとしてる。そういう優しい人だと、私は思うよ」


佐藤は、自分の心臓が強く跳ねるのを感じた。気が付くと既に彼女が部屋の隅で佇んでいたかのような、そんな不気味とも言える感覚だった。数分の間、彼はただ下を向いて、荷台の木目を眺めていた。


「……嫌いなんです」


唐突に、佐藤が言葉を発した。


「え?」

「一人取り残されるのが、嫌なんです。あの絶望を、二度と味わいたくないんです」

「何が――」


シルワは、その先の言葉を噤んだ。彼の悲し気な横顔を見て、自分が踏み込んでは行けない領域まで足を延ばした事に気が付いてしまった。


「……ごめん。嫌な事、聞いちゃったかな」

「いえ、そんな事は……」


暫くの間、お互いがお互いに、気まずさに体をうずめながら、言葉を探して黙っていた。


「ねえ、サトウ君」先に口を開いたのは、シルワだった。「私は、サトウ君の事、まだまだ知らない事だらけだから、何とも言えないけどさ、でも、私は、サトウ君の味方でいたいと思ってるよ」


シルワが佐藤を真っ直ぐ見て言った。しかし佐藤は、その目を見る事が出来なかった。


「それは……頼もしい限りです。俺なんかにはもったいないほど」


目を逸らしたまま、佐藤が答えた。彼には分からなかった。どうして彼女が、ここまでしてくれるのか。ここまで自分を思ってくれるのか。それは嬉しい事と同時に――怖い事でもあった。得体のしれない恐怖。理解の出来ない恐怖。自分の心臓に優しく爪を立てられたような気分だった。


「ねえねえ、サトウ君、話変わるけど、その本って、要はサトウ君にしか読めない本なんだよね?なんて書いてあったの?」

「あ、ああ……。それが、どうせよく分からないだろうと思って、俺もまだ読んでいないんですよね。――折角ですし、今読んでみますか」


そう言って、佐藤は取り落とさない様に気をつけながら、本を手に取り、ページをめくり始めた。横でシルワが、無言で佐藤を眺めて続けていて、彼の手や思考を阻害する要因となっていたのだが――彼女がそんな事を気にするはずも無く、佐藤は悶々と独り相撲をしたまま、残った脳の領域で、何とか本を読み進めていた――が、ある一文。その本の中にある、ある一文を佐藤が目にした途端、彼は衝撃を受けた。それは、隣で佐藤の事をずっと見続けているシルワの事など、軽く彼の意識の外まで吹き飛んでしまうほどの衝撃だった。


「違う……」佐藤が、震える声で呟いた。「違う……。これは、これは魔術の本なんかじゃない」

「え?どういう……」

「シルワさん。以前俺がした科学の話、覚えてます?」

「あー。えっと、覚えてるよ……確か紐がどうだとか……」

「……まあ、それはともかく。この本に書かれているのは、――これは、れっきとした、学術書です。それも……恐らく、俺が元いた世界の人類の科学よりも、はるかに先を行っている可能性が高い」

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